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2005年10月25日

10月25日 「ドイツ写真の現在」展

 朝、新聞で神奈川の選挙で自民川口氏が当選したと知り、いきなり滅入る。総選挙の反省とか揺り戻しみたいなことは神奈川の皆さんにはなかったようだ。牛肉もなし崩し気味に輸入再開になりそうだ。気分的に「学校に行きたくない」的気分である。
 10時半に扶桑社。「熊野古道本」の打ち合わせ。古道のエリアの広さに対しての取材のアプローチとビジュアルの相談。既存の熊野本は「神秘の山々」とか「霊力の森」とか、重厚な奥行きを感じさせる写真が殆ど。実際信仰の山々なのだが、「閉ざされた」感じの「異界」っぽい写真が多い。実際「異界」なのだが。伝統的なネイチャーフォトというのか。暗い写真は好きだけど、本を見て「実際に歩いてみようっと」と思ってもらわないとだめなわけで、熊野の雰囲気を湛えつつ、人の気配とか、営みを感じさせる写真をどう撮っていくかという点にしぼられてくる。
 銀座一丁目の「タイガー食堂」カレーを食べてマガハへ諸々の伝票と込み入ったフィルムの伝票をお渡ししする。途中携帯が壊れていたので機種変えの手続きをして、ブックセンターで熊野の地形図を購入。ラボによって竹橋の国立近代美術館へ。「ドイツ写真の現在」展の内覧会とレセプション。
 ザンダーのオリジナルプリントは始めてみる。よかった。実際に彼が撮影したのは600人あまりの人々だから今回の作品はほんの一部になる。1、農民、2、職人3、女性(このくくりも凄いね)4、階級と職業5、芸術家6、都市の構成に分かれるが、実際にはその次に「最後の人々」というパートがある。今回の展示に入っていないのが残念だ。この「最後の人々」は愚者、病人、狂人、死者といった人々の肖像。ザンダーの写真は単なる類型写真と見てはいけません。あらゆる人々が存在していることを(死者や狂人も)、その世界そのものを、写真によって現そうとした仕事と見たい。メインの展展示ではベッヒャーとベッヒャー派以降の90年代以降活躍する写真家の作品。トーマスデマンドやベアテグーチョ、ロレッタルックスなど、初めて見る写真も多かった。ただ、どの作品もその前後がありそうな、あるいは対になる言葉がありそうな作品。限られた点数からは作品と作者の立ち位置やその周辺がいまひとつうかがい知れず、鑑賞するこちたに「あそび」や「ゆらぎ」があまり感じられなかったのは残念。もっともドイツの写真(写真に限らないけど)はそうしたもともと、アソビが少ない、色が少ない、揺らがないというのか。伝統的ともいえる。よく知らないけど。そへんのことを同年代のドイツの写真家と話して聞いてみたいと思ったけど、言葉も通じないし、レセプションに知り合いもいなかったので、白ワインを2杯飲んで外へ出る。(展覧会のレセプションのワインはどうして少なめに注ぐのか。もっとなみなみついで頂きたい。)以前見たアンゼルムキーファーの作品などもいつの間にか思い出していた。現地ドイツでドイツの写真と向き合ったら新たな視点がもてるだろうと思った。
 なんかさびしい気持ちになったのと、せっかく電車で早い時間に帰えるので、前から気になっていた国分寺の「コの寺」もつ焼きやに行って見る。いつも入り口に他人が待っていて入れたためしがなかったが、運よく空席があって入れる。結果から言うと「大当たり」だった。中がとろとろのレバ。腸類だけで4種類くらいあったか。ねたの種類の多いこと。「ちれ」「耳」や「脳」などあまりよそで見かけないメニューもある。一杯めから焼酎を飲むお客さんが多いのもなんかよかった。焼酎に濃縮した梅エキスをたらして飲む人もいる。隣の50代くらいのサラリーマンのおじさんがニコニコしながら「僕ね、もつ焼き大好きなんですよ」と話しかけてくる。「僕もなんですよ」と僕も思わずニコニコする。おじさんはいつもは一本しか食べられない軟骨が2本食べられたとウレシそうに言う。なんか僕もウレシくなった。

投稿者 Ken Kitano : 2005年10月25日 08:53