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2005年09月07日

9月5日 台風接近

 台風が接近しているので一日中雨。都内をあちこち動いたけど、なんだか水の中にずっといたみたいだ。 
 午前中、某雑誌の編集長と会う。クオリティーの高さとある種のブレのなさにおいて希有な雑誌だと思う雑誌。『our face』を一目見て、「広告代理店が、30代の動向とか世代ごとに適当に調べて、スポンサーを集め雑誌の企画なんかをそれに合わせて作っていくようなのと同じような見方だね」と言われる。とっても表面的な見方に思えたので少々説明をする。(でも写真を見ることにおいて、表面的な見方や最初の印象というのは実はとても大事で、それの感触みたいなものはきちっと取っておいたほうがいいのだけど。)この作品の不可解さは最初にそうゆうふうに取られてしまうことの危険性だと改めて思う。案外始めから世界を均質に見ようとしていることってあるのかもしれない。この仕事は現実に広く網を張るようなカテゴライズではなく、人は極めて小さな括り、ひとつの漁協のひとつの舟の漁師さんとか、ひとつの祭の一つの神輿かつぎ手たちなど。そうゆう小さな括りの人々世界や物語を淡々と拾い集め、水平に連ねた本だと説明すると改めて見てくれた。漁師さんや農業の人々など、自然を相手に伝統的な共同体で生きている人々の顔は、濃いし、しっかりしていて、見ていて気持ちいい。一方、会社員やイラク攻撃反対デモに参加した人々の肖像などは、観念的で実質が伴わないというか、何かが抜け落ちたように茫漠としている。もっと言うと不快だという話になる。確かにそうゆう一面もあり、ある意味同感。向き合う自然、宗教など 共同体の持つ〈濃さ〉や〈実質〉も肖像に現れるし、反対にそうゆうものの〈薄さ〉、〈実感のなさ〉、〈不確かさ〉といったものもそこに現れるのがこの写真。どっちがいいかではなく、どちらもきちんと見つめて、それをイメージや言葉にすることが大事なことだと僕は思う。そうしないと例えばその〈不確かさ〉を越えられないから。その辺の考え方は僕とその方は違うようだった。自然と向き合うことから見えてくることや、脈々と築かれて来た文化の蓄積、大きく抱かれるような〈確かさ〉の側から現在を見渡すスタンスのようだった。そうゆうことだけでは掬いきれないこともあると思うが、考え方の違いだからしょうがない。相性や好み、雑誌の方向性もあるから仕方がないことだ。
 メキシコやぺールーの話になり少し話ができる。話の流れで見せる予定がなかったけど一応持ってきていたメキシコの壁画運動の写真も見せるとそっちの方がしっくり来たようだった。確かに強いし、見てて気持ちいい。そういえば福井大の岡田先生から戻ってきたアンデスの写真もあったなと思いだす。話は戻るが、実際のところそっちの方がある意味楽なのだ。例えば外国へ行って、過酷な自然と向き合って生きている人々を撮ったり、長い伝統や厳しい現実に身を置いて生きている人に出会うと、撮れてしまうし、ものを見た気がする。ところが実際の日本は実感の希薄さや手ごたえのなさ、居場所のなさにたくさんの人が苦しんでいるわけで、そうゆうものを表現することのほうが何倍も難しい。ある意味で。そうした見えにくいことや目に見えないことをイメージにしたり言葉にすることが僕達の仕事の一つだと思う。よく外国でそうした「実質」や「違い」と出会うと、日本に帰って感じる「希薄さ」や「不確かさ」がバカらしくなるし、そうゆうところにいる人々が安易に生きているように思えてしまうことがある。(実際安易に生きている、ふざけんなという輩が多いのだが、)しかしそうゆう現実もまた、ある種の〈過酷さ〉を孕んでいる。居場所のなさ、希薄さの中で毎日たくさんの人が自分や人を殺す現実。若者だけではない。凶悪犯罪を起す人の率でいうと今の50代(団塊の世代)が以前からずっとトップだ。自殺率は秋田県など東北の県が毎年上位に来る。過疎と孤独死が背景にある。都市や年少者が現象の矢面に立つが実際はそれだけではない。

 様々な二極化の中で益々〈実感〉から遠ざかるいま、「不確かさ、希薄さ」を越えるには、それをまずは言葉やイメージとして具体化し相対化しないといけない。一方の〈確かさ〉の側からヒントを引きだす方法もあるとは思うが、僕などは希薄さをアイデンティティーに変え、生きる所在なさを笑いに変えるようなことが大事な時代だと思う。世代的なこともあるようだ。「個性とは幻想である」というコピーを見ると団塊の世代あたりのひとは「個性は大事だよ、際立った個性を出すことが大事」的なことを言う。個は「在る」もので、個性は「出す」ものではないのだ。実質のなさのなかで安住したり、もがいたりしている人との間に線を引いて「あいつらは」という視点で見る人もいる。しかし、押しつぶされそうな過酷な現実も、溶けて消えてしまいそう希薄な現実も、「自分のこととして」想像できる想像力みたいなものに、僕はやっぱり期待する。「見知らぬ他者」を「自分のこととして」イメージする想像力に。それには「見知らぬ他者」の含む範囲を拡げる努力が常に必要だ。(選挙で小泉首相などがいう「国民の一人ひとり」という言葉が含む人々の範囲は恐ろしく限られた人々しか想定していない様に思えてならない。)それはあるところ自分の小ささや不確かさを認めないと持てない想像力。自然を相手にする仕事や伝統に身を置いている人はあるところそれを始めから身に着けている。「自分は世界の一部である」というリアリティーは〈実感〉へと繋がる---ということもあるのだ。
 世界が均質になっているとよく言われるが、確かにそうゆう現実はある。しかし実際にいろいろ訪ねてみると、それでも世界は実に多様で、具体的な質感を伴っている。(当たり前だが。)実際そう見えてしまうことの原因の半分以上は、そのひとの想像力が均質にしか想像できなくなってきていることによるのだ。現実が「在る」ということにいいも悪いもない。自分との関係を探りながら、遠い現実も近くの現実もしっかり見続けるしかない。

 夕方徳間書店の「グッズプレス」の」撮影。伊勢丹のバイヤーの方のポートレートを撮影する。編集の寺田君は外で撮りたいと言っていたが、諦めてプレスルームで撮る。撮影後、神保町「たまごクラブ」に納品して急いで帰る。帰ったら玄関で娘がニコニコしながら「見せたいものがあります」といっておもむろに紙を拡げた。学校の写生大会で消防車を描いたら、地区の優秀賞をもらった賞状だった。リッパですよ。パチパチ。(親ばか)ビールと焼酎を飲む。

 クラスの一番上の子を褒める言葉は誰でも知っている。一番ダメな子が頑張って上に行った時の褒め言葉もみんな知っている。でも一番つらいのは頑張っても真ん中へんを行ったり来たりしか出来ない子。そゆう子が一番辛いし、数も一番多い。そうゆう子への褒め言葉をみんな持っていない。
 『our face』が持つ分かりににくさと不可解さについては徐々にその輪郭が分かってきた。反省点も多い。いくつも段階を必要とするし、時間がかかることだというのも分かってきた。(悔しいけど)。思えば今までもそうだった。普段から本を読んだり写真を見たり、考えたりするひとは一番最後だった。最初に分かってくれたのは農家や漁師さんや祭の人。世界との一体感持って生きている人の方が早いのだ。世代で言うと50歳前後の人は「個性」が好きなようだ。個の持つ曖昧さを疑うようなところから写真って生まれると思う。
こんなようなことをぼんやり考えるようになったのは先日ザンダーの写真を見たことがあるかもしれない。ザンダーについは改めて考えを整理したい。

投稿者 Ken Kitano : 2005年09月07日 17:35