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2004年04月25日

4月25日 清里フォトアートミュージアム「ヤンググポートフォリオ展レセプション」

 24日の朝車で東京を出発。メンバーは我が家3人とこのウエブサイトのデザイン他いろいろ助けてもらっている林君、ご近所の現代美術家さっちゃん、フォトグラファーズラボラトリーの平林さん。快晴のもと新緑の清里へ。この時期の清里はとっても気持ちがいい。お昼に美術館着。
 ヤングポートフォリオは35歳までの若い写真家の写真を選考して購入、永久コレクションに加えてくれるというもの。若い写真家にとってはとっても励みになるプロジェクト。今年で35歳の僕は最後の参加となる。第一回目から時々出しては購入してもらってきたので、ここで知りあった友人も多い。今年の作品は全体にとっても力強い作品が多かった。ドキュメンタリーもポップなものも様々な作品があったけれど、どれもゆらいでない、緊張感があって、まっすぐな作品が多かった。紛争地のドキュメンタリー作品も多かった。時勢だななと思う。大変な数の若い写真家が紛争地に行っているのだろう。以前はいいなと思う作品は女性の作品だったことが多かったけど、男も頑張ってるなと思った。だいたい半分が海外の写真家だった。
 今年の選考委員は荒木経惟さん、野町和嘉さん、館長でもある細江英公さん。レセプションには細江英公さん、荒木経惟さんがいらっしゃっていた。荒木さんはスピーチで愛のある言葉で若い写真家の作品を褒め、激励して下さった。やっぱり愛の写真家だ。荒木さんは人気者なのでレセプションの後サインと記念写真攻めにあっていた。旧知の友、中藤毅彦や久野君、内野雅文さんなどと再会。楽しい時間。ワインをがぶがぶ飲む。最近の若いひとはいい写真撮るのにクールだ。あんまり飲まないし話込んだりしない。いつまでも飲んでいるのは僕と久野君と中藤くらい。若い人に一番嫌われやすい年寄りのパターンにしっかりはまっていた。6月20日までやっているのでたくさんの人に是非見にいっていただきたい。
http://www.kmopa.com/ 
この日は増富温泉泊。旅館は林君、さっちゃん、うちの奥さんで遅くまで勝沼ワインと地元の酒七賢を飲みながら話し込む。温泉に3回入る。増富は今人気らしいラジウム泉。分からないけど効きそうなきがする。
 25日は増富からクリスタルラインを通って甲府へ。途中、右に富士山、左に八ケ岳がくっきり見える。マス釣場を見つけてみんなで釣をする。釣り堀のおじさんは無口だけど不器用にサービスがいい。「釣れないぞオヤジィ」っと地元のお兄さんが言うと水の入っていないバケツに魚だけをいれて何も言わずにそっと持ってきてくれる。お兄さんは「釣りたいんだよオレは」とぶつぶついいながら受け取っていた。その場で魚を塩焼きにしてビール。ウマイ。釣り堀のおじさんはあちこちの客からもらい酒をして人格が次第に壊れてゆくのが可笑しかった。最後にはさっちゃんのお尻を触りたそうなそぶりを見せながらニコニコしながらいつまでもさっちゃんと握手をしていた。帰りの中央道のSAで保育園のK先生とばったり。盛りだくさんな2日間だった。

投稿者 Ken Kitano : 08:23

4月25日 清里フォトアートミュージアム

 24日の朝車で東京を出発。メンバーは我が家3人とこのウエブサイトのデザイン他いろいろ助けてもらっているyuhi君、ご近所の現代美術家さっちゃん、フォトグラファーズラボラトリーの平林さん。快晴のもと新緑の清里へ。この時期の清里はとっても気持ちがいい。お昼に美術館着。
 ヤングポートフォリオは35歳までの若い写真家の写真を選考して購入、永久コレクションに加えてくれるというもの。若い写真家にとってはとっても励みになるプロジェクト。今年で35歳の僕は最後の参加となる。第一回目から時々出しては購入してもらってきたので、ここで知りあった友人も多い。今年の作品は全体にとっても力強い作品が多かった。ドキュメンタリーもポップなものも様々な作品があったけれど、どれもゆらいでない、緊張感があって、まっすぐな作品が多かった。紛争地のドキュメンタリー作品も多かった。時勢だななと思う。大変な数の若い写真家が紛争地に行っているのだろう。以前はいいなと思う作品は女性の作品だったことが多かったけど、男も頑張ってるなと思った。だいたい半分が海外の写真家だった。
 今年の選考委員は荒木経惟さん、野町和嘉さん、館長でもある細江英公さん。レセプションには細江英公さん、荒木経惟さんがいらっしゃっていた。荒木さんはスピーチで愛のある言葉で若い写真家の作品を褒め、激励して下さった。やっぱり愛の写真家だ。荒木さんは人気者なのでレセプションの後サインと記念写真攻めにあっていた。旧知の友、中藤毅彦や久野君、内野雅文さんなどと再会。楽しい時間。ワインをがぶがぶ飲む。最近の若いひとはいい写真撮るのにクールだ。あんまり飲まないし話込んだりしない。いつまでも飲んでいるのは僕と久野君と中藤くらい。若い人に一番嫌われやすい年寄りのパターンにしっかりはまっていた。6月20日までやっているのでたくさんの人に是非見にいっていただきたい。http://www.kmopa.com/
 この日は増富温泉泊。旅館はyuhi君、さっちゃん、うちの奥さんで遅くまで勝沼ワインと地元の酒七賢を飲みながら話し込む。温泉に3回入る。増富は今人気らしいラジウム泉。分からないけど効きそうなきがする。
 25日は増富からクリスタルラインを通って甲府へ。途中、右に富士山、左に八ケ岳がくっきり見える。マス釣場を見つけてみんなで釣をする。釣り堀のおじさんは無口だけど不器用にサービスがいい。「釣れないぞオヤジィ」っと地元のお兄さんが言うと水の入っていないバケツに魚だけをいれて何も言わずにそっと持ってきてくれる。お兄さんは「釣りたいんだよオレは」とぶつぶついいながら受け取っていた。その場で魚を塩焼きにしてビール。ウマイ。釣り堀のおじさんはあちこちの客からもらい酒をして人格が次第に壊れてゆくのが可笑しかった。最後にはさっちゃんのお尻を触りたそうなそぶりを見せながらニコニコしながらいつまでもさっちゃんと握手をしていた。帰りの中央道のSAで保育園のK先生とばったり。盛りだくさんな2日間だった。

投稿者 Ken Kitano : 01:45

2004年04月22日

4月22日 朝ドラ「てるてる家族」はよかった。

 久しぶりにNHK朝ドラ「天花」を観る。が、つまらないので途中で消す。最近の朝ドラでは「ほんまもん」、「こころ」もつまらなかった。面白かったのはついこの3月までやっていた「てるてる家族」。「てるてる」が終わってしまったという喪失感が、我が家にはまだある。「てるてる」は毎回、「朝ドラでよくここまでやるなぁ」と、思うほど細かい演出。濃密な朝の15分だった。歌は(基本的にミュージカル仕立てなのだ)振りつき。基本的に喜劇の台詞は複数の人間の絶妙な掛け合いがうまかった。ワンシーンごとのイメージの広がり方がとっても勢いがあった。そんな「てるてる」が歴代視聴率最低とは。いかにミュージカルを観るのにはそれなりの「文法」というか慣れがいるにしても、観る方の文化度が低いのか。ミュージカルは観るほうに”照れ”や”お約束”みたいなものが必要。ある程度文化的成熟が必要なのかもしれない。(ちゃんと観ると楽しい歌や踊り、掛け合いのなかにしっかり悲しみや葛藤が表現されているのに。)それとも「てるてる」は視覚のウエイトが高かったのかもしれない。(昔、和田勉が朝ドラは耳で聞くドラマと言っていた。朝の支度や着替えながら、半分時計かわりに観るタイプのドラマだと。)
 面白かったな「てるてる家族」。

投稿者 Ken Kitano : 08:24

4月22日 朝ドラ「てるてる家族」はよかった。

 久しぶりにNHK朝ドラ「天花」を観る。が、つまらないので途中で消す。最近の朝ドラでは「ほんまもん」、「こころ」もつまらなかった。面白かったのはついこの3月までやっていた「てるてる家族」。「てるてる」が終わってしまったという喪失感が、我が家にはまだある。「てるてる」は毎回、「朝ドラでよくここまでやるなぁ」と、思うほど細かい演出。濃密な朝の15分だった。歌は(基本的にミュージカル仕立てなのだ)振りつき。基本的に喜劇の台詞は複数の人間の絶妙な掛け合いがうまかった。ワンシーンごとのイメージの広がり方がとっても勢いがあった。そんな「てるてる」が歴代視聴率最低とは。いかにミュージカルを観るのにはそれなりの「文法」というか慣れがいるにしても、観る方の文化度が低いのか。ミュージカルは観るほうに”照れ”や”お約束”みたいなものが必要。ある程度文化的成熟が必要なのかもしれない。(ちゃんと観ると楽しい歌や踊り、掛け合いのなかにしっかり悲しみや葛藤が表現されているのに。)それとも「てるてる」は視覚のウエイトが高かったのかもしれない。(昔、和田勉が朝ドラは耳で聞くドラマと言っていた。朝の支度や着替えながら、半分時計かわりに観るタイプのドラマだと。)
 面白かったな「てるてる家族」。

投稿者 Ken Kitano : 01:46

2004年04月21日

4月21日 無題

 ここのところニュースや新聞を意識的に見ないようにしてしまう。例のイラク人質問題のことだ。このニュースに触れると何か「いや〜な気分」になるのだ。この「いや〜な気分」を説明するのは難しい。とりあえず今は誰が何を言っても「未熟な若者が国やたくさんの人々に迷惑をかけた」という構図になってしまう。どうしてそうなってしまうのだろう。「いや〜な気分」が一番誘発されるのは「自己責任」という言葉とこの言葉を声高に言う人々の顔にである。
恐らく戦時中の風景もまたこんなだったのだろうと思う。(生まれてないから知らないけど。)家族が平身低頭している風景は現代のものとは思えない。「自己責任」という言葉を使うと近代的と思っている人々の意識の前近代的な様に辟易するのだ。日本人特有なのか、全国的にある瞬間から、あの外に向かって申し訳ないという、内向きの意識が今一斉に働きだした感がある。出る杭をよってたかって打つ日本人のあのメンタリティーである。人質になった人にも落ち度はあったとは思うが、どんなことがあっても国が国民個人を守るのは最低限当たり前であって、そうでなければ国民は国に何も期待も愛国心も抱きようがない。(だいたい今回戻ってこれたのも彼らの行動をイラクのひと達が支持したからだと犯行グループも言っているじゃないか。もし自分がイラク人だったら「こなことをされてもやっぱりイラクの人が嫌いになれない」という言葉に、それを言った日本人に対して孫の代まで感謝すると思う。3人ののイラクの人に対する友好と支援にむしろ感謝する部分があっていいと思う。今回、真っ先に首相は「自衛隊を撤退させない」と言った。それ自体は仕方ないとしても、前後の言葉にも態度にも国民の命に対する国としての配慮がまったく感じられなかった。(それは最近感じる日本人の内向きダメンタリティーに通じるのだが。)そのことに国に何か裏切られた気がした。そのことをこの先忘れないぞ、と思う。( 今回、北朝鮮拉致家族の方々が国から「国交がない」、「失踪は個人的な事情」とまったくとりあってくれなかった時の、国が相手にしてくれなかったら誰が、というその絶望と孤独を思い出した。)だいたい「テロに対して毅然として望む覚悟」と言っていたけど、いったい何に対してどう毅然としたのだろうか。覚悟ってどの程度の覚悟なのか?ロシアのプーチン首相はチェチェンの劇場占拠事件の時、数十人の国民に犠牲者を出しても強行に鎮圧した。そのくらいの覚悟はあるのか?
書いているうちに腹が立ってきてしまった。もうひとつ大手のマスコミにも腹が立つ。 NGOの人とジャーナリストは基本的に分けて考えるべきだと思うが、拘束されたフリーのジャーナリストは危険を承知の上で自腹でかの地に渡ったのだろうと思う。(先週のSPA!勝谷誠彦さんのコラムに勝谷さんが2月にイラクに行く前に知人に託した遺書というか事件に巻き込まれたときの為の宣言文が載っていた。) 自分のところは誰も出さず命がけで行っているフリーの連中のニュースや写真を配信してもらっているのに、「危険な状況なのになんでわざわざ行くんでしょうか」的なことをいうキャスターや解説者はどうゆう思考回路なんだろうか。自分のところのニュースは誰が取材してきたのか考えたことがないのか。自分で自分の首をしめるようなことだと気づかないとは。郡山さんがどんな仕事をされているか存じ上げないが、是非またかの地に行っていい仕事をなさってほしい思う。
 拘束されて帰国された3人の話を是非聞いてみたいと思う。イラクのことを知っている人たちだし、国や外務省がどんな対応を現地でしていたのかありのままのことを聞いてみたい。

投稿者 Ken Kitano : 08:25

4月21日

 ここのところニュースや新聞を意識的に見ないようにしてしまう。例のイラク人質問題のことだ。このニュースに触れると何か「いや〜な気分」になるのだ。この「いや〜な気分」を説明するのは難しい。とりあえず今は誰が何を言っても「未熟な若者が国やたくさんの人々に迷惑をかけた」という構図になってしまう。どうしてそうなってしまうのだろう。「いや〜な気分」が一番誘発されるのは「自己責任」という言葉とこの言葉を声高に言う人々の顔にである。
恐らく戦時中の風景もまたこんなだったのだろうと思う。(生まれてないから知らないけど。)家族が平身低頭している風景は現代のものとは思えない。「自己責任」という言葉を使うと近代的と思っている人々の意識の前近代的な様に辟易するのだ。日本人特有なのか、全国的にある瞬間から、あの外に向かって申し訳ないという、内向きの意識が今一斉に働きだした感がある。出る杭をよってたかって打つ日本人のあのメンタリティーである。人質になった人にも落ち度はあったとは思うが、どんなことがあっても国が国民個人を守るのは最低限当たり前であって、そうでなければ国民は国に何も期待も愛国心も抱きようがない。(だいたい今回戻ってこれたのも彼らの行動をイラクのひと達が支持したからだと犯行グループも言っているじゃないか。もし自分がイラク人だったら「こなことをされてもやっぱりイラクの人が嫌いになれない」という言葉に、それを言った日本人に対して孫の代まで感謝すると思う。3人ののイラクの人に対する友好と支援にむしろ感謝する部分があっていいと思う。今回、真っ先に首相は「自衛隊を撤退させない」と言った。それ自体は仕方ないとしても、前後の言葉にも態度にも国民の命に対する国としての配慮がまったく感じられなかった。(それは最近感じる日本人の内向きダメンタリティーに通じるのだが。)そのことに国に何か裏切られた気がした。そのことをこの先忘れないぞ、と思う。( 今回、北朝鮮拉致家族の方々が国から「国交がない」、「失踪は個人的な事情」とまったくとりあってくれなかった時の、国が相手にしてくれなかったら誰が、というその絶望と孤独を思い出した。)だいたい「テロに対して毅然として望む覚悟」と言っていたけど、いったい何に対してどう毅然としたのだろうか。覚悟ってどの程度の覚悟なのか?ロシアのプーチン首相はチェチェンの劇場占拠事件の時、数十人の国民に犠牲者を出しても強行に鎮圧した。そのくらいの覚悟はあるのか?
書いているうちに腹が立ってきてしまった。もうひとつ大手のマスコミにも腹が立つ。 NGOの人とジャーナリストは基本的に分けて考えるべきだと思うが、拘束されたフリーのジャーナリストは危険を承知の上で自腹でかの地に渡ったのだろうと思う。(先週のSPA!勝谷誠彦さんのコラムに勝谷さんが2月にイラクに行く前に知人に託した遺書というか事件に巻き込まれたときの為の宣言文が載っていた。) 自分のところは誰も出さず命がけで行っているフリーの連中のニュースや写真を配信してもらっているのに、「危険な状況なのになんでわざわざ行くんでしょうか」的なことをいうキャスターや解説者はどうゆう思考回路なんだろうか。自分のところのニュースは誰が取材してきたのか考えたことがないのか。自分で自分の首をしめるようなことだと気づかないとは。郡山さんがどんな仕事をされているか存じ上げないが、是非またかの地に行っていい仕事をなさってほしい思う。
 拘束されて帰国された3人の話を是非聞いてみたいと思う。イラクのことを知っている人たちだし、国や外務省がどんな対応を現地でしていたのかありのままのことを聞いてみたい。

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投稿者 Ken Kitano : 01:47

2004年04月18日

4月18日

 先週まで「すごろく」のように続いた連続出張が終わって放心気味の一日。伊勢神宮にはじまり、諏訪の御柱、福岡でour faceダイエーホークスファン取材、同じく広島でサンフレッチェファン取材。終わってホッとしたけど体が重い。こうゆう日は昼ビールに限る。昼から駅前の娘の同級生のお父さんがやっているイタリアンのお店で保育園のK先生の送別会。K先生のおかげで本当にいい保育園ライフがおくれました。だいたいはじめのうちは子も不安だが親も不安。K先生の元気な声と温かい人柄(時に親の心にもずばっと入って来るところなど)にどれだけ助けられたことか。感謝です。K先生もそうだけど、クラスのお父さん母さん達に飲み好きな方が多かったのも仲良く慣れた大きな理由。今後ともお付き合いよろしくおねがいします。

投稿者 Ken Kitano : 01:48

2004年04月16日

4月16日 銀座ニコンサロン中沢新一さん講演

 広島から 昼の新幹線で帰京。F社へ直行。某誌で次号から始まる連載企画伊勢神宮の写真最終セレクト。 これはなんと8年後のご遷宮まで続く計画!。
 夕方銀座ニコンサロンで中沢新一さんの講演「写真と帝国」を聞く。すご〜く面白い講演だった。
写真というメディアは微分という概念と通じるという話に始まり、写真というメディアが本来的に我々現生人類がかつて持っていた、世界に対する対称性を持ち続けるメディアでああるというところまでゆっくりと上り詰めた90分。心の中で「そうだ!そうだ!なるほど!」と激しくうなずいたりひざを打ちながらながら聞いてしまった。 昔、東京のランドスケープを撮ったシリーズ「溶游する都市」を撮り始めたころ「写真って微分だ!」とコーフンして周りに言ったけどだれも相手にしてくれなかったのを思い出した。
 写真は常に個と世界を同時に見、個の中に世界、世界そのものが個である、という機能を抱えている。そこが魅力だし、力だと思う。これだけ世界が非対称な価値観に席巻されてきても、写真のそこに期待したいとワタシなども思うのだ。写真が世界をセレクトし、世界を差異の序列に分別してゆくことに使われる表現としての役割がこれ以上ふえたら(圧倒的にその為に撮られ語られる写真が多いのが現状だが、)今世紀中に写真芸術は無くなると思う。しかし写真本来の持つ、個と世界、世界と部分を一緒にみて、感じてゆくような写真が、より多く撮られ、語られることが増えてゆくことワタシは期待したいものだ。そんな思いもあって「our face」は自分に他者を重ね、それぞれの個と無数の他者が一であるいうなイメージを作り続けるようになったのだが。
 そういえば幕末に日本で始めて写真を撮ったと言われる島津斉彬は、鎖国の時代に幕府に見つかれば藩お取りつぶしのリスクの中、秘密に西洋の写真術を研究し苦労の末、初めて撮影したのは、実に自分の娘の肖像であったと言われている。ひとが世界と初めて(写真という新しいメディアを通して)向き合う最初の一歩で、かけがえのない娘という最も個人的な存在を見つめる行為のなかに世界を見ようとしたということは、真に写真の持つ本質的な機能だし、写真の持つ普遍性そのものであるように思える。

投稿者 Ken Kitano : 08:26

4月16日 銀座ニコンサロン中沢新一さん講演

 広島から 昼の新幹線で帰京。F社へ直行。某誌で次号から始まる連載企画伊勢神宮の写真最終セレクト。 これはなんと8年後のご遷宮まで続く計画!。
 夕方銀座ニコンサロンで中沢新一さんの講演「写真と帝国」を聞く。すご〜く面白い講演だった。
写真というメディアは微分という概念と通じるという話に始まり、写真というメディアが本来的に我々現生人類がかつて持っていた、世界に対する対称性を持ち続けるメディアでああるというところまでゆっくりと上り詰めた90分。心の中で「そうだ!そうだ!なるほど!」と激しくうなずいたりひざを打ちながらながら聞いてしまった。 昔、東京のランドスケープを撮ったシリーズ「溶游する都市」を撮り始めたころ「写真って微分だ!」とコーフンして周りに言ったけどだれも相手にしてくれなかったのを思い出した。
 写真は常に個と世界を同時に見、個の中に世界、世界そのものが個である、という機能を抱えている。そこが魅力だし、力だと思う。これだけ世界が非対称な価値観に席巻されてきても、写真のそこに期待したいとワタシなども思うのだ。写真が世界をセレクトし、世界を差異の序列に分別してゆくことに使われる表現としての役割がこれ以上ふえたら(圧倒的にその為に撮られ語られる写真が多いのが現状だが、)今世紀中に写真芸術は無くなると思う。しかし写真本来の持つ、個と世界、世界と部分を一緒にみて、感じてゆくような写真が、より多く撮られ、語られることが増えてゆくことワタシは期待したいものだ。そんな思いもあって「our face」は自分に他者を重ね、それぞれの個と無数の他者が一であるいうなイメージを作り続けるようになったのだが。
 そういえば幕末に日本で始めて写真を撮ったと言われる島津斉彬は、鎖国の時代に幕府に見つかれば藩お取りつぶしのリスクの中、秘密に西洋の写真術を研究し苦労の末、初めて撮影したのは、実に自分の娘の肖像であったと言われている。ひとが世界と初めて(写真という新しいメディアを通して)向き合う最初の一歩で、かけがえのない娘という最も個人的な存在を見つめる行為のなかに世界を見ようとしたということは、真に写真の持つ本質的な機能だし、写真の持つ普遍性そのものであるように思える。

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投稿者 Ken Kitano : 01:49