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2005年05月24日

5月24日 刷り出し2日目

 朝10時から江戸川橋の印刷所へ。昨日に引き続き写真集の印刷に立ちあわせて頂く。昨日はモコモコの多い、ハーフトーンの写真が多かったが、今日は「新地のホステスさん」、「神倉山火祭りの上がり子」、「平敷屋エイサー」、「高野山専修学院の修行僧」など黒の多い絵柄が続々登場。そうゆう写真は濃いシャドーの中に微妙に”気配”のように、よく見るとデティールがある。こうゆうオリジナルプリントが持つ、濃淡の中の、写真の奥行きみたいなものは、申し訳ないけどウエブ上では見えないし感じられないもの。そんな黒の中の(微妙な)黒を刷りの中で原板に近づけてゆく。やるうちに、これがまた微妙でいい”黒”が出てくるのだ。そうゆう刷りは原板と並べて見比べていると、瞬間どっちが原板か忘れる(単に当事者意識を忘れて見入っているだけか?)。そんなシャドー多めのイメージに混ざって「新潟アルビレックスチアリーダーズ」などハイキーで明るい写真もある。今までハーフトーンばかり気にしていたのと反対に、思い切ったパキーンとした感じへと持ってゆく。暗室でプリントをしていても同じだけど、文句なくぴったりの画像が上がったときとゆうのはなんとも気持ちがいい。
 印刷の立ちあいとゆうのは次の刷りが上がるまで30〜40分時間がかかる。その間、写真集のDMの宛名を書いたり、窓社の西山さん、印刷所ご担当の田地さんとゆっくりお話ができる。西山さんとは今まで本の打ちあわせ的な話題でしか話したことがなかったが、写真のこと、本のこと、井上ひさしさんの演劇のこと、旅のこと等々、いろいろお話しできて、それもまた面白かった。とゆうか勉強になった。窓社が写真集や写真批評の本を出されているのはここ数年ことだそうだ。それまでは哲学、スポーツ、社会科学など多分野に渡って本を出されていたとのこと。やっぱり写真から写真が生まれるのではないなと実感。写真から生まれた写真はつまらない。どんなことがあっても優れた写真の仕事(撮ることだけでなく編集、批評、キュレーションも含め)は現実のなかかから生まれてくる。西山さんと話していてそのことを改めて思い出した。それと考えてみると普段仕事で接する編集者とゆうのは40代までの人が多い。50代以上になると大きい出版社では管理職になって現場を離れてしまう。特にカメラマンは現場仕事なので、上の人は、お会いしても最初の打ちあわせだけとゆうパターンが多いのだ。今回のように(西山さんは極めて年齢不祥であるが、状況証拠から判断して恐らく50以上60未満と推測されるが、)経験を積んで、いろんな本に携わられたベテランの編集者とみっちり組んで、意見をたたかわせて仕事をするのは初めてで、今回はありがたい体験。それと印刷所のフクインさんは荒木経惟さんの写真集「日本人ノ顔プロジェクト」はじめ数々の写真集や雑誌「D/sign」なども手がけておられたことを知り、著名なデザイナーさんや他の写真家のこだわり方などについて田地さんに伺う。夜になって最後に表紙カバーが上がる。小さい判型なりに表紙としての存在感がでていて安心。今更遅いけど、ある意味怖いというか気持ち悪い写真なので女性に手に取って頂けるか心配になる。取りあえず第一印象での”なんだこれ!?感”はある程度出ていると思う。が、実際の書店に置かれたらどうだろう・・。表紙に健闘して欲しい。
 9時を過ぎて終了。高田馬場で西山さん、田地さんと3人で無事終了の祝杯を上げる。楽しい。実に楽しい。楽しいのは酒を飲みながらだからだけではなさそうだ。写真を前にしていると絶対にこうゆう広い振幅の、弾んだ会話にならない。やっぱり磁力が働くから。でも同じ写真を通して意見交換したり世界の共有体験がなかったら、つい先日お会いしたばかりでこうも話は弾まないだろう。
 たくさんの方のお陰で本が出来つつある。後は無事完成し、多くの人に手に取って頂き、また書評やメディアに取り上げていただくよう期待するのみだ。買って下さい。

投稿者 Ken Kitano : 2005年05月24日 20:02