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2006年01月31日

1月31日 ホームページからのメール開通!長らくすみませんでした!

 今日で1月も終わり。早い。今年もあっとゆうまにすぎるんだろうな。
 今日は午前中雑誌の撮影で茨城の勝田の先まで行ってきた。6時にJR中央線に乗ったらポイント故障でダイヤが乱れ、やたらに混んでいた。カメラバックと足ブクロ(三脚、スタンド、アンブレラなどが入っている)、ストロボを抱えて、腰痛にならないように祈りながら神田まで行く。冬場は中央線にのること自体がギャンブルだな。
 帰って、電話で打ち合わせ、データの調整してcdに落としたりして、娘とか竹とんぼを作る。それと秋にパソコンが故障以来長らく不通になっていたホームページからのメールを受信すべく格闘。サーバーさんから設定状況を取り寄せて、各設定をやり直してやっと開通させる。案の定50件もメールがたまっていた。(多くはスパムメールだったけど。)中には懐かしい友人知人からのメール。一件ある出版社から原稿依頼のメールがあって青くなる。暮れから2度にわたって原稿依頼のメールがあったことが発覚!ショック。こんなことで仕事を逃してしまうとは。
メールくださった皆様すみません。今日見ました。大変に失礼を致しました。

投稿者 Ken Kitano : 20:50

2006年01月30日

1月28日  人口問題

 一月も終わりだというのに今年になってから仕事らしい撮影をあまりしていない。つまり仕事がない。やばい。1月2月がヒマなのは毎年のことだけど、これだけ仕事がないと不安になります。展覧会の準備やらやることはいろいろあるのだが、身入りのない仕事をしていると、いろんな不安がないまぜになって、なんだか胸の辺りがジンジン痛くなってくる。営業に出かけようかとも思うが、売り込み用のポートフォリオがあまりにも古いままで作り直したいと思い、まずはそこからなどと、またまた腰が重くなる。いやいや、フットワークが軽くないと行けないぞ。まめに動いてないと他のことも停滞してしまうよな。
 ・・・などと思いつつも、仕事とも撮影とも直接関係ないセミナーを聞きに六本木ヒルズ49階のアカデミーヒルズに行く。ジャーナリストの武田徹さんと東大先端研が通年で開催している「安全・安心と科学技術」プロジェクト ジャーナリストコースのセミナー。これは毎回専門の研究者を招いてリスク社会について様々なテーマの講座を開いている。本来通年なんだけど、一回3000円で単回でも受けさせてもらえる。今回は「私たちは未来にいかに責任を取るべきか ―― 科学技術倫理学の世界」(加藤尚武京都大学名誉教授、前鳥取環境大学学長)と「リスクとしての人口 ―― 人口100億人時代の地球論(鬼頭宏上智大学経済学部教授)の2つ。前者の講義では、建物の構造にしても原発にしても環境問題にしても、次世代にわたる長期的な科学の予測について。この問題はそもそも基準にするデータそのものの歴史的信頼性が担保できないということが最大の問題という。アスベストなどがいい例だけど、数十年前によかれと思って施した科学技術が、あるときに人体によくないと判断される。責任を取らせようにも当時の技術に対して「その段階では判断できなかった」となる。つまりだれも責任をとらない。未来世代への負担や責任を担保も合意もすることなく、日々リスクを構築し続けるのが自由主義以降の私たちの社会だということ。実に昨今のニュースのほとんどが、こうゆう側面から見ることができそうだ。
 もうひとつの人口問題はour faceプロジェクトでも関心を持って関連することを調べたので興味深かった。日本は74年から人口を維持するラインと言われる合計特殊出産率2.1を割り、今年から人口が減り始める。歴史的にみると地球全体も、またどの地域も、細かい増減を繰り返しながら人口は増え続けていたそうだ。人口がピークに達し、減り始める時というのは、その時代のシステムが限界に達し(飽和状態)、あたらしいい価値やシステムに移行する過渡期であるという見方ができるらしい。日本で言うと近いところで幕末。幕末は江戸時代のシステムが限界に達し崩壊するわけだけど、当時の日本の人口密度は世界有数であったらしい。しかも食料及び経済完全自給で。開国を迫ったアメリカより人口は多かったというから驚く。そうゆうふうに長期的にみると日本の人口減少というのはどうすることもできない問題だという気になる。とはいえ当面の年金をはじめとする世代間不平等の問題は具体的で深刻だ。また ourfaceでもあちこち訪れた過疎地の問題や地位域のコミニュティーが都市を含め崩壊しつつある現状というのは緊急的な課題だ。大きな人口問題はまずそこからという気がする。世代間、地域、所得間など、人間と人間の接点を作り距離をちじめることがなによりという気がする。
 ヒルズ自体は好きではないが、しかし六本木ヒルズ49階からの眺めはすばらしい。いつまでも見飽きない。昔の天皇は国見といって高台から盆地を配下の国を見下ろしすことをしたというが、権力者が高いところからの目線や眺望をほしがるのは率直に頷ける。だって気持ちいい。
 帰ってから夜、落合由利子さんちにプリントのドライマウントプレスをかけに行く。(自分のプレス機が変圧器の故障なのだ。機材の故障が最近続いている。金欠。)落合さんと久しぶりに話す。川内倫子さんのこんどの写真集は「ほんとにいいねえ 」などと話し込む。
 

投稿者 Ken Kitano : 08:12

2006年01月25日

1月24日 青山ブックセンター

朝、暗室でプリントの仕度をしようと水道のお湯の蛇口をひねると、出ない。凍ってしまったらしい。洗面所も台所もお湯がでない。配管も凍る寒さ。仕方なく鍋で湯を沸かして薬品を作り、冷蔵庫のような暗室で昼間で作業する。液温もぐんぐん下がる。ああ寒かった。
 午後車で都心へ。2月20日から3月5日まで青山ブックセンターでやる写真展の打ち合わせ。六本木店の写真集コーナーでいろんな人の写真集を見ていたら、版元の西山さんから電話があり、「もしかして六本木店に行ってない?渋谷の本店だよ!」とお怒り気味の声。てっきり六本木店だと思ってお待たせてしまった。(西山さんすみません。)渋谷店にも展示スペースがあったとは知らなかった。渋谷店の写真集コーナーの壁面は思いのほか長かった。一昨年プレイスMで展示したロールのプリントと額を組み合わせて展示しようと思う。会期中の土日に時間を決めて、希望のお客さんを店内で撮影して、後日重ねたour faceの肖像をプレゼントするイベントもすることになった。(無料です。)近くなったら詳しくインフォメーションを出しますので、よろしかったら来て下さい。
 それにしてもいろんな写真集が出ている。いくつか気になった本があったが、金が無くて買えなかったのと、正確なタイトルが思い出せないのでいずれまた書きます。そういえば文芸誌「すばる」のラテンアメリカ文学特集だったのに買いそびれてしまった。
 ラボに寄ってから気になっていた隅田川の蔵前付近へ。時間が遅くて撮影は無理。ロケハンだけして秋葉原のヨドバシカメラへ。CDRと車のキーに内臓のボタン電池を買う。今まで仕事のデータはMOにバックアップを取っていたのだが、先日大事なデータの入ったMOが開けなくなっていることが発覚。(ショック!いずれ修復業者に持っていかなくては。)MOも壊れるんですね。多重バックアップをとるべく外付けハードディスクとCDRをたくさん買う。デジタル機器は周辺機器や消耗品のコストがかかりますね。きりが無い。車のキーの電池は小さいのに2300円もしやがる。ここのところ細かい出費が続く。仕事がないのに出費は続く。とほほ。

投稿者 Ken Kitano : 11:25

2006年01月21日

1月21日  熊野から戻る。

19日、20日と仕事で熊野へ行っていた。なんども足を運んだけど、ひとまずはこれが最後の取材。「熊野古道完全ガイドブック(仮)」(扶桑社刊)として3月に発売になる予定。編集の秦さんお疲れさまでした。
 今朝は予報通り雪。娘はさっそく外で雪だるま作り。

投稿者 Ken Kitano : 10:29

2006年01月18日

1月17日  ローカル岡師匠に合掌

震災の追悼ニュースなどどこへやら。今日はいろんなニュースがあった。暗室の中で時々ラジオのニュースを聞いた。耐震強度偽装問題の証人喚問とライブドアの強制捜査の話題が中心だった。国会の証人喚問を暗いところで声だけ聞いたわけだけど、まるで発言者の顔というか、内面が見えない声だった。階下におりてテレビを付けたら小嶋社長の顔を見て納得。自分の作った壁に閉じこもった能面のような顔だった。宮崎勤の死刑判決もあった。そんななか僕が一番ショックだったのは、漫談芸人のローカル岡さんの訃報だった。1年くらい前からラジオ「ビバリー昼ズ」でも人気急上昇だったローカル岡さん。舞台を観たのは去年のゴールデンウィークに家族で行った浅草が最初で最後だった。のらりくらいりした調子の茨城弁のぼやき漫談だった。ゆるーい調子にふんわり揺すぶられて、いつのまにか爆笑させられてしまった。うちの奥さんも「このひと面白いねー」と見終わって言っていた。62歳?早いなー。おおきなニュースに隠れてひっそりした訃報も「いかにも」という気がしないでもない。残念。夜中のニュースで直木賞、芥川賞の発表もあったことを知った。

今日は夕方まで暗室でした。「our face」シリーズ「PIERROTファン45人を重ねた肖像」のフルアナログプリント。この写真にはいろいろなものがつまっている気がする肖像。期待していたけど、思ったほどの仕上がりではなかった。冬休みに撮った写真のベタ取り。こちらも収穫なし。テンション下がります。毎年この時期は仕事がない。そうゆう時に「コの字本」の取材ができればよかったのだが・・。うまくいかないですね。

投稿者 Ken Kitano : 08:47

2006年01月17日

1月16日 野沢温泉

 15日、16日と野沢温泉の道祖神祭に行ってきた。
 前日に新幹線に切符を買いに行く途中銀行によったら、通帳の残高を見て自動ドアのところで気絶しそうになった。(少なさのあまり。)11月、12月は結構忙しく仕事したのでなんとなく安心していたのだが、よく考えるとほとんど春以降に出る仕事。ということは入金はもっと後。そんな時に、金になるかどうかもわからないし、なってもいつ形になるかもしれない祭を撮りに信州に行っている場合じゃないといのだが、約束してしまったので、「きっとそのうちにいいことがある」と自分に言い聞かせて切符を買う。(そしたらその後車のウインカーが故障、さらにパソコンのMOドライブが故障した。いいことないじゃん。)道祖神祭は雪の火祭り。防寒具は火の粉がかかって穴があいてもいいようにと、軽いダウンコートはやめて以前福生で買った米軍払い下げの雪用アーミーコートを着ていく。
 
この時期、信州は(関東も各地でやりますね)どんと焼きがあちこちで行われるが、そのなかでもとりわけ盛大で有名な野沢の道祖神祭。山から切り倒してきた神聖な五本の木(神様の依り代なんでしょうね)をたて、その上に小屋(社殿)掛けします。(高さ15メートルくらい)小屋に40歳の厄年の男衆がのります。小屋の下には火をつけようと松明をもって若い衆たちが飛び込んで来るのを、25歳の厄男たちが身を挺して阻止します。荒々しいもみ合いの末、火がはなたれ、雪の上で小屋が火柱をたてて燃える。若い衆たちはみんな火傷だらけ。でも終わった後は抱き合って喜びを分かち合っていた。

基本的には成人を迎えた男が小屋におこもりをして(縄文の頃の人類の場合は洞窟でのイニシエーションだったでしょう)、外に出た後、大人たちとぶつかり、神聖な火とともに生まれ変わるという、共同体の通過儀礼といえるだろう。激しいけど素朴でいい祭でした。(ただし祭撮影で毎度のことながら、おじさんおばさんのアマチュアカメラマンの態度の悪さには閉口した。地元の人たちの行事を見させて頂いているという意識がまるでない。恥ずべき大人たちだ。)

野沢というところは古い温泉街だけど、大ホテルがなく、ということは無粋な団体客がいなくていいです。また近代スキー発祥の地という土地柄、昔から文化人に愛されていた土地。街全体にとても品があります。そしておもてなしの精神が街全体にあります。客も身だしなみのしっかりした人が多く、よっぱらいなんか歩いていないのがよいです。日本の温泉町では希少な場所だと思います。以前仕事で一度だけ行ったヨーロッパ、チロルの高原の趣すらあります。野沢は観光地としてしっかりしているから、減ったとはいえ若い人がいて、しっかり祭が受け継がれているんだろう。祭をとおして同世代の結束が固いから、町づくりもうまく協力できるのではないだろうか。それにしても今年の雪は大変だと、(少し見ただけだけど)感じた。”雪害”という言葉に納得。

今回は宿と祭会場が近かったので、ご一緒した民俗学者のK先生と会場と宿を行き来しつつ、「酒→温泉→祭→温泉→酒」という感じだった。酒を飲みつつ、例によって失礼を承知で先生に素人質問をぶつける。授業料も払っていないのに専門家とご一緒するとなんでも答えて頂けてお得だ。大磯のどんと焼きもいいらしいので今度行ってみよう。

投稿者 Ken Kitano : 09:14

2006年01月13日

1月12日 ニコン

 終日暗室。
 夜TBSラジオ「アクセス」を聞いていたら、ニコンが銀塩カメラ生産をやめてデジタルに一本化するというニュースにショック。その後の「バツラジ」でも宮川さんが「うそだろ〜」という感じで取り上げていた。どっちかというとニコンだけは頑固に両方作り続けそうなイメージだったのに。最近までかなり古い機種の修理もしてくれてたし。いずれはそうなると思ってたけど、時代の流れは早い。まだ「フィルムで撮って」という出版社も多いんだよ。これからフィルムや現像代、印画紙などは値上がりしてゆくのだろう。早いなぁ。とりあえずは今抱えているフィルムを早めに使おう。でも作品はフィルム主体で撮ると思う。ますます制作コストがかさむかも。
 夜家族が早めに寝てしまったので袴田さんから借りた「幕末太陽伝」を観る。フランキー堺の弾むような動きに感動。女の人がきれいだ。モノクロだけど艶やか。いつかスクリーンで観たい。郭の世界の人々が、活き活きと、というのとちょっと違ってるもしれないけど、どの人も本当に存在感がありますね。ちょうど小沢昭一の「雑談にっぽん色里誌」(ちくま文庫)を読んでいたので頭の中で郭の情景と言葉がシンクロしますね。落語を聞きたくなりました。そういえば最近郭話を高座でやる人が少ないなあ。落語ブームの客層を考えるともっともだけど。

投稿者 Ken Kitano : 08:43

2006年01月10日

1月9日 冬休み最後

 娘は明日から新学期。宿題の「お手伝いカード」がほとんど空白のまま冬休み最終日を迎えた。さすがにマズいと思ったのか、朝コンビニにお使いに行ったり、台所から皿を運ぶなどのにわかお手伝いをするが、「手伝ったのに感謝しない」などとフマンを言ってごねないでほしい。わざわざお手伝いのチャンスを作ってあげて、その都度わざわざ感謝するのは大変つかれます。
 午後車屋に行く。年末に納車された中古車のETCが繋がっていなかったのと、CDチェンジャーがついていなかったのと(ちゃんとつけてよね!)、唐突にパワーウィンドーが開いたまま閉まらなくなったのを直しに行く。多摩ニュータウンや鶴川のあたりを走りながら、雑木林の丘陵とニュータウンが混在する風景を見ながら、改めて凄いなーと思う。結婚する前にうちの奥さんが新百合ケ丘にすんでいたのでよく通った道。一度だけ行った伊豆から毎日お湯を運んでくるという温泉ランドがつぶれて更地になっていた。帰りに撮影しようとカメラを積んで行ったが結局修理を待って帰る頃には日暮れ。何もしないままぬる〜く休日が終わってしまった。思えば昨年の今頃は原稿書きに埋もれていました。(本ができるのかどうか、出来上がってもそれがナンボのものか)不安にかられつつ、資料の海のなかでもがきながら書いていました。(思ったけど書くという作業は結構マゾっぽいところがあありますね。)今年は一から始める仕事がいくつかと、暖めていた企画が年末にngになってしまったので、なんとなくテンションがあがらない年始です。写真家はどんな時でもいい写真さえ撮れれば気分がよくなる人種だから、”いい写真”に向けてコツコツ歩くしかありませんね。

 更新したニュースサイトにも書いてありますが、六本木の青山ブックセンターにて写真展をやることになりました。書店の売り場なので小規模なものになると思います。詳細はこれからです。会期は2006年2月20日(月)〜3月5日(日)の2週間。お近くにお寄りの際はぜひおこし下さい。
http://www.ourface.com/news/index.htm

投稿者 Ken Kitano : 08:55

1月8日 焚き火会

ご近所の人たちと毎年恒例の落ち葉焚き会。夏にうちの隣の巨木が切られたので落ち葉の量は減ったけれど、それでも落ち葉はいくらでもある。アルミホイルに包んでお芋や鶏の丸焼きなどを焚き火で焼いて外で食べる。子供たちは家の中でお化け屋敷を作って、大人たちをひとリずつ捕まえて部屋に連れて行くのだが、おとなが怖がらないと怒ったり、シーツをかぶった雪女がアイスノンを投げつけるのはやめてもらいたいと思いました。

投稿者 Ken Kitano : 08:47

1月7日  初笑い

秋葉原で暗室関係の買い物をして亀有へ。(常磐線の各駅停車の乗り継ぎはもう少し案内をしてほしいです。)リリオホールでの新春寄へ行く。(うちの奥さんと娘は電車で遠くの公園へ出かけたのだが、うちの奥さんは僕が仕事に都心に行くのだと勝手に思い込んでいたので、あえて訂正しないで出かけた。)ホール受付で大学で同じ写真部だったY君と再会。ビルメンテナンス会社に転職して葛飾区のホール担当になっていた。今日の出演はだるま食堂、ポカスカジャン、柳家喬太郎、春風亭昇太。どれも僕の大好きな芸人さん。だるま食堂は大きなホールで観るのは初めてだったが、どろ〜んとした感じで最初っからつかまれて会場があったまった。下町という土地柄なのか、客の反応が細かくて早い。気がつくとポカスカジャンに乗せられて、いい歳の大人の客が、全員でショッカーの「イェーッ!」と唱和しておりました。喬太郎さんは駅前の「立ち食いそばというのはマズいのが美味い」という話をマクラでして、異様に盛り上がる亀有っていいところだな。みんなマズい立ち食いそばの魅力に共感しているんだから。都心のホールじゃこうはならない。前の席で小学5年生の女の子がすごくウケていた。うちも早く娘と舞台を観に行きたいなと思った。それにしても前の席の子たちの反応はツボを心得ていた。日頃の鍛錬があるのかな。
今日はコの字で飲めなかったので、今度有名な一力、江戸一に飲みに行きたい。帰りにライター袴田さん、シアターガイドの Kさん、Nさんらと居酒屋で飲む。例によって僕は熱燗を飲み続けて無理矢理気味に袴田さんと酔っぱらいチームを構成する。袴田さん、皆さんすみません。

投稿者 Ken Kitano : 08:07

2006年01月06日

1月6日  暗室

朝、家の中が氷のように冷たい。うちにあったかい温泉が湧いていて、布団を出て露天風呂に入れたらどんないいだろう、などと思いつつストーブのスイッチをいれてまたお布団へ。

熱いコーヒーを飲んで家を出る。寒いけど歩いて暗室へ。暗室に着くと現像液と部屋を暖めてプリントのセッティング。やっと現像液があたたまって、レンズの曇りもとれて、最初の試し焼きを焼くために露光した瞬間、「チ」という不気味な音。引き延ばし機の電球のタマ切れ。おい、マジかよ!電球のストックがない。明日買いに行くことにして、気を取り直して、もう一台の引き延ばし機でやりかけていたカラープリントをすることにする。ベタの束から荒選びした写真をキャビネで焼いて行く。数枚「いいじゃん!」という写真がある。でも全体を並べたときにひとつのシリーズでくくれるか?まずは一通り本焼きをして並べてみて考えよう。
焼いていたら、昔の試し焼きの束から月の写真がたまたま出てくる。「東京の月」シリーズを独立させてまた始めようか、などと考える。暗室にいるといろんなことを考える。

夜、帰って鶏のスープと干物ごはん。
今日は休肝日。

投稿者 Ken Kitano : 21:10

2006年01月05日

1月5日 古畑

 年の瀬ぎりぎりに実家のものが突然入院。幸い大事ではなかったので安心。某劇場の新春公演の舞台撮影の仕事もあり、あまり正月らしくない日々ですが、しっかり酒だけは飲んでいる新年のこのごろです。そんなわけでまだ年賀状を書いていません。
 昨日は納品の後浅草へ。2時頃から日没まで撮影。あちこちに出店が出ていてにぎわっていた。観音様の裏手あたりは何もない空き地のようなぽっぱりした空間に、よっぱらったり、人を待っていたり、ただ突っ立っているひとがいて、体験していないから知らないのにこうゆうのも変だが、何となく「戦後っぽい」と毎回いいたくなるような風景にジンとくる。日没近くに大川にでて蔵前橋までロケハン。大江戸線で新宿に出て伊勢丹会館の沖縄料理屋へ。清里フォトミュージアムヤングポートフォリオ仲間の新年会。 hちゃんの快気祝いもかねての飲み会。hちゃんは元気そうで安心。前日飲み過ぎでよっぱらってこらえなくなった一人を除いて6人で閉店まで盛り上がる。以前だったら写真の話で何時間でも熱く盛り上がるのだが、昨日は主に健康と体にいい 食べ物の話題が中心。みんなしっかり歳をとりましたね。もうとっくに「ヤング」ではないね。ただひとりまだ「ヤング」なのは内野君だけ。内野君は列車の車窓からの風景のシリーズをいま撮っているそうで、年末から雪の日本海側を旅していたそうだ。彼は旅をしている人の雰囲気がとてもする。僕にはもうそうゆう空気はなくなってしまっただろう。彼の最近の写真が関西の写真賞のサイトにアップされています。ずうっと「のざらし」の風景を撮り続けている人です。http://www.miophoto.jp/mio2005/sakuhin/nyuusyou/09.html
 結局泡盛のボトル2本を空けてお開き。久野君と内野君がうちにきてさらに飲む。信太郎さん今度は荻窪で飲むからね。

 今日は暗室に入りたかったけど、娘と公園へ。夕方録画していた古畑任三郎を観る。同じ時間に重なっていたもう一つの三谷幸喜「新撰組」はm劇場のUさんにこんど借りる予定。古畑は最後の最後の石坂浩二と田村正和のやり取りのシーンが途中で切れていて(録画されていなくて)、家族全員「ア〜!」と叫ぶ。夜の第二回も観て寝る。イチローの演技がどうにいっていた。面白かった。

投稿者 Ken Kitano : 08:34

2006年01月01日

2006 元旦

昨年中は写真集発売もあり、たくさんの方にお知り合いになれ、またお世話になりました。今年も撮って、出してゆきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いします。

投稿者 Ken Kitano : 09:48