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2003年11月26日

11月26日 カーニバル本

 白根さんの本を読みはじめる。20年以上世界中の地べたを這ってきたひとだけに取材量が半端じゃない。写真も「生きて」ます。「天国から地獄までどっぷり浸って、錬金術の大鍋の底までじゅっくり味わう日々」のブラジルはリオから、標高3800mのアンデスでの壮大な祝祭まで多種多様な「発散」と「放蕩」。カーニバルのレポートに加えてその起源から見えるヨーロッパ文明の底知れぬ暗さ。加えてラテンアメリカでカーニバルが発展する要因となった奴隷とし大量に「輸入」されてきたアフリカの血、そしてラテンアメリカ先住民文化についてもフォローしていて鋭い文明批評の書にもなっている。ワタシの唯一のカーニバル体験はメキシコのベラクルスだけだが、カーニバルは普段日本で目にするような陽気で明るいお祭りといったものではない。それは複雑で苛烈としかいいような、ヨーロッパとアフリカ、さらにはアジアの時間と血がごった煮のように混ざり反発しせめぎ合うラテンアメリカ文化の産物なのだ。
 これからの時代、世界はラテンアメリカのクレオール文化に学ぶべき点は多い。毎度のことだがラテンアメリカのことがもっと注目されないかなぁと思う。メキシコなどの写真を発表する機会も増えるのに。映画「フリーダ」はヒットしているようだが。そういえば雑誌美術手帳にメキシコで撮影したシケイロスの壁画の写真を提供しています。壁画運動から西海岸のグラフィティーアートまでの系譜を辿る特集とのことで楽しみ。次号かその次あたり。

投稿者 Ken Kitano : 22:09

2003年11月25日

11月25日 神楽坂中華「天水」の坦々麺

フォトジャーナリストの白根全さんと最近某プロラボを退社したHさんと神楽坂「天水」。ここの坦々麺はうまい。白根さんは本人によると世界にふたりしかいないというカーニバル評論家にして冒険家。フジテレビグレートジャーニーでも冒険家関野さんとともにかなりのルートを一緒に歩いている人。その白根さんが回りの知人からは「やっと出た」という感じで「カーニバルの誘惑」/毎日新聞社http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3c864dc1afdc0010576a?aid=&bibid=02387947&volno=0000が発売になったので著者を囲むことに。本を一冊世に送り出すというのは大変なことだ。この出版不況である。とにかく本が出てよかった。めでたい。
 Hさんが辞めた会社は優れた職人仕事でアート系からコマーシャル系、ドキュメタリー系までそうそうたる写真家の質の高いプリントを手がけていた老舗ラボ。残念なことにこの先会社が作家モノの仕事を続けられるか難しくなってきたという。優れた技術が存続しにくくなっているのはどの業界も同じ。ここが辞めてしまうことは写真界にとって打撃は大きい。今後、なんとか別な形でプリントをできるような組織を作りたいとのこと。資金援助はできないが気持ちだけ切に応援したい。などと紹興酒を飲みながらエールを送っていたら「おまえもしっかりour faceの作品を作って発表しろ」と逆に二人に尻をたたかれる。

投稿者 Ken Kitano : 22:10

2003年11月24日

11月24日 鶏皮鍋

玉川上水の落ち葉が積もってきたので落ち葉焚き。ついでに焼き芋。
夜、編集者のIさんに教わった鶏川鍋を作る。
1,土鍋に適当に水を入れて沸かす。
2.すし屋の湯飲みのような大きい湯飲みにa(.水1:醤油1)、b(たまごを割らずに落とす)、c(青のり、かつお節を好みで)入れる。
3.鍋が煮立ったら、その中に鶏皮200〜300gを入れ、さらに沸騰したらキャベツと白滝を入れる。
4.湯飲みのなかのたまごが半熟になったらたれとまぜて、野菜や鶏皮を湯飲みのたれにつけて食べる。
安くて、簡単で美味い。そして面白い。娘もとり皮のぷるぷる感が気に入ったようで「うまいうまい」と食べていた。我が家の定番になりそう。思わず南会津の銘酒「国権」がすすんでしまった。

投稿者 Ken Kitano : 22:11

2003年11月23日

11月23日 伊勢神宮

 伊勢神宮の式年遷宮説明会に一泊二日で参加。
 伊勢神宮の遷宮は20年ごとに正殿はじめ別宮、鳥居にいたるまで建物全てを新しく作り替え、神様の装束、神宝も新調して新宮に納めるお祭り。南北朝時代など途中中断はあったものの1300年に渡って連綿と続いてきた壮大な営み。清浄を重んじて、常に新しく再生し続ける神道の性質をよく現している。遷宮した後の古殿は災害に遭った奥尻島や神戸の神社の社殿として再生されたる。正殿の棟持柱は宇治橋の鳥居として20年、さらに桑名市の鳥居として20年、その後は氏子の家の表札等に使われる。実に様々なかたちでリサイクルしてゆく。社殿の部材は殆ど桧の白木。数百年後の遷宮に供えての植林事業や様々な伝統技術の伝承など神宮自体が壮大な生命システムのよう。ここ数年ourfaceの取材も含めて日本各地の神社や神事を取材してきて最近感じるのは神道は宗教なのか?ということ。神道は基本的には農業、漁業、水や木など自然と人間の関係性というべき信仰。現世利益はなく、宗教というよりはどちらかというと宗教観というようなものではないか。ただ明治以降の国家神道、天皇制はまったくどうしようもないが。
伊勢神宮10年後の遷宮にむけて折に触れて取材してゆきたいと思う。

投稿者 Ken Kitano : 22:12

2003年11月21日

11月21日頃 最近の績読2

・「サンバの町から」/上毛新聞社
昨年W杯決勝のひに取材に行った日本で最も外国人居住者の多い町群馬県大泉町(住民の14パーセント!)のドキュメンタリー。戦時中中島飛行機の工場で栄えた町が日本の中のブラジルになるまでの軌跡だ。
日本のなかのマルチエスニック空間。アメリカのようなアイデンティティーの戦場ではないにしても、日本で生まれたり育った子供や孫の代と本国、祖国の関係は時間が経つにつれ複雑なアイデンティティーの問題を孕みはじめる。(さらに日系人は親や祖父の祖国がまた日本だったりする。)こうした現象は圧倒的な一極化を見せるグローバリゼーションのなかで、北米のラテイーナ(ラテンアメリカ人)の文化などと同様に世界同時性を孕んだ「場」と「カテゴリー」の問題が見えてきそう。前回は優勝の瞬間を撮影するのが精一杯だったので改めて時間をかけて大泉町を訪ねてみたい。ラテンアメリカ・レストラン、バーの飲み歩き食べ歩きも楽しそうだ。

・「いつか旅するひとへ」勝谷誠彦/講談社文庫
短編旅行記集。勝谷さんの酒と食いもんのエッセイはゆるゆるとして彷徨う感じがたまらなくいい。最初の香川うどん地獄の章は、パートナーがさぬき人の私としては「そうだそうだ」の連続だった。勝谷さんのhpで例の黒川温泉のアイレディース宮殿の母体がアイレディース化粧品で東北で学校を経営している他、かつて女性党といううさんくさい政党を作って当時の新社会党よりたくさん得票をえていたことを知る。あの支配人の顔と言葉はカルト集団のそれに通じるものがある。

投稿者 Ken Kitano : 22:12

2003年11月20日

・「カイエ・ソバージュ」中沢新一著/講談社選書メチエ


・「カイエ・ソバージュ」中沢新一著/講談社選書メチエ
大学の「比較宗教論」の講義を本にまとめた全5冊のシリーズ。先に読んだ2巻「熊から王へ」、3巻「愛と経済のロゴス」がとっても面白くてアマゾンでさらに2冊注文してしまった。1巻「人類最古の哲学」は神話学の講義。人類最古の哲学としての神話を優しい言葉で語りかけてくれる本。神話というと古事記、日本書紀の記紀神話を思い浮かべる。記紀神話は政治的意図をもって編纂されたっため、各地のローカルな神話を無理やりにつなげて大きな物語にした政治的な側面があるから、実際読みにくいし少々敬遠していた。しかしこの本を読んで神話に対する考え方が180度変わってしまった。権力者が用意した物語として読んでも面白くないわけだ。神話は世界中に分布する「竹取物語」や「シンデレラ」などが語るのは、私たちと死者や異界とのコミニケーションであったり、ヒエラルキーの上と下、異界と私たちとの仲介者の存在だったりする。そうやって読むと神話はとても豊かなことを語りかけてくれる。
 神話が好んで語るのは「内側と外側がすんなりひとつにつながってしまう場所だとか、動物と人間のように今別々の存在になってしまっているものたちが同じ生き物であったときのことだとか、いまいる場所がとてつもなく遠いところの異界にくっついてしまう奇妙な特異点・・」。ちなみに記紀神話のなかにはニニギノミコトとコノハナサクヤヒメのくだりなど、新石器時代からの古い来歴の神話がたくさんあり、それらはアマゾン川流域の先住民の語り続けてきた神話とそっくりな神話も多いそうだ。 本書の中で数多くの例の中で、取り分け北米インデアンの語るシンデレラは感動的。

・「家族」北朝鮮による拉致被害者家族連絡会著/光文社
何度も泣いてしまった。長年にわたるご家族のご苦労、無念さは想像を絶するが、もうひとつ深いとことで感じたのは拉致事件が起きはじめた60年代、70年代という時代の空気の荒涼とした乾いた肌触り。貧しさと疾走する人々の背中。今も日本はちっとも「個人」なんてもてていないし近代社会として未成熟なのだろうが、今よりもずっと「個人」なんてなかったんだなということ。人々が「個人」(例え失踪した近く「個人」であっても)を理解も感じることもできなかった時代にましてや政治家に「個人」が考えられるわけがない。
 現在も継続中の悲劇。痛い。とにかく痛い。こんなに長い時間何やって来たんだよって思う。
 以前の私だったら「家族」のことに涙が出ることはなかっただろう。

投稿者 Ken Kitano : 22:13

2003年11月09日

11月9日 宴会の翌日

 6時に目が覚める。寒い。畳の上に6人がごろ寝している。昨夜というかほんの数時間前まで泡盛と沖縄料理の大宴会をしていた。ピークの時は50人近くが飲んでいた。ちょっとやり過ぎか。子供たちもハイテンションで家が壊れるかと思った。実際ふすまに3カ所穴が開いていた。でもそれくらいで済んでよかった。一番ひとが多いときに来て、あまり飲まずに帰ったOさんには申し訳なかったなぁなどと思いつつ風呂を沸かして入る。台所の片づけをしながら余った食材を冷蔵庫に入れ、ご飯とみそ汁を作ていると桜井さんが起きてきて駅まで送る。桜井さんは二日酔いで頭が痛いという。帰るとまだみんな寝ていた。娘が起きて来たので縁側に座って一緒にでりんごと西洋梨をむいて食べた。それからふたりで早朝の公園でぶらんこにのった。みんながまだ寝ている時間にふたりで内緒でぶらんこにのっているのがお互い楽しい。
 11時頃にみんな起きだして後片づけをはじめる。MさんとHさんは途中から記憶がないという。Hさんは60度の花酒「どなん」を生でぐいぐい飲んでいたから無理もない。酔っぱらってひたすらいろんな人を褒めていた。友人知人、それぞれが連れてきた友人などたくさんの方々と殆ど落ち着いて話せなかったのが残念だった。それにしてもこんなにひとが来たのは泡盛の、そして沖縄が惹きつける力だろう。
 昼過ぎにみんなを駅まで送り奥さんとふたりで家の片づけ。Mさんはそのまま東京駅に直行。東海道新幹線の主な駅弁を取材しながら今日中に大阪に行くという。お疲れさま。Mさんの料理、美味しかったです。沖縄食材の差し入れもありがたかった。いろいろな心遣いに感謝感謝。
 夕方投票に行ってその後久しぶりに家族3人で銭湯にいく。寒い日の銭湯は本当に気持ちがいい。娘は最近ふろ上がりに瓶のジュースを飲むことにしている。バッチにする王冠を集めているからだ。いつもはジュースなのに今日は散々迷い、思い切った様子で「コーラを飲んでみたい」と言う。単なる背伸びというか好奇心からだが、昨日親のわがままを散々聞いてもらったので飲ませてあげることに。びっくりしながらうれしそうに飲んでいた。帰ってゴーヤチャンプルーと泡盛で夕ご飯。3人だけの家は静かで昨日の大騒ぎが嘘みたいだった。

投稿者 Ken Kitano : 22:15