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2005年10月31日

10月31日 熊野から帰る

 昨夜遅くレンタカーと飛行機とバスと車を乗り継いで熊野から帰ってきた。朝の3時半くらいからずっと乗り物に乗っていたといっていいくらい、乗り物漬けだったので、体が液体みたいになってしまた。毎度のことながら熊野は遠い。おそらく離島を除いては、東京から一番遠い場所のではないか。だからこそ信仰の地であり続けて、底知れぬ奥行きを感じさせるおだろう。ただ乗換えと飛行機は機材とフィルムを抱えたカメラマンにとってはつらい。荷物の量や検査に年々神経を使わざるをえない。次回は列車を使おう。 
 ぱっとしない天気のだったので、あちこちを激しくロケハンした。また今回は県や町の観光課その他の方にもお会いする機会があった。熊野はかつて「蟻の熊野詣で」と言われたほど、皇族を始め、貴賎を問わず人々が巡礼に訪れた信仰の地。熊野は、都からは南の方角。それはそのまま普陀落浄土の方角でもあった。都から果てしないほどの道のりを歩いて一時、深い深い原始の神聖な森の中に身を置く熊野詣で。今まではどうしても熊野へ「行く」ということでしかとらえられなかったけれど、今回役所や地元の方と少しだけど話す機会があって、都から「来る」、東京から「来る」という、熊野の方からの視点の話し方に初めて接した気がした。そのことが妙に新鮮だった。
 「果無し山脈」とはよく言ったもので、熊野を車で走っていて、時々見晴らしのいいところから見渡すと、あきれるほど深い山並みが、本当に果てしなく続いている風景に出会う。一方でその視界の入っている山なみの大半が、植林された針葉樹というのも、考えてみるとすごいはなしだ。全部植えたんだから。輸入材に国産の杉が太刀打ちできなくなって久しい。落葉樹の原生林は那智大社の周辺など一部にしか残っていない。徐々に広葉樹を植え替える運動もあるようだが、とんでもないお金と時間がかかるだろう。
 

投稿者 Ken Kitano : 08:35

2005年10月30日

10月30日 熊野

「熊野古道本」のロケハンと撮影でおとといから熊野入り。連日早朝から晩まで山道や林道や海岸線や農道を250キロくらいずつ走っている。熊野は広いよ。山また山。連日おにぎりとかうどんばかりたべている。とりあえず田辺にて。

投稿者 Ken Kitano : 19:15

2005年10月27日

10月16日 大泉町〜太田市

 人間国宝の職人さんの撮影のために群馬県太田市へ行く。関越を東松山で降り、利根川を渡る。地図で見ると太田市の隣が大泉町だ。大泉町は住民の外国人の割合が日本一多い町。拙書写真集「our face」でもサッカーW杯優勝を喜ぶ在日ブラジル人の人々の肖像を取材しているが、まさに日本の中のブラジルの町。せっかくだからブラジル料理を食べようと地元出身の知人に電話してお薦めのレストランを聞くが、その場所に見つからず(移転か閉店か?)、仕方なくたまたまあった小さめのブラジル食堂に入る。大泉町にはあちこちにブラジル関連の店がある。一応客は入っていたが、一見してイマイチの雰囲気。メニューも少なく牛肉入りのチャーハンを食べたけど、フツーの味。目の前の「王将」に入ればよかったと悔やむ。いつかまたブラジル料理と音楽を聴きにくることを誓う。
 職人さんの取材は大変興味深い仕事だった。(詳しくは書けませんが。)大きな体つきからオーラが出ていた。取材の後母屋でお赤飯と自家製のキンピラ、こんにゃくなどを頂く。おいしい。
 日本シリーズを聞きながら関越を走って帰る。家について晩御飯を食べ初めて程なくロッテが勝って、あっけなくシリーズが終わってしまった。家族が寝た後お風呂で中沢新一著「僕の伯父さん」を読了。最後はジーンときてしまった。最近の中沢新一さんの本はどれもとても面白い。
 

 

投稿者 Ken Kitano : 08:49

2005年10月25日

10月25日 「ドイツ写真の現在」展

 朝、新聞で神奈川の選挙で自民川口氏が当選したと知り、いきなり滅入る。総選挙の反省とか揺り戻しみたいなことは神奈川の皆さんにはなかったようだ。牛肉もなし崩し気味に輸入再開になりそうだ。気分的に「学校に行きたくない」的気分である。
 10時半に扶桑社。「熊野古道本」の打ち合わせ。古道のエリアの広さに対しての取材のアプローチとビジュアルの相談。既存の熊野本は「神秘の山々」とか「霊力の森」とか、重厚な奥行きを感じさせる写真が殆ど。実際信仰の山々なのだが、「閉ざされた」感じの「異界」っぽい写真が多い。実際「異界」なのだが。伝統的なネイチャーフォトというのか。暗い写真は好きだけど、本を見て「実際に歩いてみようっと」と思ってもらわないとだめなわけで、熊野の雰囲気を湛えつつ、人の気配とか、営みを感じさせる写真をどう撮っていくかという点にしぼられてくる。
 銀座一丁目の「タイガー食堂」カレーを食べてマガハへ諸々の伝票と込み入ったフィルムの伝票をお渡ししする。途中携帯が壊れていたので機種変えの手続きをして、ブックセンターで熊野の地形図を購入。ラボによって竹橋の国立近代美術館へ。「ドイツ写真の現在」展の内覧会とレセプション。
 ザンダーのオリジナルプリントは始めてみる。よかった。実際に彼が撮影したのは600人あまりの人々だから今回の作品はほんの一部になる。1、農民、2、職人3、女性(このくくりも凄いね)4、階級と職業5、芸術家6、都市の構成に分かれるが、実際にはその次に「最後の人々」というパートがある。今回の展示に入っていないのが残念だ。この「最後の人々」は愚者、病人、狂人、死者といった人々の肖像。ザンダーの写真は単なる類型写真と見てはいけません。あらゆる人々が存在していることを(死者や狂人も)、その世界そのものを、写真によって現そうとした仕事と見たい。メインの展展示ではベッヒャーとベッヒャー派以降の90年代以降活躍する写真家の作品。トーマスデマンドやベアテグーチョ、ロレッタルックスなど、初めて見る写真も多かった。ただ、どの作品もその前後がありそうな、あるいは対になる言葉がありそうな作品。限られた点数からは作品と作者の立ち位置やその周辺がいまひとつうかがい知れず、鑑賞するこちたに「あそび」や「ゆらぎ」があまり感じられなかったのは残念。もっともドイツの写真(写真に限らないけど)はそうしたもともと、アソビが少ない、色が少ない、揺らがないというのか。伝統的ともいえる。よく知らないけど。そへんのことを同年代のドイツの写真家と話して聞いてみたいと思ったけど、言葉も通じないし、レセプションに知り合いもいなかったので、白ワインを2杯飲んで外へ出る。(展覧会のレセプションのワインはどうして少なめに注ぐのか。もっとなみなみついで頂きたい。)以前見たアンゼルムキーファーの作品などもいつの間にか思い出していた。現地ドイツでドイツの写真と向き合ったら新たな視点がもてるだろうと思った。
 なんかさびしい気持ちになったのと、せっかく電車で早い時間に帰えるので、前から気になっていた国分寺の「コの寺」もつ焼きやに行って見る。いつも入り口に他人が待っていて入れたためしがなかったが、運よく空席があって入れる。結果から言うと「大当たり」だった。中がとろとろのレバ。腸類だけで4種類くらいあったか。ねたの種類の多いこと。「ちれ」「耳」や「脳」などあまりよそで見かけないメニューもある。一杯めから焼酎を飲むお客さんが多いのもなんかよかった。焼酎に濃縮した梅エキスをたらして飲む人もいる。隣の50代くらいのサラリーマンのおじさんがニコニコしながら「僕ね、もつ焼き大好きなんですよ」と話しかけてくる。「僕もなんですよ」と僕も思わずニコニコする。おじさんはいつもは一本しか食べられない軟骨が2本食べられたとウレシそうに言う。なんか僕もウレシくなった。

投稿者 Ken Kitano : 08:53

2005年10月24日

10月22日 マッジクショー

 朝から領収書の整理と請求書書きをしていたら昼になってしまった。お昼に最近近所に出来た回転すしやに家族で行く。一律一皿105円の割にはネタがよかった。でもインターホンでの注文の仕方やら、わさび抜きの皿の区別やら、説明書きが多くて、システムを理解するのに一苦労。接客のコストを減らしているのだろう。「焼き豚」とか「カツオユッケ」とか不思議なネタが次々に回ってくる。回転すしは食べてて落ち着きません。
 回転すし屋から歩いて娘と小学校へ。体育館でpta主宰のマジックショーが開かれる。プロのマジシャンの人が来てやるちゃんとしたショーだった。タキシードの男性に美女のアシスタンドという「正しい」感じのショー。そうなるとぜひ鳩が登場するマジックをみたいと思っていたら、白いぬいぐるみを白い鳩に変えるマジックと、懐から白い鳩を出すマジックをやってくれた。こうゆうのって白い鳩だからいい。薄汚れた灰色のドバトだったらイメージ悪いよな。目の前で次から次へと不思議なことが起こるのを近所の体育館で大人と子供が一緒になって「ホーッ」と見るのは楽しい。
 帰って再び請求書書きやメールチェックをしていたら夕方になってしまった。銭湯に行って、日本シリーズをみながらおでんを食べつつ、「喜界島」を飲んだ。本当は日本酒のほうがおでんにあうのだけど、野球をだらだら見ながら飲みたいので薄めの焼酎にする。ロッテのワンサイドゲームだった。結果的に7回コールドで終わったけれど、突如スタジアムを音もなく(当たり前だけど)包んだ濃霧の光景が不思議で、美しかった。
 地震があったので速報を見ようとテレビをつけたらそのまま「踊る大走査線」とか「爆笑オンエアバトル」などを観る。「踊る大走査線」を観て、しきりに「深津さんはいい」と繰り返す。

投稿者 Ken Kitano : 03:02

2005年10月21日

10月20日 梨と天丼

晴れてよかった。何しろ車とヘリコプターの撮影である。先週から雨が続いていたので半分あきらめていたけど、今日は久々に、それも見事に晴れた。6時に起きて松戸へ行く。梨畑の風景に唐突に現れたアミューズメントパークにはスーパーカーとヘリコプター、高級モーターボートなどが起かれていた。よくわからないが乗り物好きのオーんーらしい。ヘリのオーナーに「操縦席も撮らせてください」と「よかったら少し飛ぼうか?」。生まれて初めてヘリコプターーに乗る。松戸から飛び立ち5分ほどで東京タワーや六本木上空へ。秋晴れの日差しを受けて、眼下の東京が白く光る。気持ちいいことこの上ない。青砥あたり、浅草橋、葛西、両国、大手町・・。町の風情や人々の生活感も感じてしまう。住吉あたりの上空で唐突に「もつ焼き食べたい」などと思ってしまったりする。
 撮影のあと、ロードサイドの梨直売所で梨を買う。今年最後であと2,3日で店じまいとのこと。5百円の梨を一袋かったらふたつおまけしてくれた。梨園の向かい側にあったメニューが天丼のみの食堂に入ってライターのMさんと天丼を食べた。梨園のおばさんに「味付けが濃いよ」といわれたとおり、濃い目のタレのアナゴ天麩羅とシジミの味噌汁がうまかった。
 帰宅したら夕方になっていた。さっきはヘリで都心まで一瞬だったのに、地面を走ってくるとやっぱり遠い。夕方からtbsラジオ「談志の遺言」などを聞きながら暗室作業。日曜に撮ったキモノのプリント。自分でプリントするとカラーフィルムの癖がよく分かる。今回のフィルムは黄色や赤の再現にかなり癖がある。これからはいろいろなフィルムを試してみよう。
 
 竹橋の国立近代美術館から会報「現代の眼」が送られてきた。来週25日から開催の「ドイツ写真の現代」に合わせて発行された今号では、特集でアウグストザンダーにちなんだテキストが寄せられている。恐れ多いことにそのなかに私の拙文「our faceプロジェクト・・見知らぬ誰かに会う肖像写真の旅」も掲載さている。ザンダーについては以前も書いたが、当初ザンダーに絡めて自分の仕事を・・と思っていたのだが(ご依頼頂いた学芸員の増田さんからはザンダーにこだわらずご自分の仕事のことを書いてくださいとおっしゃっていただいたのですが、それにしても)、そのアプローチは私の豆粒ほどのキャパシティーを越えてしまい、一切ザンダーに着地しないテキストになってしまった。今回執筆にあたって改めてザンダーの仕事を見せていただいたのだが、あの時代に(急速に閉塞してゆくヨーロッパドイツにおいて)、ザンダーが「あらゆる人」が「あるがまま」に様々な階層の序列やわけ隔てなく「存在していること」をあるがままに全力で写真にとらえようと(それはとりもなおさず「世界そのもの」を「残す」作業だったのか?)したことは、真に壮大で偉大な取り組みであったことに気づかされる。(気づくとなおさら自分の仕事に絡められない。おこがましくて。)一方で、自分の方法はつくづく「東洋的」だという気もした。ご笑読ください。

投稿者 Ken Kitano : 09:14

2005年10月19日

10月18日 故障相次ぐ

 先週からいろいろあったのでさかのぼってサラサラと書きます。サラサラ。
週末に突然にマックが起動しなくなってしまった。どうやらハードディスクの故障らしい。何度起動しても「白い画面」に小さい(1cmくらい)の「?」マークが点滅するのみ。ご近所のノジマ電機のマック館に持って行く。敢え無く長期入院。ちなみに少し前に車も故障した。コンプレッサーが動いていないらしく、修理代6万といわれ、そのままだましながら乗っている。雨の日は窓が曇って危険だ。おまけに携帯電話も故障。身近なツールが次々と故障するこのごろである。金がないのに困る。

 15日土曜。ジャーナリストで東京大学先端研特任教授の武田徹さんが主宰(という言い方でいいのかな?)するジャーナリストセミナーを受講する。通年のカリキュラムだが3000円の受講料で単発でも受講できるもの。今回のテーマは「グレーゾーンの科学---携帯電話リスクを巡って」と「確率的発想--蓋然性はいかに表現、報道されるべきか」。「グレーゾーン」、「蓋然性」と、最近気になっていた言葉がテーマだたので受講した。グレーゾーンを見ないで安易な2極論が蔓延する今日この頃、実に興味深い講義だった。そういえば大学で確立の授業を受けていたのを思い出した。

 16日。某雑誌の特集の撮影。画家のK先生のセレクトによる着物の撮影。男女ふたりのスタジオでモデル撮影。今週のアタマからずうっと気になって胃を痛めていた撮影。案の上、先生の美意識、モード性、着こなし方、組み合わせ、ポージング等‥、前回同様(k先生との撮影は3回目になる)、今回も「まるで大木に止まった蝉(僕がです)」状態で撮影が進む。モデルのRさんのかわいかったこと。いろんな意味でぐうの音も出ないような、桁違いの勉強不足を痛感した一日。勉強になりました。どうやらこの日、ラジオのJ−waveのvoiceという番組というかコーナーで「our face」のことを取り上げてくれたようだ。ライターの北川さんが事前に情報を伝えて頂いていたものの、スタジオにこもっていたので聞けなかった。

 17日朝一で「熊野本」の打ち合わせ。熊野古道の本が具体化しそうだ。昼から暗室に入るも、あんまり寒いし体も重たかったので早々に切り上げる。録音していたtbs「月曜ジャンク」を聞こうとしたら、伊集院光ではなく、及川奈央だった。どうゆうこと?イレギュラーだよな!?
ロッテ優勝おめでとう。

 18日。昼間で暗室。午後納品の後、夜から某誌次号、車の特集の全体打ち合わせ&スタッフ初顔合わせ。その後編集Aさんから電話があり、(やっぱり!気になっていたので一も2もな行きま〜す!という感じで)画家のK先生のお宅で写真選びに合流。明け方に辞してふらふらと帰宅。朝ビール飲んで寝る。

今週は忙しいけど仕事の合間に読んでいる「下町酒場巡礼  もう一杯」(ちくま文庫)が心温まる。名著だ。「コの字」に行きたい!
 

投稿者 Ken Kitano : 10:58

2005年10月13日

10月12日 中国式マッサージ

 午前中データをCDに焼いたりインデックスを作って宅急便で発送する。さらにメールのお返事を書いているうちにお昼になったので、「焼き鳥の缶詰」を入れてチャーハンを作って食べる。うまかった。実家の父に「これ余っているからあげる」と渡された中国式マッサージとやらのチケットがあったので、自転車で駅前の「中国式整体足裏健康館」というところに行く。「どこが凝ってますか?」と聞かれたので、「腰ですかね」と答えたら、中国人のおじさんが「分かりました」と言って、私のうつ伏せの体の上に立って歩きはじめた。突然のアクロバティックな治療にびっくりしたけど、終わったら体が軽くなった。
 内田樹先生の「街場の現代思想」(NTT出版)を読み終わった。面白かったので続けて「子供は判ってくれない」(洋泉社)を読みはじめる。どちらも若い人に「大人の思考と行動」とはどうゆうものかについて、「大人というのは、こうゆう風に考え、こんなふうに行動するのです。不思議でしょ?でも、それには主観的には合理的な理由があるのですよ。ご説明しましょう。」(「大人は判ってくれない」の「たいへんに長いまえがき」より)という本。もっと若い頃にこれらの本と出会っていたらものの行動や考え方が変わったかもしれないと思うが、その時はその時で、「さらにもっと若いころにこれを読んでいたら・・」と思っただけかもしれない(バカだから)。とにかく自分てこんなにバカだったんだ、と気持ち良く納得しつつ(バカだから)、ひざをポンと打ちながら読み進んでしまう。この歳で読んでももちろん面白い。〈「才能がない」人間とは「自分が才能がない」という事実を直視できない人間のことである。〉、〈「嫌いなこと」を言葉にできない人に未来はない〉、〈「知性」とは「自分が何をしらないのか」ということを知っていること〉、・・などなど。〈内田本〉を読んでいると、遠いどこかから吹いてくる、(案外近くからかもしれないが、)心地よい風にゆったり吹かれ、体をのんびりさせつつも、心の深いところできちっと襟元と姿勢を正して、その言葉と向き合っている心持ちである。
 並行して先日中央公論を読んで「おおっ!」と思ってしまった三浦展さんの「下流社会〜新たな階層集団の出現〜」(光文社新書)も読み進める。こちらは、二極化、階層化が進む現在の消費、生活、価値観を分析した本。「一握りのホリエモン」と「多数のフリーターやニートを含む下流」に二極化しつつあることのデティールがよ〜く分かる本。リアルだ。三浦さんといい、マガジンハウスのT石さんといい、元SPA!編集長だったS藤さん、松澤呉一さん、王様さん、写真の世界では本尾久子さんといい、パルコいらした方は、たまたま私がささやかな面識を得た方だけでも各分野でご活躍の凄い方ばかりだ。80年代のパルコって時代を牽引していたんだなと改めて思う。

投稿者 Ken Kitano : 08:25

2005年10月12日

10月10日 「コの字にホの字」の本

 お昼に吉祥寺の喫茶店でアスペクトのKさんと会う。昨年から作っている鈴木裕子さんの「女職人の本」の色稿をみせてもらう。写真のセレクトとレイアウトもはじめて見た。彫りの深い、陰影のある「いわゆる職人仕事」っぽい写真にならないよう、ライトに軽やかな写真を心がけて撮ったつもりだったけど、編集者とデザイナーさんが選んできた写真は、人が写っていない写真、静謐な写真が多かった。文書との相性なので、相乗効果として暗い本にならなければそれはそれでいい。デザイナーさんにはお会いしていないけど、きっちりと、重たくないけど一貫した心地よいトーンが感じられた。まずはすり上がりが楽しみだ。でも、カメラマンとしては、もうちっと職人さん本人が写っている写真が入れて欲しかったかも。何しろ体を使って仕事をしている人の顔って強さと優しさがあって、みなさん化粧を殆どしていないのに、とってもいい顔していらしたから。ま、作品(の写真)にも人柄が現れているから、いいか。打ち合わせの後、前から話題にしていた「コの字カウンターの店」の本を具体的に「やろうよ!」という話になる。俄然元気が出てくる。
 午後、某テレビ番組の収録現場で撮影。テレビの照明をそのまま使わせて頂く。デジだとホワイトバランスを調整できるので、こうゆう現場では便利。でもなぜか編集から「フィルもおさえてほしい」とのリクエストでポジでも押さえる。同じポーズを最初からやらされて、撮られるほうは「まだ撮るの!?早くしてよ!」って気分になるよな。テレビ照明に補正フィルターがかかっていたから、せっかく買ったタングステン高感度のフィルムは使わなかった。一本1500円。高いよ!。どうしよう、4本で6000円!!デジタルが普及してから使用頻度の低いフィルムは値上がり傾向にある。

投稿者 Ken Kitano : 04:08

10月9日 「打った、勝った!」の打ち上げ

 朝からデジカメのデータを整理していたら、納品の準備ができたのが夕方になってしまった。
 電車に乗って中目黒へ。先日のTBSラジオ「打った、勝った!草野球で大売り出し」の打ち上げでバッターの榎原さんを囲んで飲む。参加者は編集者笹目さん、ライターの袴田さん、榎原さんを紹介してくれたシャーロックホームズの今井さんと連れのMちゃん。とにかくヒットが出てよかった。あのコーナーはノーヒットだと本のタイトルも言ってもらえない。番組の後アマゾンの在庫なども動きがあったようなので、リスナーの中で注文して下さった方がいたようだ。榎原さんのお陰。榎原さんは12月に地元横浜で居酒屋を開業する予定。次回は自分の店の宣伝をかけて再度番組に応募しよう、ということで盛り上がる。

投稿者 Ken Kitano : 02:43

2005年10月09日

10月8日 団塊の世代と「自分らしさ」信仰について

 朝から暗室。ご近所のお友達のOさんちに赤ちゃんが産まれたので撮影した”ご一家写真”を焼く。”幸せの一コマ”を丁寧に焼く。夕方久しぶりに家族で銭湯に行く。体が芯からほぐれます。

 送られてきた「中央公論」(グラビアにメキシコの写真とテキストが掲載されてます。11月号です)を読んでいたら三浦展さんによる〈”自分らしさ”型子育てが「自分探しフリーター」を生んだ〉という論考を寄せられていた。今月号の特集は「団塊の世代」について。団塊の世代については先日来ブログにも書いている通り、あの世代の(特にインテリの人が)持つ”個性崇拝”もしくは”自分らしさ信仰”について気になり、考えていたところだ。というのも拙書『our face』の冒頭に書いた「個性とは幻想である」というコピーに、どちらかというと拒絶的な反応をなさるのが、まさに団塊の世代だからである。僕がこんなコピーを添えたのは、この仕事のベースに「行き過ぎた個性礼賛主義」みたいなものへの違和感があったからである。詳しくは「写真の会会報」57号を読んで頂きたいが、ようするに、「個性、自分らしさ」を過度に志向する人々が増えれば増えるほど、その社会は実は均質な社会になるという一面があるということ。それは実は生きにくい社会であると思われること。例えば学校のクラスや会社で「周囲に対して特別な存在でいなければならない」という思考から色分け(キャラクター分け)された組織があちこちに偏在すると、その結果、(共通の構造が偏在して)均質な社会ができあがる。だいたいそうゆう志向からクリエイティブなものは生まれない。また、”違い捜し”、”差異=価値”は商品価値の尺度にはなるが、生きていることの実感や充実とはまるで関係がないのである。というような話を若い人としても「そうだね」となることが多いのだが(今の若い人は「そうゆう考え方って君だけじゃない。すごいね」というリアクションの前提になる「他のみんな的な視点」の共通認識をそもそも持ちあわせていない)、一方で「北野君、それは違うよ。他の誰も持っていない強い個性的なものを身に着けてだね・・・(幻想だね)」という話になるのは団塊の世代の方が多いのだ。
 でもってそれはなぜかなあと、ぼんやり考えていたら、三浦展先生が団塊の世代の生き方とフリーター人口を大量に抱える”団塊の世代ジュニア”の世襲関係についてデータを交えて書かれていた。団塊の世代は「70年代初頭に若者だった団塊の世代自身が、当時その日暮らしに強く憧れていたからと考えられる。(中略)その後彼らは長髪を切って就職し、結婚し、子供を産み、二回のオイルショックに襲われながらもローンを組んでマイホームを買い、結局その日暮らし的な生活をあきらめざるをえなかった。そこに団塊の世代の韜晦がある。」その結果として「子供たちのその日暮らし的な価値観を団塊の世代は否定しなかった。というより、おそらく放任し、助長した。」と具体的な数値データをあげて書かれておられる。読むと団塊の世代の「自分らしさ崇拝」と子供の世代の「自分らしさ志向」を関係がくっきりと見えてくる。ちなみに調査によると、団塊の世代の高階層(高所得)に自分らしさ志向、自己実現志向が非常に強いのに対して低階層(低所得)ではその志向が低い。逆に団塊ジュニアでは「個性・自分らしさ」を大事にしているひとが低階層に多いのに対して高階層では少ない。(「自己実現」を求めると高収入を得るのが難しくなる。ちなみに既婚率も収入にきれいに比例する。僕は低所得の既婚者)。最後に三浦先生は「自分らしさ」という”「青い鳥」のような観念”について、「団塊の世代より若い現在子育て中の世代は、今後おそらく、団塊の世代的な”自由な”子育てを踏襲する者と、団塊の世代を反面教師として、子供に相応の厳しさを持って接する者に二極化するのではないか」そしてますます日本社会が階層化が進むのでは、と締めくくっている。寒い話である。
 とりあえず、今月のお家賃を捻出する算段を考えよう。その前に焼酎のお湯割りでもかぼすを搾って飲もう。

投稿者 Ken Kitano : 08:26

2005年10月07日

10月6日 中央公論

 午前中暗室。やっとカラーのベタが量産できるようになった。ここのところ仕事が入って1時間とか1時間半とか、細切れにしか作業ができない。暗室はある程度の時間を集中して作業しないといけないのだが。午後、新宿で雑誌の撮影。その後渋谷のパルコミュージアムで安村崇展を見る。いつのまにかパルコギャラリーはパルコミュージアムになっていたんですね。写真展をみると元気になるか、元気がなくなるかどちらかだけど、期せずして元気になりました。「日常らしさ」、「せめて惑星らしく」、あともうひとつタイトル忘れましたがランドスケープの3部作をまとめた展示。ひとつずつだったら、フラット過ぎて「もっと遠くまで歩かせろよ」というかんじになったかもしれないけど、すぐ近く、向こう側、彼方、という3つの距離や関係性がごく自然に優しくリンクしていて、その相乗効果が心地よかったです。きっちり丁寧にまとまっているし、力のあるひとなんだなと思いました。もっとも、若くして、こうゆう場所で、たぶんスポンサーもついて大きな展覧会をやるくらいだから、力があるのは当たり前か。
 帰ったら本が届いていた。アマゾンに注文していた内田樹さんの本2冊と岩波ブックレット「個性を煽られる子供たち」。それと「中央公論」。内田樹さんは「ためらいの倫理学」(角川文庫)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043707010/qid=1128644217/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-7567347-2564337以来はまっているけど、著作のペースが速くて読むのが追いつきません。時々ブログをチェックするので精一杯。「個性を・・」は鈴木一誌さんがインタビューの時に薦めて下さった本。「中央公論」は中ほどのグラビアにメキシコのディエゴ・リベラの壁画の写真と文章を書きました。グラビアで何かない?と編集部のYさんから話があったときは日本の祭の写真にしようかと思っていたのだが、季節のあう祭がなかったのでメキシコにしました。2頁だけだったので”お馴染”のリベラの作品にしました。ちなみに今出ている「BRUTUS」ワイン特集の中ほど、スペインワインの「カヴァとウシ」の頁も撮ってます。銀座一丁目のスペイン・バル「Vinuls」で撮影したもの。このお店の一階はスペイン風の立ちのみバルでつまみは全品一皿500円。発売中の週刊文春の「切り捨て御免」でもここは取り上げられていて82点の高得点だった。でも場所が銀座だからお上品ですね。バルセロナのバルみたいに食べ終わったムール貝の殼を床に落としながらワインをガブガブあおるような庶民的な迫力はなかったけど、当たり前か。スペインのワインもおいしいね。発売中のSPA!の「顔」も撮ってます。まだ雑誌見てないけど。
 晩ご飯を食べていたら佐藤信太郎から電話があった。写真展の話をしてから「かぼすがあるならポン酢をつくるといいよ」と薦められる。もらったレシピでポン酢を作ったら美味しかったので、すぐにでも鍋を作りたくなったが、あいにく今日は炒め物と温かい素麺だったので、明日は豚肉と白菜の鍋にしようと思う。焼酎かっとかなくちゃ。やっぱ芋かな。http://www33.ocn.ne.jp/~macboy/i479.html
 食後に仕事場に行って、今日から始ったTBSラジオ「立川談志の遺言2005」を聞きながらベタ取りの続き。これから半年師匠の番組が聞けるのは嬉しい。ナイターが終わったから各局トーク番組が始まり、夜のラジオが楽しくなった。
 

投稿者 Ken Kitano : 08:39

2005年10月05日

10月5日 都写美

 午前中暗室。土日も休みなく働いてきたので身体が重い。その上金がないというのが、気持ちにプレッシャーをかける。なんでこんなに金がないのかと考える。その1、8月はほとんど仕事をしなかった(なかった)から。その2、機材を買ったから。その3、ギャラと経費を未払いの会社があるから。どれも事実だけど、その3が1番深刻であるのは明白だ。昨年末から春にかけて、僕にしては大きい仕事だったので、日数もかかっているし、かなり痛い。普通の人だとあの手この手で催促するのだろうが、そもそも旧知の人だし、先方もきびしいのは分かっているので電話をかけるのにブレーキがかかる。そもそもこの手の催促は気持ちのいいものではない。考えるとまた滅入る。何も考えずにビールを飲みたい衝動に駆られるけど、それだと単なるアル中なので気を取り直して納品に出かける。外に出ると寒いので長そでに着替えて出かける。
 某誌編集部で納品の後Kさんと昨日から始った春風亭昇太師匠のオールナイトニッポンの話をしてから恵比寿ガーデンプレイスへ。(ちなみにTBSで古田新太さんの番組も始った!やっぱ古田さん面白い。)都写真美術館のチケットをもらったいたので、特別コレクション展の第4部を見に行く。最近は展覧会を見なくなった。時間が取れないからつい行きそびれてしまう。意を決して足を運ばないといけないと時々反省する。着いたのが5時35分。なんと入館は5時半までだった。聞くと「チケットをお持ちなら6時までですが急いでご覧下さい」と言うので慌てて展示室へ。都心の美術館で6時閉館ってどう考えても早いよ。メイルウィッツ、サンディースコグランド、メイプルソープ、デュアンマイケル、アーバス・・・。懐かしい写真ばっかり。80年代〜90年代はじめに、そう、自分が10代から20代前半までに熱心に見た写真がたくさんならんでいた。そうゆう写真だから全部見るのに10分とかからない。本当はじっくりみて、当時と今とで受け止め方の違いなどを自己分析して、現在の自分の立ち位置を測る・・等々の観賞姿勢には、疲れて思考が停止しているので、まったく至らない。そういえば昔パルコで見たサンディースコグランドの展覧会は感動したなあ。彼女の作品は本で見るのと、実物の大きいプリントで見るのとでは大違い。ああ、またあのサンディーの世界に囲まれてみたい、などと追憶にひたるりつつ、身体を引きずるようにして日比谷線で六本木へ。六本木でギャラリーを2軒覗いて森ビルへ。杉本博司展を観にエレベーターで3階に上がって招待引換券を渡すと、受付のおねえさんが「本日は火曜日ですので杉本博司展は5時で終了しました」と言うではないか。確かにチケットに小さく書いてある。どうして火曜日にこの展示だけ早く終了するのか理解できないが、とにかく大幅にがっかりして雨に打たれながら帰る。
 思うのだが都写美の展示は「混沌へ」というタイトルが付いていたけど、単に収蔵作品を並べただけという感じで(実際収蔵作品展なんだけど)、半端についていたりいなかったりするキャプションも含めてキュレーションを通して迫るものがなかった。でも80年代はいい写真がたくさん生まれた時代だったなと改めて思った。
 ビールを飲んでNHKの立川談志師匠が手塚治虫を語る番組を見て寝る。

投稿者 Ken Kitano : 12:42

2005年10月02日

10月1日 かぼす

 娘の運動会だけど一日仕事。朝8時半からスタジオに入って、ある著名な方と、その方のコレクションのぬいぐるみを撮影。一つずつのぬいぐるみの履歴を聞いていると、そのレアさ加減(値段も)に気が遠くなりそうで、面白い。飯を食う暇もなく午後は繁華街で雑誌のスナップ。いわゆる「声かけ撮り」。若者だけでなく、老若男女を幅広く撮らなければならない。これはと思う人に声をかけるのだが、思うようにはかどらない。姿に険がある人、服装は普通だけど、どこか貧相な人など・・。美形でなくてもいいのだが、「誌面」のフィルターで道行く人を見ると、ふるいを通らない人が案外多い。普通にゆったりと気持ち良さそうに歩いている人というのは実に少ない。年齢が上がれば上がるほど少ない。きれいに歳をとるのは難しいということか。また、こちらから話しかけると、きちん対応してくれる人(取材を断るにしても)は、結局いい服をきておしゃれが行き届いて、お金をもっていそうな人である。これは年齢や性別を問わない。自分は?と考えるがショーウィンドーに写った姿をみて、「オレだったら絶対に声をかけないな、コイツ」と瞬時に思う。
 帰って運動会のお弁当のおかずの残りとビール。ビールにはかぼすをたっぷり搾ります。唐揚げにもかぼす。なんでもかぼすを搾ります。うちの奥さんが九州の知人からかぼすを大量に頂いたのだ。冷蔵庫に大量のかぼすがあるというのは実に心豊かな気分である。何に絞っても美味しい。焼酎はもちろんうまいけどビールにも合う。キリン「秋味」には特にあう。よくコロナビールにはライムを搾って飲みましょうとCMで言っているけど、メキシコではコロナに限らずどのビールにもよくライムを搾る。というよりメキシコの飲食店のテーブルにはライムとサルサソースが必ず置いてあり、食べ物、飲み物、なんでもライムをかけるのだ。日本のビールにも柑橘系は実は合う。特に空気がサラサラと乾燥してきたこれからの時期は、ややまったりした味のかぼすやすだちが合う。いつまでもビールを飲んでいたい。

投稿者 Ken Kitano : 06:34