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2007年04月30日

4月28日 たていし

 写真家の佐藤信太郎氏と「こんど立石で飲もう」と約束して1500年くらい経つので、いいかげんに本当に飲もうということになった。3時に京成立石駅で待ち合わせる。最初1時にといっていたが、そんなに早くからヨッパらっていたら、ダメ人間にも程があるだろうということで3時にした。
 その前に午前中、北野家総出のバーベキュー大会を明後日するので兄とスーパーに買い出しに行く。はずみで普段買わない和牛肉なんぞも買ってしまう。買った肉をトレーからビニールパッキン詰め替えて冷蔵庫にしまう。晴れるといいな?。
 昼に竹橋の国立近代美術館へ。ショップで美術館会員誌「現代の眼」を購入。「写真の現在」展によせて日高優さんと言う方が「現在をめぐる態度としての写真」と題する論稿を書かれており、読んだ知人から薦められて買いに来た。当たり前かもしれないけど、好意的な論考を寄せて頂いていた。ポストモダン以降のグローバル化した状況を「プライベートの浸食」した私たちの日常を伊奈さんの写真から分析した延長に、our faceをつなげて、「北野は、「私性」に自閉する現在をという時代に他者を召還するという困難な試みに挑んでいるようだ。」とし、「私たちはもはやここから出発するしかないようだ」としている。このテキストはコピーしてファイルしておこう。写真の方面の人は本当にこうゆう視線から写真を見ようとしない(愚痴)。今はとにかく振り向いてもらって、写真と見る側の接点を継続的かつ段階的に作家の側から設け続けないと、いけない。その装置も含めて撮り手が作り上げて行かないといけないから、やるべきことがたくさんだ。既成の枠の中でぱっとみてもらって、ぱっと完結する写真の段階をすぎても写真集中心に賞の選考をしていたりする。まだ試論といわれても仕方ないかもしれないが、これからも続けますから。で、開催中の靉光展を新聞屋にもらったチケットで見てから立石に移動。
 地下鉄に乗る時は晴れてたのに、降りたら雷と豪雨だった。
 佐藤氏と一軒目もつやき「うちだ」、二軒目名前忘れた居酒屋。三軒目「えびす」、四軒目四つ木駅近くでやきうどん。写真の話などをしつつ、ちびちび飲みました。で、帰りの中央線、気がついたら豊田だった。乗り過ごしてました。
 

投稿者 Ken Kitano : 08:44

2007年04月24日

4月23日  富士フォトサロン

 デジタルの仕事が増えたので、PCでの作業時間が増えた。いつも出張の後はずう〜っと PCが起動している。今回は出張後も撮影がいくつかあって、いずれもデジだった。ここ1週間PCが働きっぱなしで日記の更新もままならない。PCも新しくしなければ。今使っているのはpower mac G4 400。山田氏に聞いたら「それひと世代古いよ」とのこと。ファイルの読み込みも遅くて仕事がはかどらない。買い替えたいが金がない。デジは高いうえにすぐに世代が変わるから困る。パソコンよりも今フィルドタイプの大型カメラがほしい。新作としてランドスケープシリーズを本格化させたいのだ。今持っているカメラは4×5がトヨのビューラメラで、ブローニがペンタの645。風景を撮るには帯に短したすきに・・なのだ。佐藤信太郎に電話したらエボニーがいいらしいというので昼ヨドバシで見てきた。確かにいい。軽くて丈夫で使いやすそう。黒檀を使って見た目もいい。本当にいい。でも高い。しばらく検討することにする。
 新宿駅構内の西口北にある肉の「万世」のクイックカウンター席で680円のカレーを食う。うまい。あの界隈のそば屋、天ぷら屋のカウンター席は値段も手頃でみんなうまそう。また来よう。
 田町に移動してPGIに行く。高橋さん、西丸さんに6月の富士フォトサロンでの写真協会賞の発表展の展示の相談をする。富士フォトは8月に六本木スクエアに移転するので有楽町はこの夏が最後になるらしい。図面を見て検討した結果、富士フォトの額にアナログプリントを入れ替えて10点から15点くらい。大きいのを一点pgiさんから額をお借りして展示する方向に。西丸さんからの会場を下見したほうがいいというアドバイスに従って、帰りに見に寄ることに。
 扶桑社に行って清算、打ち合わせ、借りていた資料の返却。やっと出張が終った感じ。PGIで今道子さんのCONBOXや植田正治さんのプリント集を見たので、思い出して落合由利子さんに電話。ポートフォリオブックの話。「作った方がいいよと進める」。近々会うことに。金子国義先生のマネージャーのおさむさんに電話。新作の浴衣展の案内に以前雑誌で撮影した着物の写真を使うとのこと。打ち合わせにいかなくてもよさそうなので、そのまま有楽町富士フォトへ。濃いグレーの展示壁面ということに気づく。珍しい。天上が低く、上を走る高速道路の振動がする。50年に渡って写真界を支えた場所で展示をさせてもらえるのもありがたい。大きい写真をどこに展示するかポジションを迷う。林忠彦と林忠彦賞の方の写真展をしていた。
 娘は明日遠足。盛り上がっていた。

投稿者 Ken Kitano : 10:30

4月20日 バロック

 よく仏教や東洋的な多神教的価値観に対してキリスト教や一神教の価値観を対立の構図で語るということが一般にあるようだけど、そう簡単にくくれるものでもないと思う。ヨーロッパはあまり行ったことがないし、詳しくないが、ラテンアメリカの教会を見て歩いた経験や、最近ゴシックに興味を持っているので、余計にそう思うようになった。キリスト教は世界のあまたの異教、地母神崇拝、民間信仰を受け入れるというか取り込むことで広がってきたプロセスがある。ケルトの森の民の信仰をクリスマスのような形で取り込んだり(樹木、暖炉、冬至の祭の時期にイエスの誕生日を変えるetc)、あまたの自然崇拝の人々を(それも都市へ)取り込む過程で、多種多様なローカルな地母崇拝を普遍的に高める中からマリア信仰(母なる大地、地母神)が生まれたと酒井健著「ゴシックとは何か  大聖堂の精神史」に書いてある。(面白い本です)。ラテンアメリカを旅していても各地に各様のマリア信仰が、辟易する程色濃くある。メキシコのガダルーペなど黒い色の聖母像と出会う。それが地母神の信仰と繋がっていると言われると合点が行く。自然崇拝を取り込む中から生まれたゴシックは、アンバランスで未完の時間への崇拝をはらみ、吉と不吉、聖と俗、狂気と正気までも内包する様式や精神に発展する。後にそれらを、神によって「選ばれし者」と神から「斥けられし者」とを選別し、選民思想を標榜するプロテスタントが破壊する歴史の反動を、僕は遠い500年前のことと知りつつ、邪念をこめてつい現在の世界に投影させて見てしまう。
 高野山内にもまつられている麓の丹生都比売神社のご祭神は土地の神様たちである。弘法大師を案内したといわれる狩場明神は、犬を連れた狩猟の民の姿をしている。標高3000mのペルーアンデスの教会では、魚や人魚の図像を目にした。それらの光景がなつかしく思いうかぶのも、our faceの旅でたくさんの人たちの土地を訪れたからか。
 
 いまの世界には対立の構図に溢れており、多様なものの共存よりも優劣の鮮明化と序列の求める方向に進んでいる。そんなことを僕なんぞがいっても仕方ないのだが、写真やアートが目の前の現実を正しく越えてゆくことのなかにあるとするならば、やがては多様な価値を共有し、対立すらも内包することに向かって行けたらと思う。our faceは様々な人々を訪ね、肖像と言葉を持ち帰り、重ねたイメージを連ねつつ、全部が重なった一枚を更新続ける。今後も世界の様々な人と会い、そのおおきな写真の円環の中に入ってもらいたいと思う。その中に互いに対立する人同士も含まれるだろう。とにかくたくさんの人に、この長く続く「存在の連鎖」と、重なり続ける肖像の一部になってもらえたらと思う。(our faceは先日高野山で聞いた曼荼羅の思想とある意味で相似なものはある気がして、勝手に親しみを覚える。写真曼荼羅。)世界のあまたのひとが含まれた円環が大きな周回をなしたら、その総体を「一」として、全て重ねた肖像を一枚の人間の肖像として、そのとなりに地球上のあまたの生物のイメージを重ねながらその横に連ねたい。その時、人間も地球上の何万分の一枚として存在の一滴になる。もしも僕が生きているうちにそんなところまで行けたら、その先に地球上のあまたの人や生きもや生命体を重ねたイメージをまた「一」として、見える限りの天体をそこに重ねたと思う。もっとも尊い時間というものの助けを借りて、有限なる世界と無限の世界との接点をそんな風に求める時、個人というものが語られればいいなあと、思う。

 そんな果てしのないことを夢見つつも、現実は至極具体性を持って目の前にある。日本の中で異なる考えを持っている人と会って取材するだけでも、あれだけ落ち込んだり、ショックを受けたりするのだから、世界にどう踏み出していけるのか・・。さしあたりアメリカの銃の乱射事件はショック。

投稿者 Ken Kitano : 09:06

4月19日 密教

 先日の扶桑社高野山取材で、金剛峯寺奥之院の日野西眞定先生と高野山霊宝館の井筒信隆先生のお話を聞かせて頂く貴重な機会を得た。実に実に興味深いお話だった。
 両先生からは別々にお話をうかがったのだが、共通する内容もあり、不遜だけど(そもそも僕はライターじゃないしとなりで聞いていただけだが、いまやっていることの関心にも多少関わっているので)ものすごくかいつまんでまとめると、特にふたつの点に感銘を受けた。ひとつは一般に密教ということばかりが言われるが、高野山はもともとある(弘法大師が生まれる前からの)土地の民間信仰(とりわけ先祖信仰)を大事にしながら、密教の行事と紀伊地方に色濃く残る習俗、習慣が対立することなく調和しながら発展してきたということ。(神仏習合ということが日本人にとって調和のとれた長く自然なことであったことが、少しだけ想像できた気がした。)日本人の山に対する信仰、各地の山岳信仰や土地の信仰を受け入れてあるということだ。もうひとつは高野山は神様であれ、仏様であれ、尊いものはみんな排他せずに大切にしてきたということがある。たとえそこに密教以外のものなど対立するものも含まれ集まってきても、進んで受け入れることで大きく開花して行ったこと。これが曼荼羅の思想とのこと。そうして発展してきた1200年の歴史というのは本当に尊いと感じた。
 今回のお話で高野山の印象が大きく変わった気がする。今までに訪ねた出羽三山などの山岳信仰の場とある部分で同様に信仰の山としても捉えられるようになったし、民間信仰とともにあるということが新鮮かつ、近しく感じられるように思えた。また大きく広いものを内包してある曼荼羅の思想というのは大変なものだと思った。

投稿者 Ken Kitano : 08:17

2007年04月17日

4月17日  帰宅

ほうほうのていで、1週間の高野山出張から戻りました。仏教は面白いね。いろいろ読みたくなった。
今回は帰りに大阪で内野雅文と飲むなど、いろいろと楽しいこともあった。

投稿者 Ken Kitano : 20:03

2007年04月10日

4月9日  また出張、ゴシックは面白い

 明日からまた高野山と熊野に出張。たぶんこれが最後になるだろう。高野山の本を読んでおきたいけど、時間なし。と言いつつ、仏教ではなくキリスト教の本を読んでいる。以前ゴスロリのことを調べようとして買って置いた「ゴシックとは何か」酒井健(講談社現代新書)という本を読み始めたら、すごく面白い。(ゴスロリとはまったく関係ないけど、)ゴシック大聖堂の成立と、中世にキリスト教が異教民を取り込んで行った過程が詳細に書かれていて、実に興味深い。「神は光である」というキリスト教の信仰が深い深い深い暗い針葉樹の森の中で生きてきた人々を取り込んでゆく過程で、似姿(イメージ)の考え方を成立させる。天上の光=言葉の中に宿る光がこの頃、物質に宿る光も神の光の一部である的な定義が成立することで、異教徒を取り込んでゆく。ここからフレスコ画やステンドクラスによる物質の光が「神のカリスマ的な光を再現しつつ反映している」ことになってゆく。以前からヨーロッパの教会美術を見る度に壁面自体が発光するような独特の明るい色使いと、その過剰なまでの甘美な清性のようなものは、理屈としては分かるけど、実際に布教のたまのイメージとしてはどうなのか、と思っていた。そのへんのことがこの本を読んでよく分かった。「ゴシックの大聖堂は中世の社会が神の国と総合的に交わる唯一の場であった」時代に、都市に大聖堂は一つしかなく、なんと驚くべきことに「その巨大な建物に都市の全人口が、場合によっては農村域を含めた司教区全体の人口がきれいに収まった」そうなのである。たとえばアミアンという街の1万人の市民が全員、一度に大聖堂に入って、一緒にステンドグラスから差し込む天上の多色の魅惑的な光に包まれるのである。そこは「大聖堂の尋常ならざる光輝が神のイメージだと教えられて神の存在を認め、この世の支配者としての神の物質的権威を承認した」そうなのである。完璧なまでの啓蒙の仕組みにまず驚く。写真の成立、そして何よりマスメディアの成立の遥か以前の教会美術が、それほど濃密で完璧なイメージによる人心掌握を持っていたとは。僕はこれまでアンデスの教会美術をみたり、日本の神社や寺の空間はある程度観てきたけれど、そこには発達した光に対しての配慮はあまりなかったように思う。むしろ闇に対しての配慮が空間を作っていると感じることが多かった。西ヨーロッパの教会美術や建築が光に対してあれほどセンシティブであった理由が少しだけ分かった気がする。田原圭一さんの教会の写真集なども思い出す。財力があって高価なガラスを多様できたことや信仰の中に光にたいする記述があったこともあるけれど、人間にとっての光とイメージ関わりの系譜に中世のゴシックは大きくなものを占めているようだ。森有正も大聖堂について書いている。一度行って観てみたい。森の中に差し込む光。明るい地中海に降り注ぐ光。北欧の厚い雲を通した光・・。光を意識しながらいつかヨーロッパを旅してみたい。人類にとって光についての関わりは実に興味深い。 先日読んだ、批評家の竹内万里子さんが紹介していた「眼の誕生」(アンドリューパーカー/草思社)も面白かった。生物がカンブリア紀の視覚(眼)の発達により爆発的な進化をとげたという。
 4月になってラジオ番組の改編がいろいろあった。朝の吉田照美さんで起きるようになった。クニマルワイドの月曜コメンテーターがえのきどいちろうさんになったのが嬉しい。

投稿者 Ken Kitano : 09:04

2007年04月09日

4月8日  玉川上水散歩

 朝お弁当を作って家族で玉川上水を歩いた。娘は最初から「つまらない、つまらない、つまらない」を呪文のように500回程繰り返す一日だった。昨日までは楽しみにしていたようだが。娘は最近身の回りを観察して面白いことをみつけることを、とんとしなくなった。前はそうゆう好奇心が強い人だったのだが最近は違ってきた。受け身で外から刺激的なことにだけ関心を示すようになって、よく衝突する。我が家にDSが来てからという意見もあるが、関係あるのだろうか。ないことはないと思うが。いろいろな変わってゆくのだろうけれど、終日フマンそうな膨れっ面をしていた。夕方近所の公園で吉元さん尾川さん一家と会った。歳の近い子供と遊べて少し嬉しそうだった。娘はともかく、僕は久々に武蔵村山のほうまで、なつかし風景(子供の頃自転車で冒険に行ったエリア)を歩けて気持ちがよかった。途中肩にふくろうを乗せて歩いているおじさんにあった。
 神奈川県で町づくり的なアートイベントを企画している人から少し前に連絡があり、今日電話で初めて話した。概要がよくわからないうえに、こちらが出張続きであったせいもあるが、連絡のレスポンスがいまひとつ。とにかく一度会ってみることにする。この種のイベントはあちこちにあるけれど、アートが地域などにできることってそれほど多くないと思っている。関わる人の問題意識で共有できる部分を広く深くもてるかが鍵だと思う。その中で一緒にするという部分をうまくこしらえることができる場合がある。アーティスト側の問題意識も大きいけど、地域の側がどう主体的なのか、も大きいと思う。
 6月の写真協会賞の発表展(富士フォトサロン)の概要が送られてきた。僕の壁面は12m程。セレクトとキャプションの準備をしなければ。
 夜11時頃、選挙が気になって、ラジオをつけたら、すぐに「都知事三選が決まる」の報。予測はついていたけれど、とても不快。やがて大きな大きな結果をまねくスイッチを押してしまった。加速するだろうな。

投稿者 Ken Kitano : 13:03

4月7日  国定忠治  国立劇場

国立劇場で「国定忠治」を観てきた。新国劇の流れを汲む劇団「若獅子」の20周年公演。この公演のポスターに以前僕が雑誌用に撮った笠原章さんの写真を使っているのでご招待頂いた。新国劇は世代的に間にあっていない。かろうじて亡くなった島田正吾さんの最後の一人芝居を演舞場で観たくらい。新国劇ファンの袴田さんから聞いていたけれど、しっとりとして、大人の男の観客を惹き付け、熱くして、泣かせたという新国劇の世界を少しだけ観た気がした。やっぱり、殺陣がすごかった。「赤城の山も今宵かぎり・・」の国定忠治である。先日出張中、宿でたまたまBSの特集「明日のジョー」を観ても思ったけれど、日本人は敗者のものがたりが本当に好きだ。好きなのはいいけれど実際の世の中では敗者、弱者をみようとしない。強いもの、マッチョなものへの崇拝が強まっていることに、不気味さを感じます。
終演後袴田さんと楽屋へ。関係者しか利用できない楽屋食堂でラーメンを食す。どうせならカレーにすればよかった。

投稿者 Ken Kitano : 12:47

4月6日 清水ミチコライブ

草月ホールにて清水ミチコライブを観てきた。清水ミチコライブは前から一度観たかったのだが、初めて行った。すっさまじく、面白かった。ほとんど放送に乗せられない、毒を含んだ内容で、抱腹絶倒だった。暗いニュースで溢れる世の中、たまにこのくらいの毒を打たないとやっていけないと思える。著名人率の高そうな客席だった。

投稿者 Ken Kitano : 12:39

2007年04月04日

4月4日  帰宅

3月25日から高野山、十津川、熊野、名古屋尾張地方と出張いて、11日ぶりに帰宅した。帰途、中央高速を運転しながら
夕暮れの八ヶ岳がきれいだった。ちょうど清里フォトミュージアムではヤングポートフォリオ展をやっているはず。もう少し時間が早かったら寄り道したいところだった。
高野から熊野への土地はは果無山脈という名前の通り(すごい名前だ)実に実に山深い土地だった。山奥の土地というのは排他的でよそ者はいい思いをしないことが多いが、十津川村はとっても人がよかった。おもてなしの精神なのだろうか、会う人みんさなん細やかに心配りをする方だった。宿の食事もよかった。不思議だ。歴史的に時の中央と関係を持ち、絶妙の政治バランンスで存在感を持ってきた土地の歴史が培ってきた文化なのかと思う。温泉もよかった。

出張すると、他の仕事が一切できない。日々帰宅してやるべきことがどんどん溜まるのだが、とりあえず春休み中の娘とどこかに行きたい。都知事選も近いけど、マニフェストも読んでいない。花見の誘いのメールが入る。文化放送吉田照美のやるまん最終週の放送が聞けなかった。あんな番組もうこれからないだろう。終わる理由がわからない。もう聞けないと思うと切ない。
名古屋の居酒屋沢正さんは相変わらずいい店だった。


投稿者 Ken Kitano : 07:19