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2004年04月21日

4月21日 無題

 ここのところニュースや新聞を意識的に見ないようにしてしまう。例のイラク人質問題のことだ。このニュースに触れると何か「いや〜な気分」になるのだ。この「いや〜な気分」を説明するのは難しい。とりあえず今は誰が何を言っても「未熟な若者が国やたくさんの人々に迷惑をかけた」という構図になってしまう。どうしてそうなってしまうのだろう。「いや〜な気分」が一番誘発されるのは「自己責任」という言葉とこの言葉を声高に言う人々の顔にである。
恐らく戦時中の風景もまたこんなだったのだろうと思う。(生まれてないから知らないけど。)家族が平身低頭している風景は現代のものとは思えない。「自己責任」という言葉を使うと近代的と思っている人々の意識の前近代的な様に辟易するのだ。日本人特有なのか、全国的にある瞬間から、あの外に向かって申し訳ないという、内向きの意識が今一斉に働きだした感がある。出る杭をよってたかって打つ日本人のあのメンタリティーである。人質になった人にも落ち度はあったとは思うが、どんなことがあっても国が国民個人を守るのは最低限当たり前であって、そうでなければ国民は国に何も期待も愛国心も抱きようがない。(だいたい今回戻ってこれたのも彼らの行動をイラクのひと達が支持したからだと犯行グループも言っているじゃないか。もし自分がイラク人だったら「こなことをされてもやっぱりイラクの人が嫌いになれない」という言葉に、それを言った日本人に対して孫の代まで感謝すると思う。3人ののイラクの人に対する友好と支援にむしろ感謝する部分があっていいと思う。今回、真っ先に首相は「自衛隊を撤退させない」と言った。それ自体は仕方ないとしても、前後の言葉にも態度にも国民の命に対する国としての配慮がまったく感じられなかった。(それは最近感じる日本人の内向きダメンタリティーに通じるのだが。)そのことに国に何か裏切られた気がした。そのことをこの先忘れないぞ、と思う。( 今回、北朝鮮拉致家族の方々が国から「国交がない」、「失踪は個人的な事情」とまったくとりあってくれなかった時の、国が相手にしてくれなかったら誰が、というその絶望と孤独を思い出した。)だいたい「テロに対して毅然として望む覚悟」と言っていたけど、いったい何に対してどう毅然としたのだろうか。覚悟ってどの程度の覚悟なのか?ロシアのプーチン首相はチェチェンの劇場占拠事件の時、数十人の国民に犠牲者を出しても強行に鎮圧した。そのくらいの覚悟はあるのか?
書いているうちに腹が立ってきてしまった。もうひとつ大手のマスコミにも腹が立つ。 NGOの人とジャーナリストは基本的に分けて考えるべきだと思うが、拘束されたフリーのジャーナリストは危険を承知の上で自腹でかの地に渡ったのだろうと思う。(先週のSPA!勝谷誠彦さんのコラムに勝谷さんが2月にイラクに行く前に知人に託した遺書というか事件に巻き込まれたときの為の宣言文が載っていた。) 自分のところは誰も出さず命がけで行っているフリーの連中のニュースや写真を配信してもらっているのに、「危険な状況なのになんでわざわざ行くんでしょうか」的なことをいうキャスターや解説者はどうゆう思考回路なんだろうか。自分のところのニュースは誰が取材してきたのか考えたことがないのか。自分で自分の首をしめるようなことだと気づかないとは。郡山さんがどんな仕事をされているか存じ上げないが、是非またかの地に行っていい仕事をなさってほしい思う。
 拘束されて帰国された3人の話を是非聞いてみたいと思う。イラクのことを知っている人たちだし、国や外務省がどんな対応を現地でしていたのかありのままのことを聞いてみたい。

投稿者 Ken Kitano : 2004年04月21日 08:25