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2004年10月31日

10月30日 バリダンス

 市のホールでうちの奥さんがやっているバリダンスの踊りの会があった。同好会の発表会程度のものかと思っていたら、演奏者もバリ島の人の生演奏。演出も舞台装飾からチラシその他も手の込んだ舞台になっていて、お客さんも雨の中たくさん来ていた。ここ数週間準備のためにうちの奥さんも忙殺されて、家族もふくめ終わった後はへとへとモードだった。でも舞台はキレイで力強かった。特にバリの人の生の「ケチャ」はよかった。一度バリで数十人のケチャを聞いてみたい。
 くたくたの夜はまたしても鍋。
 夜、原宿の子たちの原稿を書いたら何となく思い出して以前買った嶽本のばらさんの「下妻物語」を読む。茨木の風景とロリータとヤンキーの取り合わせが面白い。随所にちりばめられたギャグ。映画は、観ていないけど深田恭子さんと土屋アンナさんはぴったりの配役だと思う。以前雑誌「ケラ!」で原宿に来る子の家族の肖像の写真を担当させてもらっていたころは、実際何度か茨城の女の子の家まで取材に行ったことがある。ケラの仕事などでゴスロリの子たちに接していると、ロココというのもあるけれど、クリエイティブなものと一緒に同居するある種の独善的なものをいつも感じるけれど、読んでいて主人公の桃子のキャラクターにもそうした独善的な自由さがあってなんというか合点がいく。(ロリータの人に限らず、元来この世代の女の子はあるところ独善的で自由な存在だともいえるかも)地方都市と地方都市という関係もリアルだった。聞いてみると結構遠くから原宿に苦労して来ているんだよね。みんな。
 「下妻物語」を読み終わって(また極端だけど)今度は読みかけだった中上健次の「奇蹟」を読み始める。これまた新宮のお燈祭の原稿を書くのに久しぶりにちょっと「火祭り」を読みはじめたら止まらなくなって、中上世界の濃密さにまるで過呼吸しながら一歩づつ一語づつ狼狽したり、想像が追いつかなくて目まいしたりしながら読み進んでしまう。この間も佐藤信太郎と電話で話したけど、もし中上健次がもし今も生きていたら、人間の「生き死に」について、希薄さへ向かう他者への私達の想像力についてどんな発言しそれがどんな重力を持っただろうか。などとふと考えてしまう。
 まったく違う小説だけど「下妻物語」をよんだ後だけに、10代の女性とは対象的に10代の男はつくづく本人の思いなど持ちようがないくらい思い通りに生きられない存在の不自由な様を感じる。 
 

投稿者 Ken Kitano : 10:41

2004年10月24日

10月24日 六日町で地震に遇う 

 最初何が起こったか分からなかった。前日から、ある酒造蔵の撮影を終えて車で帰途についたところだった。とにかくクタクタだったので高速にのる前に温泉にでも入ろうと、六日町駅の案内所ですぐ近くの温泉の銭湯の場所をきいて、銭湯に向かって駅前の商店街の信号に止まろうとしたときだった。激しい横揺れ。商店街の歩道の天井がバリバリ音をたてて揺れている。車の屋根に何かがあたった音がした。小さくひとの悲鳴も聞こえた気がする。揺れはなかなか収まらない。弱まったりまた強くなったり。ひとしきり落ち着くと、一斉に町中の電気が消えた。信号の灯も消えた。暗くなったあちこちの建物から人が出てくる。なぜだろう、地震のあとひとはみな地べたにしゃがみ込む。
 とりあえず風呂はなしにして六日町インターに向かう。町は真っ暗。くらがりをよく見ると人が歩いている。六日町インターチェンジの建物は非常用電源があるのか、明かりがついていた。しかし通行止め。とりえず車の道具入れから懐中電灯をだして公衆電話で自宅に電話とトイレ。車内でニュースをききながら1時間ほど様子をみる。その間も強い余震が時々起こる。一番強い揺れの時、遠くの空が白く光った。1時間経っても国道の信号もつかない。早く新潟を離れるほうがいいと判断。国道17号線を南へ。幸い対向車が絶えないので国道は寸断はされていないらしい。ラジオから各地の情報が入って来る。どうやら被害は新潟中心で東京方向は大丈夫そうだと分かる。それにしても灯は車のヘッドライトと月明かりだけ。ひたすら真っ暗な国道を走る。町の人もドライバーも落ち着いて行動している感じだ。静かだ。途中セブンイレブンによる。暗がりの中、店内に結構人がいる。驚いたことに店内の灯や冷蔵庫は消えているのにレジの電源は生きている。さすがコンビニである。近所の人が電池や水を買いに来ていた。さっそく冷たいパスタとパンを食べて落ち着く。
 さらに越後湯沢、石打あたりの高層ホテルは灯がついている。おそらく非常用電源があるのだろう。
ところどころ電車が立ち往生している。湯沢でガソリンスタンドが一軒開いていたので給油する。これで安心。とりあえず東京まで帰れる。
 もうすぐ群馬県だという山間で電気がついた建物があったので車を止めると町営温泉で、なんと普通に営業していた。風呂上がりのひとが普通に食堂でテレビでニュースを見ている。ちょっと浦島太郎な感じだ。この先も長いので自分も風呂に入って小休止する。こんなときに風呂にはいいるのもどうなのか、とも思ったが、どうやら被害地域を脱出した感じなのでここで一休みする。ふたたび走り出す。ラジオでは渋川伊香保インターから高速を走れると言っているのでとりあえず渋川をめざす。県境あたりから電気がつきはじめた。月夜野インターから上りが入れたので高速に。高崎を過ぎたたりでNHK以外のラジオも入りはじめる。TBSで椎名林檎の曲がかかっていた。すごく安心した。音楽っていい。
 夜12時ころ帰宅。帰ってこれてよかった。うちの奥さんも起きていて、安心した様子だった。
 

投稿者 Ken Kitano : 12:45

2004年10月19日

10月18日 ブラックジャック

 気持ちのいい秋晴れ。我が家の周りは少しずつ落ち葉が落ちはじめた。今年ももうすぐ落ち葉炊きのシーズンである。今日は久しぶりに家で作業。our faceの追加取材で話をお聞きしたい方々に手紙やら資料やらを書いて発送しているうちに夕方になっていしまった。原稿も少し。資料の日本の農業の本を読んでメモをまとめる。お祭りや酒の取材で各地で見てきた日本の農村のことと、海外でみた広大な大農場の風景と安い輸入農産物のイメージが、読みながら頭のなかで重なる。日本の伝統的な「108の手間をかけてつくるお米」に代表される日本の農業が、桁違いの生産コストで世界の競争に敗れ、食料自給率は先進国でダントツの低さの40%(カロリー計算)。自給率をあげるには所得格差を兼業化でうめてきた零細農家から大規模で専門的な農業経営にシフトしなければいけないわけだけど、伝統的な農業文化や宗教観とどう両立させて変えてゆくか難しい問題。結局消費者や国民の意識が高まって方向を支持していくしかないのでは。資料を読んでいて農村の高齢化が一般より20年進んでいると知って驚く。our faceの取材でも千葉の生産者の方達を取材したりして、高齢化は感じていたけど、実際にそんなに高齢化しているとは。食と農漁業のことは大事なことがいっぱいあるけど短い字数にまとまらないので困ってしまう。
 夕方佐藤信太郎から電話。いつ「焼きとん」を食いに行くか相談する。できれば夕方4時くらいに下町の銭湯にはいって、コの字のカウンターで焼きとんを食いながらビールかホッピーを飲みたいものである。ちょっと夢か。とりあえず来週中に東十条辺りに出没する方向で打ち合わせる。その電話の後すぐに白根全さんから電話。ペルーの写真家マルティンチャンビの写真展を日本で開きたいと以前から話していたが、白根さんの方でその後進展があったらしい。チャンビはとってもいいので、ぜひ日本で大規模な展覧会をやりたいものだ。夜、晩ご飯(また鍋)のあと家族でアニメでブラックジャクを観る。結構丁寧に作ってあったし、声の違和感も少なくて面白かった。
 夜中に車で新宿のクリエイトまでポストに現像をとりに行く。車中ラジオで「伊集院光の深夜の馬鹿力」を聞く。めちゃめちゃ面白くて爆笑しながら深夜の青梅街道を走る。

投稿者 Ken Kitano : 13:42

2004年10月14日

10月13日 三越歌舞伎

 午前中原稿書き。昼に渋谷パルコで「スズキコージ展」を見に行こうと思っていたのにキリがつかなくて間に合わず諦める。午後慌てて三越劇場へ。今回パンフの写真の一部を撮らせていただいた。市川亀次郎さん、片岡愛之助さん、中村獅童さんの若手人気役者3人の舞台とあって劇場は華やかな空気に包まれている。演目は「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」と黙阿弥の「弁天娘女男白浪(べんてんむすめおのしらなみ)」。三越劇場は舞台が近くていい。双蝶々曲輪日記は大阪の相撲場の話。豪商の息子与五郎と力士放駒の二役をこなす愛之助さんはコミカルで華やかさがあって素敵だった。関取濡髪役の中村獅童さんは迫力があってカッコよかった。ふたりがお互い立腹して”怒り”の見得をきるところは見ごたえがあった。「弁天娘女男白浪」は亀次郎さんが美しい武家娘が実は男で盗賊と見破られてがらりと男に戻り本性を現すシーンはグググーッっとひきつけられて圧巻。有名な「知らざあ言って聞かせやしょう〜」の台詞の場面だ。最後に泥棒の「白波五人男」が勢ぞろいする場面は華やかで美しくて見事。目に焼き付く華やかさだった。ここでも今をときめく中村獅童さんは迫力があってカッコよかった。(さっきから形容詞が華やかとカッコイイだけでまったく語彙が貧困である。)終演後早く帰って仕事したほうがいいと思いつつ袴田さんと有楽町「日の基」で飲む。

投稿者 Ken Kitano : 07:14

2004年10月13日

10月12日 運動会

 昨夜遅く通路まで満員の新幹線で帰宅。交通は混むし、店は閉まるし、曜日に関係のないフリーとしては連休を作るのは止めて〜。
 今日は娘の保育園の運動会。一度雨で順延になって、今朝も雨なのでダメかと思ったけど9時頃には止んでくれた。この日のために娘のクラスはかなり盛り上がっていたのでできてよかった。珍しくおじいちゃん、おああちゃんも観に来て娘はおお張り切り。障害物競走、リレー、ダンスなどをやる。結構力強くていい感じだ。夕方打ち合わせのため吉祥寺へ。ライターSさん、編集Kさんと喫茶店「くぐつそう」。はじめていったけど珈琲が美味しかった。次はカレーを食べよう。Sさんの企画の職人をテーマにした本の打ち合わせ。
 帰って鍋。ちなみに我が家はもうこたつである。奥さんと娘がお豆腐屋さんで焼き豆腐と白滝を買ったら、お豆腐屋さんが「よかったね、今晩はすき焼きだね」・・・。いーえ、ただの水炊きなんです。そして原稿書き。10月に入って猛烈に忙しかったので、殆ど原稿は手付かずになってしまった。困ったことに「順調に遅れて」いる。とほほ・・。 

投稿者 Ken Kitano : 12:55

2004年10月12日

10月9日 鳴門で台風

 7日から撮影で淡路島へ。神話の里を巡る連載のため。国産み神話でイザナミ、イザナギがなんでオノコロ島(淡路の小島)と淡路を最初に産んだのかなーって思っていたが、実際訪ねてみると、肥沃な土地(今も昔も普通に三毛作!!スゲエ!)、温暖な気候と近畿や瀬戸内との位置関係と瀬戸内の海流など、黒潮に乗って他所から来た人が、住みはじめるのに調度いい環境だったと教わる。こうゆうことは行ってみないと分からないものだ。撮影は台風の影響ではかどらず、ついに9日は鳴門で臨時のオフ。ホテルの近所の散髪屋で髪を切ったり(20年ぶりくらいで床屋で髪を切ったけど、いいもんだ)、痛んでいた財布を買い替えたり、うどんを食ったり、原稿書きをして過ごす。(最近は出張にもノートパソコン持参だ)せっかく鳴門なのにしけのため編集Iさんとおすし屋さんに入るもネタ無し状態。残念。

投稿者 Ken Kitano : 12:44

2004年10月04日

10月3日 暗室

 雨で寒い。奥さんと娘はバリダンス発表会のリハーサルにいっている。こっちは朝から暗室。大量のベタとり。雑誌の新企画をモノクロ粗粒子で撮ったんだけど、そもそもこれでいいのかなぁ、でもこれでやるしかないでしょう、撮っちゃったんだし、という感じで作業する。夕飯はパスタと鳥肉を焼こうと思ってスーパーへ。いつもいっているスーパーの駐車場が混んでいたので、めったに行かない遠いスーパーに行ったら、焼き立てのフランスパンが安く売っていたので買う。鳥肉も3割引きしていて何だか得した気分。
 帰りに近所のさっちゃん美術研究所をのぞく。彼女は小さなギャラリースペースを借りて作品制作と展示、研究の拠点にするようだ。さっちゃんは近代以降成立したミュージアムという概念とか美術について最近は関心をもっているみたい。さっちゃんのウエブサイトは
http://homepage3.nifty.com/yoursong/
さっちゃんの作品を見に来ていた俳人の方とバンドをやっている方と話していると佐藤信太郎から無事作品展が終わったと電話がはいる。前半は天気が悪かったけど後半は土日を中心にいろんな人が観に来てくれたようだ。関係者や違う分野の人も何人か見に来て話せたようで、よかったよかった。若い人も結構見に来たようでよかったよかった。写真の場合は、撮ることとそれを形にすること、そして見せるところまで、きちんとやるととても時間とお金とエネルギーがいる。だからやるならなるべくたくさん人に見てもらっていろんな反応があれば受けたいし気に入ったら買ってもらいたいものだけど、時期やタイミングとかいろんなことがあるから展覧会って難しいところもある。ともかくいい形で終わったようだ。さっちゃんの「麗子シリーズ」も佐藤信太郎の「非常階段東京」も、一回何かやって終わりという仕事じゃなくて時間をかけて遠くまで進んで行けそうな感じがするので今後も楽しみだ。とりあえず佐藤信太郎とやきとんを食わなくてはいけない。

投稿者 Ken Kitano : 22:51

2004年10月03日

10月1日 しょうぼうていハーヴィー

 朝、個展開催中の佐藤信太郎から電話で「客が誰も来なくて腹が立ってきたので、渋谷の街で暴れていい?」という屈折した愚痴を聞かされる。「つかまったら警察にはけんちゃんの名刺を出しておくから」と引き続き困ったことを言うので、とりあえず「会場にメモでも残して渋谷の町をお散歩してみては」と健康的なアドバイスをしておく。
 代々木のぶうぶう亭で豚カツを食べてから雑誌の撮影のため西荻窪へ。西荻は昔3年半住んでいたのでなつかしい。安くておいしい店があって若い人もたくさん住んでいて大きすぎずとってもいい街だ。また飲みに来よう。撮影が終わったころ佐藤信太郎からまた電話。「あの後たくさん人が来てたくさん感想も聞けて結構面白かった」とゆうことをいちいち電話してくるのがかなり能天気である。 
 家に帰って奥さんと「しょうぼうていハーヴィー ニューヨークを守る」の話しをする。この本はマイラカルマンという人が描いた絵本で、どうゆう話しかというと1931年にN.Y.で作られた消防艇のハーヴィーはハドソン川で桟橋の火事を消す消防艇として活躍してきた人気者。やがて桟橋も使われなくなり廃船になる運命だったハーヴィーをフロランというレストランの常連客たちがお金を出し合って買うことに。修理して化粧直ししたピカピカのハーヴィーは再びハドソン川に戻ってきた。そんな2001年の9月11日朝。ニューヨークに大きな悲劇がおこる。知らせを聞いた仲間達はハーヴィーにのって現場へ。もうハーヴィーが消防の仕事をすることはないだろうとだれもが思っていただが、消火栓が瓦礫の下になって消火活動ができない消防車にハーヴィーは4日4晩水を送り続けて消火活動をする。後日、大活躍したハーヴィーに市から感謝状が贈られた。ツインタワーは無くなりたくさんのひとが亡くなったニューヨークでハーヴィーは再び静かに暮らすに戻った。この本のいいところは絵もかわいいのだがテロのことを描くのに誰が何をしたということは一切いわずに、ある日「おそろしいことがおきた」だけ書くのだ。
 そもそもこの本のことは漫画家の久住さんからうかがった。以前この本の英語の原本を見た久住さんが気に入っていい本だから誰か日本で出さないかと思い、そのことをHPに書かれた。それを読んだ出版社リトルドックプレスの方が是非出したいとアメリカの版元に交渉を始めた。小さくて新しい会社なので始めはいい返事をもらえなかったが、著者が以前リトルドックプレスで出した本を見て一発でOKを出した。その後翻訳者を探したが誰も受けてくれない。なぜかというと親米の立場と思われたくないからという。それもおかしな考えだ。それならとだめもとでとミュージシャンの矢野顕子さんに打診したらすぐにOKがきた。そのようないきさつがあってようやくこのかわいらしい絵本が生まれた。で、偶然なんだけどそのリトルドックプレスと私も仕事をしていたのに最近気がついた。近く文芸春秋が出す新撰組の本で、以前私がSPA!エッジな人々で撮った浅田次郎さんの写真を使いたいというのでお貸ししたのだが、その本の編集制作をしていたのがリトルドックプレスだった。FAXだけのやりとりだったのですっかり忘れていた。本というのはいろんな人の熱意やきっかけが重なって世に出るものだけど、小さくて志の高い出版社がガンバッてこのような質の高い本を出すというのはいい話しだ。

投稿者 Ken Kitano : 15:59

2004年10月01日

9月29日 佐藤信太郎展と消防艇ハービー

 昼、堀内カラー杉並に行ったその足で西新宿「白龍」でトマト湯麺を食べようと行くが閉まっていた。ランチもやっているように聞いていたのだが。残念。ここの内装はガウディーのサクラダファミリアの様。細かいステンドグラ。擦りガラスの透かし。そして圧巻は左官界のプリンス淡路島の久住さん親子による漆喰の壁と屋根。桂離宮まで手がける職人による豪華な空間。素晴らしいのはだけでなくもちろん料理と夜に演奏される音楽もいいらしい。ま、仕方なく隣のカレー屋が賑わっていたので入るが、これは大したことがなかった。なんで混んでいるのか分からない。その隣のパエリヤ屋さんのランチカレーのほうがよさそうだった。失敗。
 その後渋谷の佐藤信太郎展「非常階段東京」へ。このシリーズは生ではじめてみるけど、大全紙のプリントで見ると気持ちいい。ある地点から、ある時間帯、あるアングルで、・・、ごく自然にみえて、実は限られた、たくさんの方法というか、回路というかを通り抜けて(まるで針の穴ともうひとつの針の穴を一緒に通すような・・)微妙な方法を通り抜けた眼差しで、強く世界を見つめられたとき、そこに現れる写真は、小さな個と全体だったり、ささやかなものと遠いものだったり、誰かのものと別な誰か世界だったりを、本来同時に見えないものが一度に、等価に渡せたりする。あるリアリティの取得というのは、まるで宇宙戦艦ヤマトがワープするみたいに、どうしたってたつながりっこなかったものがいくつもの何かを越えて同時に見渡せ、繋がり、現実が感じられることの率直なヨロコビ。そうゆうことをとっても私的なバショで、シンプルな方法でやろうとしていることに、歳も同じわけだけど、近いものを、勝手に少し感じる。その時、何かをなくすかもしれないというリスクみたいなものを思い切って越えてやってる、みたいなことも感じたけど、実際そうゆう部分があるのかどうかは知らない。うまくいえないが、以前の写真とはまた違う、「守ってない」みたいなものも率直に感じたりしたけれど、そうゆうことはたぶん酒を飲んでいてもお互い話さないだろう。料理のレシピだけで面識のなかったうちの奥さんを紹介する。夕方、雑誌の撮影。
 夜帰るとアマゾンから注文していた本がどっさり届いていた。その中に絵本「消防艇ハーヴィー ニューヨークをまもる」もあったのでさっそく娘と見る。かわいい。この絵本が出版されるまでにはドラマがあったことを最近不思議な縁で知ったのだけど、でも書くと長いのでまた今度にする。

投稿者 Ken Kitano : 01:21