« 2004年01月 | メイン | 2004年04月 »

2004年03月29日

3月23〜29日 南九州

 去年から始まった神話の舞台を訪ねるシリーズの撮影で宮崎、鹿児島へ。
高千穂峡から人吉を通ってえびの高原へ。
どんより暗い高千穂峡がよかった。猪が神の使いであり、恐れの対象でもあるという宮司さんの話が面白かった。映画「もののけ姫」の猪の存在は山の民と里の民双方にとっての猪への関係に忠実だと知る。そういえば去年訪れた日南のある神社の新撰は猪。拝殿に15頭の猪の生首が並ぶ様は凄かった。直会のシシ汁は美味だったた。
 霧島、高千穂岳から国分へ。
 霧島神宮は色鮮やかな南方系の意匠。琉球、台湾、フィリピンなど南方と交易があった島津藩の地の特色と宮司さんに聴く。それにしても境内に樹齢800年1000年クラスの欅や杉を度々見かける。それらの木の貫録ある姿は30分位見ていても見飽きない。大きな枝と枝の間に小さな茂みが出来ていてそこが小さな「世界」のよう。
 表情薩摩半島の笠沙から川内から再び国分へ。
 リアス式海岸の笠沙は歴史的にずっと密貿易の地だったとか。数年前に史上最大量の大麻の密輸が見つかったそうだ。(北朝鮮から?)何となく「地の果て」の感。荒天の風景が似合う。数年前まで友人のKさんは家族と別れここで独り暮らしていたのを思い出して感慨深いものがあった。濃い霞は黄砂だと知る。
高千穂岳を撮るために韓国岳へ登る。
 1700mの韓国岳へ完全な登山。山頂から種子島から打ち上げた人口衛星を見る。神話の天孫降臨の地から衛星の打ち上げを見るというのも不思議な体験。関係ないけどNHKの朝ドラ「まんてん」が最終回。
宮崎〜青島宮〜鵜戸神社
 青島で食べた昼飯の冷汁が最高にうまかった。鵜戸神社は神仏混淆の面影を残す。霧島もそうだったけど修験の場であり権現という信仰が今もある。それにしても明治政府はなんで廃仏棄釈なんてしてしまったのか。
 7日間でレンタカーの距離計は1500KMに。疲れた。

投稿者 Ken Kitano : 08:26

2004年03月22日

3月22日 ORITOさんライブ。高円寺JIROKICHI

 ご近所のソウルシンガーORITOさんのライブに初めて行く。ORITOさんは玉川上水で散歩しているときによく会う。たまにうちに来て飲む。以前J-WAVEに出ているのを聴いてかっこよかった。ライブハウスに着くと階段まで立ち見の人。やっぱファンが多いんだ。やっとカウンターでお金を払ってR&Bなのに赤ワインを飲みながら聴く。明るくていいステージだった。楽しませる音楽に徹している感じがしてよかった。普段会うORITOさんとは別人のようだった。今度あったらお礼と感想を言おう。

投稿者 Ken Kitano : 08:27

3月22日 壁の撮影。

 寒い。天気予報では都心も1〜2cmの雪といっていたが、幸い雪にはならない模様。
週末に文春Wさんと野田マップの話をしていたら、急に新国立劇場で今やっている「透明人間の湯気」を観たくなる。ダメモトで@ぴあで調べたら、わずかに残席があるのを発見。即予約。ラッキーだった。何でも諦めずにあたってみるものだ。ネット予約でのキャンセルが発生したのだろうか。
 昼に吉祥寺のTさん邸で室内の撮影。妻が5月に谷中で開く個展のDM用写真撮影。塗り壁と土を使った鉢植えやお面などの展覧会なので、本人が塗った土壁をバックに撮影することに。自然光を使わなかったので結構時間がかかってしまう。夕方車で新宿のラボへ。カーラジオから高知競馬のハルウララに武騎手が騎乗して負けたニュース。この馬のことが何でこんなに話題になるのかよく分からない。数年前のミレニアムブームのバカ騒ぎにも少し通じる、方向性も根拠もない虚しいブームに思える。癒しというより思考停止現象に思える。ラジオは4月の改変前で今週いっぱいで終わる番組が多い。夕方のニッポン放送の田尾安志と松本秀夫の「ショーアップナイターストライク」は面白かった。来シーズンのナイターオフにも再開して欲しい番組だ。帰宅後ポジのマウントをしながらTBSラジオ「アクセス」を聞いていたら、れんほうさんが選挙に出るので降板。長野智子さんも近々替わるとのこと。えのきどいちろうさんと長野さんとのエンディングの掛け合いがなんだか耳に残る。

投稿者 Ken Kitano : 01:50

2004年03月21日

3月20〜21日 滋賀県近江

 去年から始まった神社の連載で近江神宮へ。かつて近江京があった地に神宮が建てられたのは昭和に入ってから。従って神社そのものには時間を感じさせるものはあまりない。ただ、京都から山を越えて近江に抜けたとき、眼下に拡がる広大な琵琶湖の明るさはいつ来ても面白い。さらに琵琶湖の先ににうっすら連なる白い山の連なりを見ていると、その先へ先へと行ってみたくなる衝動を覚える。狭い盆地の風水都市京都から一転明るさと広がりの世界へ。その分水嶺に比叡山がある。比叡山はいつきても怖い。

投稿者 Ken Kitano : 08:28

3月21日 またしても、やっぱり飲む。神戸製鋼は残念。

 朝、埼玉のジョンレノンミュージアムへ行くという水谷さんを見送る。娘と妻は保育園の芋煮会へ。私は家で買ったばっかりのコンパクトデジカメの取説を読んでいたらパソコンでの編集ソフトはマックには対応していないと書いてありショック。気を取り直して芋煮会に顔を出すと、親はワインでご機嫌で、子らはコマ回しや団地の広場で遊んでご機嫌。一杯だけワインと豚汁をご馳走になる。大鍋で作る汁物はうまい。その足で国立競技場へ。ラグビー日本選手権決勝「東芝府中vs神戸製鋼」戦を観に行く。千駄ケ谷駅で編集者のKさんと待ち合わせ。Kさんは神戸に住んでいたのでもちろん神戸ファン。前半は終始神戸が押していたが動きを直ぐに止められ苦戦。東芝が神戸のミスをついてトライ。後半は次第に東芝ペース。神戸はいいところがない。結果10-22で東芝が優勝。トップリーグでは神戸が優勝したのに残念な結果に。今シーズン限りでミラー選手はニュージランドに行き、萩本ヘッドコーチは代表の監督に就かれるということでチームをはなれるとのこと。寂しい。以前our face取材でお会いしたのが懐かしい。あれから2年も経ってしまった。
ポケットラジオで「伊集院光の日曜日の秘密基地」を聞きながら帰宅すると芋煮会流れのご近所の皆さんが来てまたしても飲み会に。明日は飲まないとまたまた誓う。

投稿者 Ken Kitano : 01:51

2004年03月20日

3月20日 やっぱり飲む。

 寒い。小雪交じりの天気。飲み疲れてぼうっとしている。昨日のヨッパラった記憶をたどりつつ、ひとりでしゃべり過ぎてたことをぼんやり思い出して、なんだか全世界の人々に申し訳ない気持ちになってくる。今日は飲まないぞと思う。が、昼前に夏からチベットとネパールにいっていた水谷さんから帰国したと電話。「今日泊まりにいってもいい?」と言われて即「泡盛飲みましょう」とすぐ答えている自分。鍋の肉を買いに肉屋へいくと冷凍のお肉や自家製鳥がらスープを薦められ買う。夕方陽に焼けた水谷さんがNさん親子をつれて来る。ここ数年サハラを旅してきた水谷さんにはネパールの山はやや物足りなかったようだ。遅くまで泡盛。鶏スープは激しくウマい。これから活用することにしよう。

投稿者 Ken Kitano : 01:52

2004年03月19日

3月19日 馬場で朝まで

 週刊文春の仮処分(発売を停止する)には腹が立つ。この処分が正式に決まれば、今後気に入らない記事が出る雑誌の出版を意図的に理由をこしらえて差し止める人間も出る可能性もある。だいたい雑誌の他の記事を読ませないことの弊害はどうなるのか。腹が立つなぁ。
 夕方M美術館学芸員のAさんとイベント撮影の打ち合わせ。2年ぶりくらいでお会いしたけれど、新しい職場でバリバリお仕事をなさっているようで嬉しくなる。新宿のラボで仕上がりをピックアップした後、思い立ってサザンシアターへ。ライターの袴田さんお薦めの新国劇を題材にした青年座の芝居「殺陣師段平」を観に行く。この芝居の印象は新国劇を知っているひとと知らない人ではかなり違うに違いない。私は当然後者。正直、最近の芝居を見慣れているせいか、ゆっくりなテンポが気になってしまう。しかし観た後、袴田さんが熱く語っていた新国劇の殺陣というものを一度観てみたいと思った。
 劇場を出た後携帯にMさんから連絡があり、飲み会に合流。高田馬場の焼き肉店で話題の文春のWさん、ライターMさん、ライターSさんらと飲む。wさんとはお話するのは初めてだったが、落語好きで志ん朝好きと聞いて嬉しくなって芝居の話、宗教の話など話し込む。気がつくと閉店時間。2軒目で焼酎と日本酒でヨッパラう。始発を待ってふらふらで帰宅。寒かった。SさんMさんいつもありがとう。

投稿者 Ken Kitano : 01:53

2004年03月10日

3月10日 頭山

 友人の写真家佐藤信太郎が出しているグループ展「一坪展20周年展」をガーディアンガーデンに見に行く。新作のランドスケープは強くてキレイだった。その後アカデミー賞にノミネートされた短編アニメ「頭山」の試写を観る。日曜日のTBSラジオ伊集院光「日曜日の秘密基地」で最近話題になっている。思っていたよりも、意外なくらい短い作品だった。語りと音楽(三味線)が浪曲の国本武春だった。これがよかった。 他にも不条理落語を国本先生とのコンビでアニメ化してもらえないだろうか。「水棲」という作品も面白かった。「頭山」は他の短編作品と一緒に「ヤマムラアニメーション図鑑vol.1」のなかで来月ユーロスペースでロードショーされる。

投稿者 Ken Kitano : 08:29

2004年03月08日

3月8日 World peace now!日比谷5万人。our face取材&デモ初参加。

 1時半ころ日比谷公園に着く。風が少し冷たいが快晴。すでにかなり人がいる。
来週以降戦争が始まるかどうかわからないけれど、今日ここに集まった人々のことをour faceの肖像としてインタビューテキストと共に残したいと思う。
 撮影とインタビュー開始。こうゆう集会デモの取材は初めて。誰に声をかけるか迷う。「ワタシ全身反戦意識デス!」みたいな人は声をかけずらい。「いったいアナタの仕事はイラクの人たちにとって何になるんです!?」とか詰問されそうな気がする。背中の丸い労働団体系のおじさんおばさんたちも近寄りがたい。このひとたちは全体に黒っぽい。明るい感じでアピールしているひとが声をかけやすい。こうゆうデモはアピールしに来ているんだから出来るだけおしゃれをして来るべきだと知る。銀座だし。それか面白い格好。
 取材してみて意外だったのは「日本政府が米支持をするのも現実的には仕方がない」と言うひとが多かったことだ。政府が言えないかわりに自分が言わなければと思ったというひとが結構いた。子供にも頼りにされていない政府。批判の対象の大半はブッシュである。今回は彼の周りの狂信的な原理主義者たちがしかけている戦争だから構図として分かり易いといえるかもしれない。世界的にも批判の声が大勢であるし。遅かれ早かれアメリカは孤立してゆくのでは。それにしてもアメリカやヨーロッパの知識人や表現者は反応してるんだろうか?メディア統制があるのかあまり伝わってこない。NHKも会長が変わってから現代もののドキュメンタリーが減ったと聞く。
 3時頃から行進がスタートしたらしいが、信号の合間に少しづつ出発しているので列がなかなか動かない。意最後に列が公園を出たのは6時半を過ぎていたそうだ。列が一車線で細いのも原因だろう。あまりにも進まないので新橋方向に先回りして写真を撮る。撮っていたら知りあいでTVジャーナリストのOさんたちが来たので合流する。新橋からリクルートの前を通って有楽町へ進む。案外あっさり終わった。不景気の銀座は人気が少ない。車道から歩道側を見るのが面白かった。

 ゴール後地鶏料理屋で飲む。数年前NHKで劣化ウラン弾の特集番組を作ったTさん、舞台カメラマンのIさん夫妻、Oさん親子、エジプトでガイドの仕事をしていたがルクソールの銃撃事件で失職したプータローのケンちゃんらと。Iさんとは知りあいに共通の編集者、ライターがいることが判明。Tさんは湾岸戦争で劣化ウラン弾で被爆をした米兵とその家族をワシントンでたくさん取材していたのでとても詳しい。いろいろ質問する。米軍は今回も劣化ウラン弾を使うと明言しているそうだ。劣化ウランは爆発すると粉になり体内に入るので病気との因果関係を証明しにくいそうだ。しかし使われた地域では奇形児、白血病の発生率は著しく高い。日本の戦費保証、復興支援に国民一人当たり4万円とも14万円とも言われているそうだ。そんな大金我が家には払えない。だれか今戦争を止めてくれるならその人に2万円くらいなら払ってもいい気がする。

投稿者 Ken Kitano : 08:30

2004年03月07日

3月7日 空海ブーム

 昼間は暗室。夕方から空海本を読む。高野山から帰ってから空海ブームが続いている。「空海の思想について」(梅原猛著)、「空海の風景」(司馬遼太郎著)。面白い。ニュース23を見る。珍しく明日のWorld peace now!デモのことを番組で事前に話していた。SMAPが生出演していた。番組として反イラク戦のメッセージを曲に結びつけていた印象。もっとはっきり言えばいいのに。木村拓哉は子供もいるんだし。でもよく出たなという気もする。広島の人文字のニュースで群衆のアップの映像にライターの神足裕司さんが一瞬映っていた。明日のデモのことは昨日の新聞広告も目立っていた。10万人くらい集まるかもしれない。

投稿者 Ken Kitano : 08:31

2004年03月05日

3月5日 暗室

 暗室作業。ラジオのニューズでイギリスのメディアが来週末にもイラク攻撃が始まる可能性があると報じたことを伝える。事態のあまりの危急さをうまく想像できず、そのことに滅入る。夕方妻と娘と三人で車でユニクロへ買い物に行く。車中で「寒い」「腹減った」という意見が相次ぎ、「五風」という今まで入ったことのないファミレスか居酒屋のような店に入る。物凄い種類のメニューがあり面白くなる。鉄鍋餃子とミニ手巻き寿司、カレイの唐揚げと苺パフェという奇妙なオーダーをする。途中ライターのH氏から電話があり吉祥寺で取材が終わってこれから飲むという。後で三鷹の加賀屋で合流することに。3千円しか持っていなかったので食事代をカードで支払って、現金を飲み代にまわす。元ぴあのW氏と三人で久しぶりのモツ&ホッピー。W氏は先日念願の仲井戸麗市氏のインタビューが出来た喜びを語る。AMラジオの話しなど閉店まで。近所で飲めるのは本当に嬉しい。今週は殆ど仕事(お金になる)してないのに飲んでしまった。

投稿者 Ken Kitano : 08:31

2004年03月02日

3月2日 高野山、真言密教

 朝の新幹線で大阪へ。大阪環状線、南海を乗り継いで高野山へ。高野山は海抜900メートルを越える仏都。雪はないが冷える。宿坊で寺の上智院に荷物を置いて一休み。今回はour faceプロジェクトの取材で真言密教の修業をされている僧侶の方々の撮影とインタビューをさせて頂く。先月熊野に神倉神社で御燈祭の撮影をした帰りに高野山に立ちより取材の申し込みをしていたのだ。暗くなって6時半に高野山専修学院へ。高野山には高野山高校、高野山大学があるが、ここ専修学院は真言密教の僧侶の修業の場である。一年間俗世との連絡を断って厳しい集団生活のなかで修業をする。特に二学期は厳しい行が行われ、昨年NHKが弘法大師の番組制作で例外的に取材を許されたが通常は取材は受けないのだという。なかに入ると意外にも生徒さんたちが明るく冗談を言っていたりして驚く。今回は35人の方が撮影をOKして頂けた。感謝。撮影の場所、ポーズ、などを生徒さんと相談して決める。できる限り「修業の」肖像として撮りたかったからだ。結局広間に合掌して座ってもらうことに決まる。生徒さんは座るとサッと表情が変わる。カメラの前に座った時の表情、特に目が人により全く異なり興味深かった。
 撮影の後数人にインタビューさせて頂いた。僧侶になると決めるまでのこと、修業を始める前と後ではどう変わったかなど伺う。興味深い。何人かのひとが「一人になって個と向き合って考えるのは豊かなことで、その経験をする時間がここに来るまで持てなかった」という意味のことを言っていた。
 ある寺のひとがour faceを見て「真言密教の教えに近いのではないか」と言った。一人のひとの輪郭ではなく無数の存在が奥の奥まで続くイメージ。個と全体を同時に見てゆくような眼差しがそうだと言う。確かに私のものの見方、リアリティの感じ方は大乗仏教的な要素がある気がする。私が写真を意識して撮り始めた時に感じたことは、個人は点のような小さな存在でそれは確かさである。そう感じられた時世界の存在をリアルに感じられた。(サイト「溶游する都市」のテキスト参照)以来、ものごとを見ようとする衝動そのものが、全体の中の一部というリアリティと、世界もまた個(部分)のなかにあるというリアリティを同時にもてるような方向を目指しているようだ。これは感覚的なことでは全くない。

投稿者 Ken Kitano : 08:32