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2004年04月16日

4月16日 銀座ニコンサロン中沢新一さん講演

 広島から 昼の新幹線で帰京。F社へ直行。某誌で次号から始まる連載企画伊勢神宮の写真最終セレクト。 これはなんと8年後のご遷宮まで続く計画!。
 夕方銀座ニコンサロンで中沢新一さんの講演「写真と帝国」を聞く。すご〜く面白い講演だった。
写真というメディアは微分という概念と通じるという話に始まり、写真というメディアが本来的に我々現生人類がかつて持っていた、世界に対する対称性を持ち続けるメディアでああるというところまでゆっくりと上り詰めた90分。心の中で「そうだ!そうだ!なるほど!」と激しくうなずいたりひざを打ちながらながら聞いてしまった。 昔、東京のランドスケープを撮ったシリーズ「溶游する都市」を撮り始めたころ「写真って微分だ!」とコーフンして周りに言ったけどだれも相手にしてくれなかったのを思い出した。
 写真は常に個と世界を同時に見、個の中に世界、世界そのものが個である、という機能を抱えている。そこが魅力だし、力だと思う。これだけ世界が非対称な価値観に席巻されてきても、写真のそこに期待したいとワタシなども思うのだ。写真が世界をセレクトし、世界を差異の序列に分別してゆくことに使われる表現としての役割がこれ以上ふえたら(圧倒的にその為に撮られ語られる写真が多いのが現状だが、)今世紀中に写真芸術は無くなると思う。しかし写真本来の持つ、個と世界、世界と部分を一緒にみて、感じてゆくような写真が、より多く撮られ、語られることが増えてゆくことワタシは期待したいものだ。そんな思いもあって「our face」は自分に他者を重ね、それぞれの個と無数の他者が一であるいうなイメージを作り続けるようになったのだが。
 そういえば幕末に日本で始めて写真を撮ったと言われる島津斉彬は、鎖国の時代に幕府に見つかれば藩お取りつぶしのリスクの中、秘密に西洋の写真術を研究し苦労の末、初めて撮影したのは、実に自分の娘の肖像であったと言われている。ひとが世界と初めて(写真という新しいメディアを通して)向き合う最初の一歩で、かけがえのない娘という最も個人的な存在を見つめる行為のなかに世界を見ようとしたということは、真に写真の持つ本質的な機能だし、写真の持つ普遍性そのものであるように思える。

投稿者 Ken Kitano : 2004年04月16日 08:26