メキシコ壁画運動

 芸術の奇跡----メキシコ壁画運動
 1922年に始まったメキシコ壁画運動は近代に入って非西欧圏で起こったという意味でも非常に希有な文化ルネッサンスの中心的運動であったといえる。後にヨーロッパのシュルレアリズムの芸術家たちを始め劇作家のアルトー、映画監督のエイゼンシュタイン、写真家のエドワード・ウエストン、ティナ・モドッティー、また北川民治、藤田嗣治、岡本太郎、利根山光人、阿部合成らたくさんの日本の画家たち、イサムノグチ等々、多くの国の様々な分野の芸術家、文化人に多大な影響を与えた。「メキシコ壁画運動」(平凡社)の著者でラテンアメリカの美術研究者の加藤薫氏(現神奈川大学教授)はメキシコ壁画運動のことを「革命の芸術」でありまた「芸術の革命」であると指摘している。メキシコが300年に渡るスペインの植民地支配から独立の声を上げミゲル・イダルゴ神父が立ち上がったのは1810年。その後ポルフォリオ・ディアス大統領の独裁政権の時代を経て1910年メキシコ革命が起こる。こうした時代のなかで、時の文部大臣バスコンセロスの掛け声と共に画家デイエゴ・ロベラ、ダビット・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコら3人を中心に始まったのがメキシコ壁画運動である。
 かつて小学校の美術の教科書で小さな印刷で目にした北川民治のタブロー。その静かで強烈な印象は、小さな私の心の奥深くに入り込み---その時はまだ充分に理解できなかったが、---絵画というものから初めて受ける、その感動の、暗い静寂のなかで、不安に息を潜めた記憶がある。そんないくつかのいきさつがあって、1998年、実際にメキシコに行って壁画運動の作品群を目にした。想像してた以上に感動した。人間の営みの総てが描かれているような気がした。それも壁画であるから公衆の面前で。たとえばオロスコのカタルシス(生命の浄化)を見たとき、人間のあらゆる悪の営みが累々と積み重なって、冷たく燃え上がる巨大なイメージに圧倒された。
 メキシコの壁画の特徴の一つは、何と言ってもいいことも悪いことも包み隠さず描くことである。先征服期からあるアステカを始めとする多くのメキシコの文化や先住民族の文化、ヨーロッパとの混血がもたらした植民地時代の文化、来るべき科学文明をも含めた近代の文化、いずれかをチョイスするのではなく、どれもを再評価していく。さながら不連続な時間の流れを連続に捉え直してゆくように、膨大なエネルギーを発散させて起こったパブリックアートの一つの頂点といえるような絵画である。それは人類の歴史が乗っかっている宇宙的な時間そのものという気もするし、壮大な叙事詩の群である。
 以来度々メキシコに足を運んでは壁画の撮影をしてきた。現在はour faceプロジェクトを始め、他のことに時間を取られているのだが、いずれ展覧会にまとめたいと思っている。特にリベラが描く人間の顔をモチーフに一つの独立したイメージを作ってみたいと思っている。狡い顔、喜びの顔、悲しい顔、恍惚の顔、絶望の顔、嫉みの顔、可笑しみを湛えた顔、虚をつかれた顔、死を向いた顔、騙す顔、殺す顔、愛欲の顔、耐える顔etc・・・。人間の感情のイメージ一つ取ってもこのくらい広大なイメージを持ってないと革命なんかできなよな、と思う。しかし芸術が世の中や世界を動かし、変えていくことも実際にあるんだな、とも思えてくる。
 
 ところでこの時代、メキシコの壁画に興味を持つ人が果たしてどのくらいいるのだろうか?もしもいたら実際に見に行かれることをお勧めする。それが無理ならば、手に入りにくいかもしれないが加藤薫先生の著書「メキシコ壁画運動」(平凡社)を読むことをお勧めする。あるいはヘイデン・エレイラの「フリーダカーロ」(晶文社)も当時のことがよく書かれている。
                                   
(2002/06/21 北野 謙)

 
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