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2007年02月25日

2月25日  ペルーアンデスの教会美術

 福井大学の岡田裕成先生から 「南米キリスト教美術とコロニアリズム」(名古屋大学出版会)という本が届いた。
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0556-2.html

 2000年に岡田先生と神奈川大学の加藤薫先生とペルーアンデスの教会美術を訪ねたことがある。標高4000m前後のアンデスの村々を訪ね、ほんとんど調査の行われていなかった植民地時代の教会美術の調査の撮影を担当した。植民地支配は精神の根底から行われる。ピラミットを壊し、その石材を使って、精神的モニュメントがあったその場所にカトリックの教会が建てられた。先住民にキリスト教の世界を手っ取り早く伝えるのために教会の壁面に絵が描かれる。キリスト教の宗教画とはいえ、無論ルネッサンスのイタリアの宗教画などとは、ほど遠い世界がそこに描かれている。あるものは曼荼羅のようだ。またある壁画は先住民の黒い肌の色そのままに黒い人々と、アンデスの花々と一緒に描かれた牧歌的な神々の園。最も印象的だったのは地獄の世界だ。精神的な支配のために、統治者は地獄のイメージを頻繁に用る。
 知識もなく、作品にするべくさしたるあてもなく、正直なところなんとなく成り行きで参加した調査であった。厳しい条件下での撮影だったし、撮影方法も最後まで定まらなかった。長く写真は手元に戻って来なかったので、確かに自分が撮影したにはちがいないが、なんとなく初対面のようなよそよそしさで印刷された本と対面した。本には巻頭30頁に渡ってカラーグラビア(いい印刷だった)で写真が収まっている。改めて見ると、そこには彼の地の苛烈な自然条件にふさわしい、生々しい生エロスとタナトスがそこにある。まさしくこれはバロックだなあ、と思いながら頁をめくった。

投稿者 Ken Kitano : 11:21

2月24日  妻の個展

 妻の個展が無事終了。本も作品もけっこう売れたらしい。今回は、いつにもまして「オンリー フォー ミー」なものを作っていた。今回は竹ざると漆喰で作った架空の商店看板を作って展示していた。「by myself」な「自分さえよければ循環」のなかに、他人もノレる「下げ」みたいなものがどこかにあると、見る人もそれなりに楽しめるようだ。今回個展をやらせてもらった場所「ブックギャラリーポポタム」はギャラリーとオーナーの本のセレクトショップが一緒になっている書店。面白い本がたくさんあった。北井一夫さんの「フナバシストーリー」(1989年六興社)と久住昌之さんの「写真4コマ漫画」(昭和59年白夜書房)、茂木健一郎「脳と仮想」(2004年新潮社)を購入した
 昨夜は笹目さん、袴田さんがいらしてくれて池袋で遅くまで飲んだ。2軒目に行ったコの字居酒屋「ふくろ」が、朝7時から営業していると聞いて驚いたけど嬉しくなった。
 今日は、朝、池袋界隈を家族で散歩した。鬼子母神から都電で荒川遊園へ移動。友人のOさん親子と久々に遊んだ。寒かったけど、冬空の観覧車はよいです。個展の撤収を終えて10時頃帰宅。風呂は入ってワインのんで寝る。

投稿者 Ken Kitano : 10:53

2007年02月20日

2月20日  「Photo GRAPHICA」誌

雑誌 「Photo GRAPHICA」(エムディエヌコーポレーション刊)ポートレート特集が送られてきました。
これでもかっていうくらい、いろんな写真が収められた一冊だ。じっくり見る(読む)ことにしよう。付録に「Photographer's FILE 2007-1」もついている。知った名前も何人か入っていて、刺激になる。僕は「ドキュメンタリー・ポートレート」という特集のなかで4頁のインタビューに載っている。暗室も写真入りで出ています。インタビューアーは竹内万里子さんです。タイトルの「ドキュメンタリー・ポートレート」という言葉が、僕には新鮮だった。風景の中に人がいなくなったいま、人を見つめる行為自体がもはや、わざわざ追い求めるという意味でドキュメンタリー性をともなう。だからドキュメンタリーといっても被写体の方へ依存するのではない。会いに行く、人を撮ることそのものがある意味でとても能動的でなくてはならない。

妻の個展が始まります。
以下ご案内。
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村尾かずこ
漆喰でつくる楽しいお店の看板展

銭湯、金魚屋、居酒屋、本屋、小鳥屋、たまご屋、ねこの花屋・・・・。
本当にありそうなお店とあまりなさそうなお店の看板を作ってみました。

伝統的な壁を塗る材料や技法として使われる漆喰、土、フレスコ画法で作った絵看板の作品展です。
左官屋さんの土蔵づくりを描いた絵本「どぞう」(SABU出版刊)の原画展も同時開催します。
http://shop.ruralnet.or.jp/search_result.php

会期:2007年 2月20日(火)〜2月24日(土) 12:00〜18:00
会場:ブックギャラリー・ポポタム
   豊島区西池袋2−15−17
   Tel 03−5952−0114
http://popotame.m78.com/

投稿者 Ken Kitano : 12:31

2月18日  熊野

一年半ぶりで熊野に行ってきた。昨年出た扶桑社の「熊野古道完全ガイド」が好評で第二弾を出すことになった。世界遺産効果は大きいようだ。たぶん後2回は撮影に行くことになると思う。久々に行った熊野は明らかに観光客が増えていた。行政は客の量ばかり増えずに質が上がることを今のうちにリードしてゆけるといいのだけど・・。それに旅館や食べ物やさんの質はまだまだだ。遠来の客をもてなすという意識のある店は依然少数だ。
 3日間だったが、最初余裕の行程だったのでゆっくり風景も撮れるかなと思っていたのに、店取材などどんどん細かい取材が入って出発してみたらきつきつだった。せっかく貴重ないい天気の時も細かい店の撮影に行かなくてはならず、非常にもったいない。次回はスケジュールの相談をきっちりしないと。
 などと愚痴ばかり書いたけど、少しだけ歩いた古道はやはり気持ちがよかった。今の時期は寒からず暑からず、花も咲いていて熊野古道歩きには最適だと思った。山の中の食事は体力を使うのにも関わらず、質素でとても塩辛い。海沿いの街に降りてくると、反動で必ずカツカレーを食べたくなるのは、今回も同じでした。

投稿者 Ken Kitano : 12:18

2月15日 深川雅文さんの講演

昨年11月にイギリス、テイト・モダンで行われた深川雅文さんの講演がポットキャストで見られるとのお知らせを頂いた。
Global Photography Now: East Asiaというテーマでアジア参加国のゲストが講演している。
英語力がない僕は流れで想像して聞くしかないが、セルフポートレートの系譜と場所性のようなことの系譜の二つから語られる現代写真の流れの中でour faceが紹介されているのは、なんだかぴったりだなあと思った。

http://www.tate.org.uk/onlineevents/webcasts/global_photography/default.jsp

ページのタブに付いている「Play」をクリックすると見られる。

「回転回」で話題の屋代敏哉君の作品も講演の中に登場する。屋代君は「時間と場所」に対する独特の興味の持ち方が以前から面白いなあ、と思っていたが、回転回を発表した時に、作者自らがそこに入ってゆくことに展開したことに、なるごど「そうきたか」と思った。私の場合は自分に無数の他者を重ねる衝動的な撮影から始まり、後に各地を訪ねる場所的な要素が加わり、プロジェクトとして発展した。写真としての風景に人間がいなくなった現在、人間の存在を見つけるとしたら、自己を介在させるか、会いに行く敷かない。以前より、人を撮るということが特別なことになった。回転回は他者が参加することで成立することに発展するあたりも、 ourfaceとも少し似てい思いました。

投稿者 Ken Kitano : 11:28

2007年02月12日

2月11日 「ガルシアマルケスに葬られた女」藤原章生著

 毎日新聞の藤原章生さんから新著が送られて来た。前著の集英社開高健ノンフィクション大賞受賞作から時をおかずに新著だ。藤原さんは以前メキシコ支局時代にガルシアマルケスの「エンディラ」の舞台になったコロンビアのカリブ南部を訪ねる短い連載をされていて、僕はいつも楽しみに読んでいた。たしかイラク戦争が始まってその取材に加わったのか、途中で止まったままになっていたと思う。そのガルシアマルケスの小説の舞台を訪ねる旅がこのようにまとまっていたとは。早速読み始めたら、止まらずに一気に読んでしまった。
http://books.shueisha.co.jp/CGI/navi_frset.cgi
 内容の紹介を本書のプレスリリースから抜粋する。
〈ノーベル賞受賞作家ガルシアマルケスの、もっとも有名な作品のひとつ「予告された殺人の記録」のモデルにされたマルガリータは、この本が売れたばかりに、人々から好奇の目で見られ、他人のウェディング・ドレスを縫うだけの失意の人生を送っている。結婚初夜に処女でなかったことを理由に実家に突き返されただけでも、ショックな事件なのに、翌朝、昔の恋人と目されたカエタノは、実の兄に殺された。従兄弟のガルシアマルケスは、悪意に満ちたフィクションを加えて本を書いた。マルガリータが初夜に自分を捨てた夫を、17年間も思い続けているという設定が、さらに彼女のプライドを傷つけることになった。マルガリータの、初体験の相手は、本当にカタエノだったのか・・・。(中略)マルガリータは、一夜だけの夫のミゲルを、自分の過去を棚に上げて、マルガリータだけを責めるような男を、許すことができたのか・・。著者の藤原氏は、その謎を追って、舞台となったスクレの町に、何度も足を運ぶ。ガルシアマルケスの実弟や実妹、マルガリータの姪、マルガリータの幼馴染み、そしてマルガリータが通った教会の牧師と、インタビューを重ねることで、見えてきたものは・・・・。〉
 実在の事件の登場人物であるマルガリータへの手紙を綴る形で本書は始まる。そして最後までマルガリータへ向けられる言葉として書かれいている。読みながら出会うマルガリータは遠い存在だ。しかし時にすぐ近くにいるように感じたり、後ろ姿をかすかにみるような思いもする。でもやっぱり遠い。他者へ近づくことは困難だし、他者を理解することは根源的な困難を伴う。間抜けなことに僕はガルシアマルケスの小説を描かれた側から考えたことがなかった。読み終わって下世話だが、ドキュメンタリー出身の小説家の仕事にこの本はドキュメンタリーでお返ししてあまりある作品だ、などと思ってしまった。(写真ではラテンアメリカやアジアを撮った写真には実際に現地を訪れてみると、明らかにdiscoverする眼差しで撮っているなと感じる写真がある。ラ米の写真に多く見られるマジックリアリズム的手法は注意して見る必要がある。カーティスや初期のものをのぞくサルガドの写真もそうゆう意味で僕はあまり好きではない。余談です。)
 様々な人が登場する度に藤原さんを通して、最初はいくらか緊張しながらその人と出会い(読み)、次第にその人の生きている方向のようなものを少しだけ感じて、別れること繰り返しました。そのうち私はいつしか人が、一人称として他の者には絶対に代わることのできない本当の意味での自身の経験を生きることとはどうゆうことなだろう、などとぼんやり考えていました。また他者のそうした経験を認めながら生きることはできるのだろうか、などと。
  この本は読んでいると全編に渡ってゆったりとした風に吹かれているようだった。見渡せば日本は垂れ流すように内面を吐露する表現が氾濫するなかで、この本で感じた風は私には心地いいものでした。

投稿者 Ken Kitano : 09:16

2月9日 プール

妻の個展が近いのでなるべく家にいて家のことをやるようにしている。できるこおtなら24時間ずうっと写真のことやっていたい(それと酒を飲むのも)気もするけど、そうゆうわけにもいかない。今日は娘とプールに行った。夏以来のプールで娘はおおはしゃぎだった。冬の室内プールは空いていて独特の静けさがあってよかった。

妻は大学でフレスコ画に出会って、だんだん壁に興味を持ち始めた。左官の親方の元で少し修業して、今は土を使った造形、左官工事、イラストを時々書いたりしている。今度の展覧会はみうらじゅんさんの「勝手に観光協会」よろしく、商店の看板を勝手に漆喰で作った看板と昨年九州の出版社から出版された絵本「どぞう」の原画展。絵本の書店兼ギャラリーだそうです。絵本好きな方はお運び下さい。
(以下プレスリリースより)
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銭湯、金魚屋、居酒屋、本屋、小鳥屋、たまご屋、ねこの花屋・・・・。
本当にありそうなお店とあまりなさそうなお店の看板を作ってみました。
左官屋さんの土蔵づくりを描いた絵本「どぞう」(SABU出版刊)の原画展も同時開催します。
http://shop.ruralnet.or.jp/search_result.php
会期:2007年 2月20日(火)〜2月24日(土) 12:00〜18:00
会場:ブックギャラリー・ポポタム
   豊島区西池袋2−15−17
   Tel 03−5952−0114
http://popotame.m78.com/

投稿者 Ken Kitano : 08:51

2007年02月11日

2月8日  

 昼まで家で作業。
 午後原宿のナショナルフォトに昨日レンタルした機材を返却に行く。舞台撮影のために消音器を借りた。未だにニコンF4用のみというのがすごい。映画のスチールさんはまだフィルム使っているのか?
 その後高田馬場の窓社で自分の写真集を2冊購入する。手元に1冊しかなくなってしまったのだ。社長の西山さんと久々に話す。最近窓社から出した渡邊博史さんのポートレート写真集は先日名古屋の三省堂で平積みされいていた。エクアドルの精神病院の人々のポートレート集。こうゆう仕事は日本に住んでいる写真家にはなかなか継続できない仕事だ。先日新宿のニコンでばったり土屋育子さんに会った。土屋さんは6年前にイギリスにわたり医療現場のドジュメンタリーの仕事を続けていて、向こうでも賞をとり、日本でも一昨年三木淳賞を取った。土屋さんはイギリスの政府やアート支援プログラムから助成を受けて作品を作っているといっていた。「向こうはそうゆうのいっぱいありますよ」的なことを言っていた。イギリスではドキュメンタリーの仕事を新聞やテレビのメディアがかなり応援してくれているそうだ。
http://www.mado.co.jp/
 窓社の近くのインド料理やでカレー。最近毎日カレーを食べている。
 夕方恵比寿で某男性誌のスーツ特集の撮影。直前に知人の編プロ経由で依頼があり、担当編集とは面識なし、打ち合わせなし、現場立ち会いなし。ラフはライターのMさん手描きのみ。不安この上ない流れの撮影。いいのかよ、そんな進行で大丈夫かって感じだ。撮ってすぐデータを渡す。即デザイン入れらしい。本当はプリントで撮りたいのだが。月刊誌とは思えない進行。きっと何かで企画が飛んだんのだろうか。一応撮れたけど、テイストやでティールの出し方など、さっぱりわからない。顔の見えない仕事の仕方は不安がつきまとう。
 顔が見えないと言えば、例の関西テレビの例のやらせ番組の問題で局長(副社長だったか?)のコメントで下請け、孫請けの末端まで周知させたい、というコメントがあった。下請けは”末端”なのかよ。現場とか最前線とか言えないのか。出版社でも発注の仕方が「使ってやる体質」から「一緒にものをつくる体質」までいろいろある。
 

投稿者 Ken Kitano : 11:08