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2005年08月31日

8月30日 シアターガイド

朝から現像屋さん、プリント屋さん5軒を廻っていたらそれだけで夕方になってしまった。大急ぎ納品の仕事。昨日カラーネガで撮ったフィルムを35ミリ、ブローニの別に早くできる業者から業者へ持って廻り、フォトグラファーズラボラトリーでプリントの発注にこぎつける。帰ったらシアターガイド10月号が届いていた。後半187頁からのラジオ特集ではライター袴田さんと私で〈ラジオの魅力について〉対談しています。是非ご一読を。今日電車の中で録音したTBSの伊集院光さんのラジオを聞いていたら、近くAMラジオを聞ける携帯が発売になるらしい。買うしかないな。

投稿者 Ken Kitano : 07:01

2005年08月26日

8月25日 台風

 朝娘を送り出した後車で都心へ。台風が来ていて時折激しい雨。道も混んでいる。赤坂のフォトグラファーズラボラトリーでプリントの発注。知人のライターの鈴木裕子さんの本の写真。昨年から今年にかけて取材した女性の職人さんのインタビュー集の写真。家具、陶芸、友禅、和菓子、竹細工、和裁・・。久しぶりにベタを見ながらじわじわ取材の過程を思いだす。身体を使って仕事をするひとのフォルムって強い。どの人も殆ど化粧をしていないのに体全体から実にしっかりしたオーラのようなものが出ている。粗選びしてキャビネでプリントをお願いする。
 再び車で芝浦のPGIへ。『our face』のプリントをポートフォリオにするべくシート選び。10×12という中途半端なサイズのプリントなのでいいシートがみつからず、結局11×14のシートで三角コーナーを使ってまとめることにする。支払いをしていると奥から高橋さんが現れて立ち話に。今年の東川フォトフェスタの話を聴く。東川は夏前に突然フォトフェスタを丸ごと請け負っていた企画会社が倒産。6月に役場のTさんと話したときは「町の人やボランティアスタッフでなんとか続けます」と電話で言っておられたが、どうにか無事終了したようである。来年以降予算の縮小は避けられないだろうし、どうゆう形で続けてゆくか気になるところだ。北海道の学生達らが意識を持って積極的に取り組んでくれると変わってくるのかもしれないが・・。
 再び車で銀座のカラーサイエンスラボへ。大阪で一点だけ(!)売れたプリントの発注。プリンターの石島さんに遅ればせながら写真集を見せる。
 都心で三軒廻っただけで急いで高速を帰宅。娘は友達のTちゃんちで遊んでいてもらったので迎えに行く。Tちゃんとふたりでテルテルぼーずを30個くらい作っていた。

投稿者 Ken Kitano : 08:52

8月24日 今井さん

 火曜の夕方、娘が学童から帰るとすぐ横浜の今井さんのところへ行く。今井さんはカウンセラーをしたり自宅でフリースペースを開いたりしたりしている元気なひと。踊りをやっているのは知っていたけど、新に陶芸とイメージフォーラムで映画制作の授業を受けて最近は映画まで作っていた。今井さんの周りにはとにかく若い元気な人が多い。わりと美形の男女が多いのは今井さんの好みなのか?(『our face』にも「フリースペースシャーロックホームズ」の人々として紹介している。)久しぶりに飲むことに。今井さんの他にバーテンとして自分の店の独立準備中の榎原さん、今井さんの姪ごさんも一緒に近所のお寿司屋さんへ。榎原さんはTBSラジオの「伊集院光 日曜日の秘密基地」のコーナー「打った、勝った!草野球で大売り出し」にバッターとして登場してもらう予定。このコーナーは宣伝したいことを伊集院さん率いる若手芸人チームと草野球で三打席対戦し、ヒットを打つとラジオでCMを制作して流してもらえるというナイスな企画。誰でも応募できる企画なので毎回多彩な企画が持ち込まれる。(TBSラジオのホームページから応募フォームを見られます。)写真集の宣伝をかけて打ってもらうことに。榎原さんはハンドボールで高校をスポーツ推薦されるほどの運動神経。今でもジョギングの途中にプールやバスケットコートがあるとついトレーニングしたくなってしまうので、極力プールの閉まっている時間に走るようにしているそうだ。是非ヒットを打ってCMをゲットして頂きたい。今井さんとも日本酒を飲みながら閉店までもり上がる。たくさん飲み食いしたのに5人で1万8千円。随分サービスしてもらっていると思われる。帰りは台風の影響で笑っちゃうくらいの土砂降り。みんなでずぶぬれになりながら帰る。あまりにずぶ濡れなので「シャンプー持ってくればよかったね」などと言いながら、走りながら可笑しくなってみんな笑いながら帰る。
 翌日は娘と野毛山動物園を見てお昼に帰宅。疲れたので少し仕事を片づけて、夕方ふたりで健康ランドでまったりして帰ってカレーを食べて寝る。

投稿者 Ken Kitano : 08:27

2005年08月22日

8月22日 

 朝、学童に行く娘のお弁当を作って送りだした。妻も九州に旅立っていった。昼間、大阪展から戻ってきた作品の荷ほどきする。プリントを額から外してファイルに戻す。本当はブックマットの状態で保存したりプレゼンするほうは断然いいのだが、今回はお金がないのでできなかった。プリントは生のままシートに収めてボックスに入れることにしよう。
 夕方帰ってきた娘に「お弁当にはフリカケを入れてね」と言われた。娘は学童から遅くとも4時半には家に帰りたいと常々申している。4時に家にいるとなると外出は極度に制限される。今週はひっそりしているしかなさそうだ。でも明日は横浜の今井さんと久々に飲む約束。娘よ付きあっておくれ。

 お知らせをふたつ。
 その一。9月11日放送のNHKbs2「週間ブックレビュー」という番組の「お勧めの一冊」というコーナーで『our face』が取り上げられるそうだ。放映は9月11日の午前中で通常は、深夜12時頃に再放送もされるが、今回は選挙があるので再放送は無しになるかもしれないとのこと。
 その二。9月6日発売の雑誌「すばる」にインタビューが載ります。
 

投稿者 Ken Kitano : 23:03

2005年08月21日

8月20日 流しそうめん

 保育園の仲間が久しぶりに集まってうちで流しそうめんをやった。(そうめん流しと言う人もいるがどっちが正しいんだろう?)竹をつなげて水を流す。そうめんやゆで卵、最後に切った梨や蜜柑まで流した。結構盛り上がった。仲のいい子供たちが再会して急速に盛り上がっていた。なんか正しい夏休みな雰囲気。サッカーや野球を始めた男の子もいて逞しくなっていた。子供たちが帰った後の我が家は戦闘の後の廃虚という感じに荒れ果てていた。毎度のことだけど。夕方娘は同じ歳の従姉妹のいる兄の家にお泊まりに行くと家が急に静かになった。風がもう秋だ。明日から一週間うちの奥さんが九州に出張なので頑張らなければ。

投稿者 Ken Kitano : 16:58

2005年08月20日

8月19日 納品

 家でプリントを出力して先日インタビューを受けた「すばる」編集部と祭の原稿を書いた「relax」編集部へ納品。「すばる」編集部他文芸書籍の編集部は新しいビルに移っていた。以前藤沢周さんの単行本「焦痕」カバーの時にお世話になったsさんともご挨拶できた。マガハではついでに随分前の仕事のフィルム伝票をブルータス編集部に行ったらsさんが「写真展やってたんだって?」と言われる。ブルータスの記事に写真展情報も載せて下さっていたのを読んだらしい。「北野君がこうゆう写真撮ってたなんて全然知らなかったよ」と言われる。実際仕事でお付き合いのある編集者で作品のことは一切見せたり話したことがない人は多い。sさんは普段お会いしても、お忙しいのと、接点がないのと、怖そうなので挨拶くらいしかしたことがなかった。ちょうど9月の杉本博さんの特集号を作られていたので初めて写真の話を少しする。知らなかったがs さんは相当写真を見ていらっしゃる方だった。いろいろな方面の写真を詳しかった。今度のザンダーとベッヒャー派の写真もすでにドイツで見てきておられていた。
 現像屋さんから頼んでいたデジタルのインデックスプリントが原因不明で出来ないと帰りに電話がある。たかだかインデックスくらいさっとプリントしてくれよ、と言いたいがどうしてもうまくいかないと言われる。納品を明日にずらしてもらい、自宅のインクジェットでトライするも確かになぜか普通のJPG.データなのにメモリ不足になったり、急にストップしてうまく行かない。 TBSの「アクセス」を聴きながらなんとかかんとか小分けにして繰り返しているうちにやっと出きる。訳わかんないよまったく。単にデジ慣れ不足なのか。
 今日はクリアで強い陽射し、青空と風と夜は満月。すご〜く写真撮りに行きたかったのに納品と出力で一日終わってしまったよ。もう夜中だし。ビール飲んで寝よ。

投稿者 Ken Kitano : 01:28

8月25日 西伊豆

 水、木と娘と2人で西伊豆の戸田へキャンプに行ってきた。うちの奥さんは来週の出張の準備などで来られなかった。西伊豆はこじんまりとして、ひなびていていい。釣して、泳いで、釣して、温泉入って、釣して、蟹取りして、泳いで・・。なぜか堤防や池で釣りをよくした。うちの娘は普段からメダカ取り、ざりがに釣り、虫取りなどが好きである。たぶん前世は狩猟民族だったに違いない。子供と水辺で2人なので、気が休まる時間がなくて結構疲れた。でも楽しかった。帰り道、真っ暗な海外沿いのワインディングロードを走りながら、漁船の漁火と対岸の(清水あたりか?)の街の灯が海に写って綺麗だった。月も明るかった。

投稿者 Ken Kitano : 01:17

2005年08月16日

8月15日 さよなら欅

 我が家の頭上に覆いかぶさるようにそびえていた欅の大木を切る作業が始った。裏の小道を幹がふさぐように育っており、以前から車の通行を妨げていたのは確か。でもやっぱり寂しい。この木のお陰で夏も涼しく、また外から丸見えの私の仕事部屋もカモフラージュしてくれていた。何より安心感があった。昨日は木の前のご近所のOさん一家と突然訪ねてきた大学の写真部の友達の上野君、松本さんらでお別れのバーベキューをした。チエーンソーの音がいたたまれず、早めに外出する。
 午後、納品2件に打ちあわせ1件。p社のKさんが近く出版予定の巨匠S氏の写真集のパブリシティーのことで相談を受ける。僕の本よりずっと高価な本なので、メディアにもむやみに献本できない。こうゆう本のパブは大変である。靖国神社の前を通ると凄い数の警備と街宣車が止まっていたり、走っていた。街宣車にもこんなに種類があるのかと感心した。帰りにDoCoMoショップによって修理と新しい電池の手続き。とてもよい対応でした。
 relax編集部の方から連絡があり、お気に入りの祭について短いコラムの原稿依頼。今年の夏はどこの祭にも行けなかった。沖縄の八月踊りには行きたかったのだが・・。夜は激しい雷と雨。そんな中遠くで花火の音。西武園遊園地の花火だろう。娘はなかなか寝つけないようだった。

投稿者 Ken Kitano : 09:40

2005年08月14日

8月13日 お台場

 雑誌の取材でお台場のコミケ(コミックマーケット)に初めて行ってきた。東京湾花火大会にフジテレビのイベントなどが重なり、お台場全体オソロシイほどの人出だった。コミケはビックサイト全体ぎゅうぎゅうの人混み。人をかき分けて企業ブースに辿り着くと、「一番空いている時間に来られてよかったですね」と言われて絶句。これでも昼間は空いているそうである。午前と夕方は入るだけでも大変らしい。いろんな人がいた。
 脱出するようにお台場を離れて帰って原稿を書く。

投稿者 Ken Kitano : 09:16

2005年08月13日

8月12日 すばる

 午後、文芸誌「すばる」の取材の方が遠路お越しになる。『our face』についてインタビューアーの井上さんからの質問にうまく言葉がでない。以前、一連の写真について「現れてくる顔そのものは僕にとってはどうでもよく、むしろ周辺や背景のモコモコが大事だし、リアルだ」と言う意味のことを言ったことがあった。そのことを井上さんが覚えていて「どうして周辺のモコモコがリアルか?」という僕にとっては非常に本質的なことを聞かれるがうまく答えられない。今まで受けたいくつかの取材で「どうやって撮ったか?」や取材中でのエピソードなどの割と定番になりつつある質問の答えで咄嗟に答えようとしている自分に反省。カメラマンの中野さんが家の裏の玉川上水を背景に撮影して下さる。いつも撮るほうなので撮られることには不慣れ。背景の選び方とか撮影の間だとか、正直勉強になった。今日のインタビューは「すば9月6日発売号「すばる」だそうです。
 みなさんが帰られた後ケラ!の原稿を書こうとするが、すぐ書けそうな気がしていたのに何だか頭の中の整理がつかなくなり気分転換に銭湯へ行く。銭湯の大きな湯ぶねにゆっくり浸かって風呂のブクブクを見ていたら、急にモコモコの質問のことが浮かんできて家に帰って急いで書とめる。要約するとこんな感じ・・・〈現れてくる顔ではなくモコモコがなぜ大事かというと、自分の輪郭や、他者との境界の曖昧さ、他者や世界との境界の不確かさがそこに現れている、輪郭(モコモコ)に感じるから、美しいのだと思う。誰もがあると思いこんでいる(あるいは思わされている)、「個」の輪郭や境界の、実はうさん臭さ(曖昧さ)みたいなことの本質をそこに見ているのだと思います。そうゆうものが具体的にイメージとして現れてきてそれを見たとき、ある種の安心感みたいなリアリティーを感じます。〉
 結局今日は原稿は諦めて晩ご飯の時にビールを飲む(ダメじゃん!)。食後うちの奥さんは間もなく解約するケーブルテレビで「ナビーの恋」を観ていた。エンディングだけ観たけどすぐに前に観たのを思い出してジーンと来た。沖縄行きたい。泡盛のみたい気持ちになったが、白ワインにしておく(どっちにしろ飲んでる!)。

投稿者 Ken Kitano : 04:24

2005年08月11日

8月11日 片づけ

 新しい機材やパソコンを入れるにしても部屋のリストラをしなければ。『our face』の原稿書きを始めて以来、資料で飽和状態だった部屋を片づける。いろいろなものを思い切って捨てる。45L入りのゴミ袋5袋。取って置く本と資料を段ボール6個につめて実家の暗室の隣の部屋へ。処分する雑誌と本を束ねて紐で縛る。縦に積んだら1メートル50センチの高さに。よく四畳半にこれだけいろいろ詰まっていたものだ。まだ読んでいない本と今後もう一度読むかもしれないと思う本だけを部屋を残すことにする。久しぶりに床が見えた仕事場を見たらすっきりした。久しぶりに一日文化放送「やるマン」を聞く。やっぱ面白い。段ボールと洗剤を買いに行ったホームセンターで酒類コーナーが新設されており、「菊の露」を衝動買いする。
 

投稿者 Ken Kitano : 22:05

8月10日 

 昨夜、突然うちの奥さんの友人のグレッグが泊まりに来た。うちの奥さんが若いころにバックパッカーで旅してたころからの友人。いいオジサンのゲイのオーストラリア人だ。今回はコペンハーゲンで「ゲイ・サッカー・ワールドカップ」に出て、ついでに日本によったらしい。そんな大会があるのも笑えるが、グレッグはなぜか日本代表チームに入ってたそうだ。かなりいい加減である。彼は40歳台後半のサッカーのビギナー。それなのにチームは優勝したそうだ。週末は日本人の彼と金沢に旅行に行くらしい。話したいけど全然英語が出てこない。
 午前中ラボによってから、某PR誌の撮影で代々木に。タレントのK氏の撮影。この雑誌は以前にも仕事をしたことがあるが、今回の担当は他の部署から来た新しい人。撮影の後、「撮影料は仕上がりを見た後で、また相談させて下さい」と言われる。単に進行がまだ先なのでギャラは追って相談したいという意味で言ったらしいのだが、言い方として相当に失礼な言われ方をされた気がして(もしくはこちらに撮影中に何か落ち度があったとか)、ささいなことなのいにその後一日へこむ。
 午後「ケラ!」松村氏と打ちあわせ。まもなく出る「ケラ!ボーイズ」でTィーンエイジャーの「自分問題」、「個性問題」に関連して何か書くことになってしまった。急遽頁が空いたのかもしれないが、そんな時に声をかけてもらえて嬉しい。
 夕方ラボによって、先日のケイコ場写真のインデックスプリントをピックアップ。芝居の舞台や稽古場は照明がミックス光で、しかもコントラストの幅がすごくあるので、断然デジタルが有利。早く本格的にデジタル導入をしなければ、と焦る毎日だ。去年取りあえず初級機を一台買って時々使っているものの、仕事で使うとなると力不足。仕事で使える機材と新しいosと容量のあるパソコンも買わなくてはならない。どれをどうゆうタイミングで何を導入するべきか焦ってしまう。多くのニコンユーザーデジタルではキャノンに流れているとも聞く。が秋にはニコンでも35ミリフルサイズの機種がでるという噂も聞いた。昔から僕は機材のことは苦手。ここ数年『our face』に時間とお金と労力を費やしてきて、デジタル化に限らず、そうした設備投資やら自分のステップアップの為の作業をサボッって来たツケが来ている感じがする。ひどく仕事の表現の幅や柔軟性が狭まってしまっている気がしてならない。それに加えて仕事も作品も今後の展開がまったく見えないのとあいまって、気が思い。

投稿者 Ken Kitano : 09:25

2005年08月08日

8月7日 産経新聞

 今朝の産経新聞に『our face』の書評(インタビューも受けた)が出ていた。一部を抜粋すると〈個々の固有名詞と表情がなくなっているのと同時に、写真にとって不可欠な撮影日時も消えている。多くのことが「なくなり」、一つの世界に帰入していることが、ほかならぬ死を連想させるのかもしれない。〉とある。書評で「死」といことについて触れられたのは初めてだ。
 昼に娘とプールへ。流れるプールをひたすらプカプカ、ぐるぐる流れる。
 夜、車で西武園の花火をロケハンがてら見に行く。帰りに近所の盆踊りを覗いて帰る。夏休みらしい一日だった。
 

投稿者 Ken Kitano : 09:15

2005年08月07日

8月6日

 8月6日だ。去年の今日は広島にいた。元安川で慰霊のとうろうを流す人たちを取材していた。夜行バスで三原についたんだっけ。あれからもう一年。そして今年で60年目だそうだ。tbsラジオの永六輔さんの番組から中山ちなつさんの広島の川の唄が流れてきた。いい唄だなと思った。永さんが「広島の人間が広島のことを語ることは戦争を語ることになる」と言っていた。
 雑誌「relax」〈特集:平和がいいね。〉が送られてきた。片岡義雄さんの文章を読んだ。友人の落合由利子さんの新著「絹ばあちゃんと90年の旅〜幻の旧満州に生きて」〈講談社)が届いた。引き揚げのさなかに目の前で為す術もなく三人の子供が亡くなってゆく下りは、読んでいて胸がきつくなった。 
 午後、演劇の制作をしている中島さんから招待頂いたリトアニアの児童演劇「ペンギンパパ」を観に娘と麻布十番へ行く。日本語の解説ナシのリトアニア語の2人芝居。最初はさっぱり分からなかったが、観ているうちにある程度想像がつくようになってきた。途中で娘が「つまらない帰りたい」といいだしたらどうしようと思っていたが、無事に最後まで観て「面白かった」と言った。原宿のクレヨンハウスに寄って「チリとチリリ〜うみのおはなし」と「ヒヨドリのピピのおはなし」を買う。今月はお金がないので極力出費を抑えたいけど、こうゆう本は見てしまうと買ってしまう。夕方早稲田でおばあちゃんとうちの奥さんと合流して娘を渡す。一人で板橋の花火を撮りに都電と三田線を乗り継いで高島平へ。移動しながらアパートやマンションの屋根ごしから撮る。前もって高層マンションから撮れる場所をロケハンできればよかったが、仕方ない。郊外の広い河原の花火は大きいのが上がる。都心ではなかなか見られないしゃく玉が時々上がって、いい花火大会だった。
 帰り道、数日前に銀座で見た坪川さんの原爆ドームの写真の何枚かを思いだす。よく考えると日記にはいいことを書いていないような気がしてずっと気になっていたのだ。(気になるくらいなら感想なんて書かなければいいのだけど、写真展でも何でも見てしまったからには、何かリアクションをださないとフェアじゃないというか、投げ込まれた球はへっぽこでも外へ投げないといけないといけないと思うから)何日も忘れられない写真というのはやっぱり凄いなと思った。今朝ラジオで聞聴いた中山ちなつさんの唄と「広島の人間が広島を語ることは・・」という言葉を思い出した。

投稿者 Ken Kitano : 08:28

2005年08月04日

8月4日 ロボッツ

 月刊「実話時代」8月号に『our face』の書評が出ていた。とってもいい書評なのだが、この雑誌、ほとんど全部ヤクザの親分の記事。一体どうゆうひとが読むんだろうか?あと、7日(日曜)のサンケイ新聞にインタビュー記事が載るそうです。
 昨夜、編集者の笹目さんと北千住のキャバレーハリウッドで「ペーソス」のライブを見てきた。キャバレーって初めて行ったけど、実に濃密に「昭和」な感じだった。その前に行った居酒屋「大橋」はさすがに名店といわれるだけあって、実によかった。長細いコの字カウンターの居心地の良さ。なんといってもおやじさんの客あしらいが最高だった。下町の居酒屋でおやじさんが”笑顔”。珍しい。
 今日は午後から竹橋の国立近代美術館へ。訳あって、この秋に予定されているドイツ現代写真展とアウグストザンダー写真展の資料を見せていただく。不勉強なことにザンダーの仕事は今まできちんとみたことがなかった。生半可な知識では単に標本的な仕事の印象があったが、実際の写真はまったく違った。生前彼が描いた通りに昨年アメリカで出版された7冊組の写真集を見て圧倒された。みずみずしく、奥行きがあって、可笑しみをも湛えたその豊穰な世界。まさにそこに「世界がある」という質と量。何よりその強靱さに圧倒された。農民、都市の中産階級、芸術家から漂白民、「最後の人々」と題された7巻に収められた盲人の人や障害を持った人々、そして死者に到るまで、どれもに優劣のない眼差し。一枚の写真のインパクトや一冊の本で完結するいわゆる「作家性」で見られる枠の仕事ではないよな。写真によって膨大な「体系」を作り上げることで、実際の人間が不遜にも類型化されたり、立場を追いやられる時代(ナチの台頭なども含め)に、それと向き合おうとした壮大な写真家の仕事。それを受け止め理解する人がいることと、長い時を経て写真集に編纂する人々がいということ自体に敬意を感じてしまう。
 というザンダーの仕事はともかくとして、実はザンダー展の時期に発行される美術館の会報に原稿を依頼されたのだ。実際にはザンダーのことを書くのではなく、『our face』のことを書けばいいのだが。写真を見てどこからどう書いていいものやら・・。接点も着地点もさっぱり見えなくなってしまった。どうしよう・・。
 夕方、府中で家族と待ちあわせて映画「ロボッツ」を観る。よく出来ているけど、いかにもアメリカの子供向け映画という感じで凡庸なストーリーだった。娘は楽しんでいたみたい。

投稿者 Ken Kitano : 23:32

2005年08月03日

8月3日 休肝日

 録音した伊集院光の「日曜日の秘密基地」と「深夜のばか力」を車の中で聞きながら上野へ。途中、現像屋に寄り、水道橋の「いもや」で豚カツ。上野の囲碁サロンで撮影。広〜いサロンがびっくりするくらい混んでいた。昼間から囲碁に興じる大人がこんなにいるとは。昭和の空気を一杯に吸いつつ撮影する。
 夕方銀座のギャラリーアートグラフ坪島遊展「ヒロシマの叫び」へ行く。坪島さんは面識がないが広島のYさんから手紙とdm を頂いた。原爆ドームを撮り続けた作品だった。こうゆうのはいろいろな意味で難しいなと思った。西洋やラテンアメリカの様に日本はモニュメントを好む文化ではない。その中で原爆ドームというモニュメントは様々にビジュアルが流布し、記号化し、実際に見たことがない人でも体験的に「見て」いる。だから、そうしてバーチャルにでも見れば見るほど、個々の体験として、無化してゆくし、薄れていくという一般的なモニュメントとしての矛盾を抱えている。(反対に将来的に取り壊されることが自明となったことから東京タワーなどは、小説のタイトルになったり最近ビジュアルとしても様々に取り上げられてきているのは、考えてみると対照的だ。消滅することがモニュメントとしての自己主張をしている事実。)だから坪島さんの写真がというのではないが、撮れば撮るほど、見れば見るほど無化してゆく存在のイメージというのは、実に矛盾を抱え、難しいのだと思う。声高に「叫ぶ」ほど届かなくなる。
 面白かったのは、坪島さんがドームのことを「彼が」と具体的に三人称として語っていたこと。ちなみにタイトルの「叫び」といいうのもドーム(彼)の「おれはもう疲れた。いい加減に終わりにしないか」という叫びだそうだ。写真的には、ご本人のこれを撮ることの前後だとか、「写真の写真以外の部分」があまり感じられなかった気がする。ただ擬人化するということも含め、モニュメントや出来事を「彼」や「彼女」と見てゆくというのは新鮮で、何か可能性があるのかなと感じた。
 ヒロシマの事に限らず、出来事や体験の「当事者加減」みたいなことをどうしても最近考えてしまう。単にリアルということとにも繋がるけれど、出来事や作品や「自分のこととして感」について。反対から、「無関係性」、「自分のこととして」とらえられないか、の方向から考えたほうが近道?「実感の希薄さ」側からアイデンティティーを探ってゆくようなこと。みんながあるという前提から提出できることって、とても少ないから。迂闊に「共感」なんて言葉は使えない。「希薄さ」、実感のなさ、「不確かさの質」みたいなものを見つめることで、越えたいと、相変わらず個人てきには思う。
 書き始めたら思いがけず、長くなってしまった。
 帰って娘と盆踊りに行く予定だったが、納品して帰ったら遅くなった。おいなりさんとサラダを食べてお風呂に入る。今日は休肝日。

投稿者 Ken Kitano : 11:16

2005年08月01日

7月31日 

 うちの奥さんが泥のワークショップを家のすぐちかくで開いた。親子で泥を使って小さな日干しレンガを作り、それを積み重ねて「蚊取り線香入れ」を作るというもの。10家族くらいのひとが参加して下さったようだ。見ていると、親子で協力してひとつのものを仕上げる家族もいるが、親子の協力態勢は家族ごとに様々。そこの関係が出来上がった作品に見事に現れていて面白い。我が家も私と娘で制作したが、見事に「お互いを思いやらない心」と、「都合の悪いところはそちらのせいだよ」的気持ちが現れた左右非対称なものが出来上がった。
 夜は近所の団地の盆踊りに行く。ビールをたくさん飲みました。

投稿者 Ken Kitano : 09:08