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2007年05月31日

5月31日  写真協会賞展搬入

午前中窓社に寄って写真展会場でも販売できるようにと写真集を10冊預かる。西山さんは入稿前でお疲れのようだった。
PGIによって額装した作品を車に積み込み高橋さんと富士フォトサロンへ。車内で今年の10days展の話など。富士フォトサロンには搬入口がなく普通にビルの正面から手で持って搬入しなければならない。またビルの前は駐停車禁止。作品を降ろして、車を駐車場に止めに行くのだけでえらく時間がかかってしまった。
プリントと久々に再開したら不思議なことに少し新鮮だった。打ち合わせとかあるのかと思ったが、何となく成り行き的に各自作業しはじめる。そうゆうものか。作業用エプロンをして作品を並べていたら、写真協会の人に「北野さんがいらっしゃるって聞いてましたけど、まだみえませんか?」と聞かれ、「私です。お世話になります」といったら、かなり驚かれた。展示の業者の人とまちがわれたようだ。後から来た展示業者の人はネクタイをして作業していたから、僕の方がむしろ業者っぽくみえたかもしれない。作家っぽくない、とは以前に言われたことある。この会場は天井が低いのと蛍光灯の照明が気になる。ある程度展示が見えたところで、業者さんにお任せして出る。
今日は満月なので雲行きが怪しいがいちおう撮影のスタンバイをすべく車で横浜へ。以前に見つけたみなとみらいが見渡せる高台へ行くつもりで首都高を走るが、途中で雲が厚くなり、やがて豪雨になる。残念。大黒ふ頭SA で引き返して帰宅。
明日は表彰式。挨拶とか何を話そう・・ 。明日は2時半くらいまでは写真展会場(富士フォトサロン銀座)にいます。

投稿者 Ken Kitano : 20:39

2007年05月29日

5月28日  晴天の日に、モネと臨時ニュース

午前中現像屋に寄って、銀座ニコンにカメラとハンディストロボの修理。待ち時間に1階で須田一政さんの写真展を見る。サービスセンターというのは苦手だ。別にクレーマーではないが、メーカーを問わず満足のいく説明と対応を受けられたことが少ない気がする。浅草から銀座に移転したニコンのプロサービスは今回初めて行ったが、説明、対応、待ち時間の案内等実に気持ちのよい対応だった。今回のシャッター故障も随分前に直して完全に直らなかった箇所だが今回は調整だけで直った。部品交換がなかったので修理代もかからなかった。

午後、国立新美術館でモネ展。モネはとっても見たかった。最近僕はゴシック→ジョルジュバタイユ(いずれも酒井健氏経由)に興味を持ち始め、いまのめり込んでいる。そこにはいま僕が呼吸し、経験しようとしている写真のそのものがあるような気がするからだ。モネは色彩の画家みたいなことを言われるけど(知らないけどたぶん)、時間と光の画家だったことを知った。同じ場所を時間を変えて何枚も描く連作を制作した。(やがて20点のパノラマ連作のあの睡蓮へと至る)。それは時間の連続性に対する、不可能への凄まじい挑戦であり、不連続としてしか世界を認知できない我々にとって、認識しようとしても認識できない連続性へのものだ。「時間の持つ深い層と言おうか破壊的で恐ろしい面、我々が老いや死でもって否応なく思い知らされる面を意識させられる(ゴシックとは何か/酒井健著)」ことへの挑戦であった。「前後へと進む時間」という森山大道さんの言葉にもあるように、深い層で写真から見えてくる、写真の本質。それはすべてこの時間の連続性へと向かっているようにも思う。で、モネ展は予想通りの人出で人をかき分け泳ぐように見た。見たかった絵は少なかったのだが、「ルーアンの大聖堂」が2点あった(実際は20点の連作だった)。こ、れ、は、すごかった。よかった。時間の連続性への本質的な畏怖のようなものを感じた。

その後である松岡大臣のニュースを聞いたのは。モネを見てバスで赤坂に移動中に携帯ラジオのニュースで聞いた。驚いた。が、それにしても、この松岡大臣の件は後味の悪さが残る。この内閣の再チャレンジって何だよ、やり直しのきく社会って、て感じ。大臣が責任取らずに自殺か。
聞いた時に自殺なのに不思議と孤独な感じがしなかった。(実際は辞めさせない党との板挟みだっtだろうけれど。)その後文化放送石川アナウンサーだろうか、「引き続き交通の情報が入ってきました」とラジオが伝える東海道線の人身事故の報があった。最近東海道線の人身事故が本当に多い。人身事故って飛び込み自殺でしょう。いつも晴天の日だ。こっちの名も知らない人の報がなんだか重く、なぜだか少しの孤独を感じてしまった。

投稿者 Ken Kitano : 09:23

2007年05月22日

5月21日  とんちゃん  

文句ない快晴。5月で終日雲がかからない日はなんて1日あるかないかっていうくらいの空だ。この時期この天気でないと撮影できない場所があって、撮影に行きたいところだが今週は訳あって出かけられない。悔しいが、ぐっとこらえて他のことをする。先日撮影した月の写真のベタ取り。予想方位より月出の位置が北で建物とのバランスが悪い。雲もあつくていまいちだった。
中洲通信コの字原稿の戻した。編集和田さんと電話で次回はどこにしようか話す。名古屋か仙台に行きたいところだが、地方は時間と交通費で難しい。順当に東京の下町か。まだ行ったことがない大田区と業平界隈を近々歩いてみよう。
夕方新宿のクリエイトにフィルムを出しに行く。カラーのネガ現が中1日。ベタまで取ると中3日。商売する気があるのだろうか。時間かかりすぎで仕事になりません。ネガはラボを変えたほうがいいかもしれない。

久々で高田馬場のもつやき「とんちゃん」。写真集を作っている時は「とんちゃんの会」と称してミーティングを兼ねた飲み会を毎月のようにしていた。今日はたまごクラブの青木さんとご主人、馬場企画松浦さん、扶桑社秦さん、鈴木さん久々の面々。賞をもらったお祝いにと「開運」という日本酒を頂く。楽しい時間。帰りの西武線で小平で乗り換え、各駅停車に一駅だけ乗って国分寺行きに乗り換えるつもりが、その一駅の間に睡魔がさした。ちゃん寝ないようにとアイポットで音楽もかけていたのに。で気がついたら、終点の西武遊園地前駅。新緑の狭山丘陵の森のなかの遊園地に深夜降ろされてもタクシーなどあるわかけもなく(普通の車も通らない)、とぼとぼと歩く。ここは以前花火の撮影に通ったなあ、と懐かしく思いながら家までの道のりを考え気が遠くなりました。15分くらい歩いたところでタクシーが止まってくれたら、ラッキーなことに家の近くのタクシー会社でちょうど戻るところで、料金をだいぶ負けてくれて助かった。

投稿者 Ken Kitano : 08:48

2007年05月17日

5月15日  岡本太郎壁画「明日の神話」

4月からラジオの番組改変で6、7時だい(文化放送)が吉田照美の番組になった。まだリズムを作っている感じだけど、最初から違和感がないのはさすが天才吉田照美だと思う。アシスタントもなんとかがんばってついてきているかんじ。昼の大竹まこと「ゴールデンラジオ」は、当分かかりそう。いなくなって分かるありがたみというもので、ラジオで小俣雅子さんの声が聞けなくなったのがこんなに寂しいものか、などと時々思う。
朝、晴れていたので、一応車にカメラを積んで出る。御徒町の中古カメラ店に行く。ここは大判カメラをそろえていて、中古のエボニーがあって見せてもらう。店を出たらすごい雷雨。清洲橋通りに出たところに、いい〜ぃ感じのスタンドそば屋を見つけて入る。大当たりだった。うまいだし。店のおやじの感じがよい。8割りがタクシーの運転手で、黙々とうまそうに飯を食っている。(ご飯ものもあった。)こうゆう店を知るとうれしい。
納品、打ち合わせまで時間があったので、木場の現代美術館によってマルレーネ・デュマス展を見る。一見ナイーブな印象だけど、どっしりとしていて、いつまでも見ていたくなる。その線とにじみから目が離せなかった。常設展の三階に岡本太郎がメキシコで制作し昨年修復を終えて公開された壁画「明日の神話」が公開されていて、見る。メキシコシティのホテル、オテルデミヒコのために制作されたものの、その後計画が中止され、公開されることなく現地で行方不明になっていたものが数年前に発見され、日本で修復されたもの。以前からその存在はしっていたので楽しみにしていた。僕は岡本太郎は好きだけど、この絵を見た印象は、正直、なんだこんなものか、という感じだった。メキシコの壁画運動の作品をたくさん見ているから感じるのか、修復ということでそう感じるのか、原画のほうがずっといいと感じた。メキシコ壁画巨匠たちほど大きさと空間にまだ慣れていなかったのか?。逆に当時のメキシコだったらツルんとした未来的な感じが新鮮だったのかもしれない。解説テキストにはメキシコ壁画運動のことがまったく触れられておらず、知らないひとにはメキシコでこの絵が、ということがまったく分からないだろう。この大きな絵をたったひとりで描いた、と何度も強調されていたが、そうゆうことは書かなくてもいいのに。リベラやシケイロスの初期の壁画はもっと大きく、全てフレスコ画。漆喰が絵の具を吸う数時間にしかかけない本当の一筆勝負なんだし。本来予定されていたメキシコシティのインスルヘンテス通りのシケイロス殿堂のとなりにこの壁画があったら、また違って見えたのだろうか。
http://www.mot-art-museum.jp/jyosetu/page6

投稿者 Ken Kitano : 08:28

2007年05月15日

5月14日 写真が遠くて仕方ない

暗室が欲しいです。あるけど遠いのだ。歩いて20分ほどの実家にあるのだが、これがもどかしい。僕は写真は特別な位置にあってはいけなくて、ごはんを食べるお箸のとなくらいにあるのがよいと、常々思っています。写真を撮る人は撮ることのなかで思考したり、行動したり、ついでに生活もする。
ここ数年力を傾けてきた仕事(ourface)が一段落して(いずれ再開して続けますけど、何とか海外で)、次の作品に取りかかりつつ、前作で未発表のメキシコ壁画運動の写真などを整理して再プリントをしているこのごろ。思えばourfaceは変わった仕事だった。撮ってプリントする、その前後が大きいかった。撮りためて集中的にプリント作業をするから、撮ることとプリントとの往復の振幅が大きかった。プリントすること以外にも資料を集めて調べたり取材先とのやり取りにさく時間も多かったので、それでも一日中”写真をしている”状態だった。ところが普通の写真に戻ってみると、撮る→プリントする→並べて見る→また撮る→プリントする・・・のルーティンの中で思考したり、選択肢を見つけたり、一歩戻ったり等をする。当たりまえだけどその間に生活もしないといけない。このルーティンは速い方がいいのだけれど、いまの状態はこれが遅くて仕方がない。何か思いつて暗室にとりかかるまでの距離が大きすぎて、移動するまでのあいあだに、永久にたどり着かないんじゃないか、と思えるくらいもどかしい。写真が遠くてしかたがない。だからといってデジタルで済むかというと今やっている写真はそうもいかない。自宅に暗室を作ることを真剣に考えないと、どうにかなりそうである。現実的というよりは、目の前に差し迫って立ちはだかる大きな壁だ。

 今日は「中洲通信」のコの字居酒屋連載の原稿と写真、それに扶桑社熊野本の写真整理。
 
先週読んだ大竹伸朗「既にそこにあるもの」ちくま文庫が面白く、刺激を受けた。タイトルに惹かれて買ったのだけど、今の自分にぴったりの本だった。僕は最近ヨーロッパのゴシックの思想に興味をもっているけれど、一方で目の前のジャンクでポップですぐに手で触れられるもの、足元にあるものにとても惹かれる。そうゆうものをきちんと見ることに可能性を感じている。どちらもその先には狂気すらはらむ奥行きがあって、その両方に惹かれる。とにかく目の前の続きにある様々なものを見たいという欲求があって、そのためには自分の力を越えたものが撮る写真が導いてくれるに違いない。その写真に着いて行くしかない。そうゆうのは撮ろうと思っても撮れないのだけれど、その入り口は日常に遍在しているのだろう。

投稿者 Ken Kitano : 05:16

2007年05月11日

3月11日  読み聞かせ

  娘の小学校では月に一度、朝の15分間、父母のボランティアで本の読み聞かせをしている。今日この係を初めて経験した。本は自由に選んでいいとのことである。迷った結果、小川未明の「赤いろうそくと人魚」にした。他に迷った本は中島らもの「お父さんのバックドロップ」。これも小学生に読んでみたい本だった。「怪傑ゾロリ」等々、いま小学生に流行っている本もあるが、どうせなら自分になじんでいて、好きな本を読みたい。「赤いろうそくと人魚」は、朝読むには少し悲しい話だけど、その悲しさは重たさよりも透明な澄みとおったものに感じられて、読むことにした。それと、絵がないのと、今の話みたいに展開が速くないので、着いて来られるかちょっと心配だったけど、3年生だからいいか、と思い切って決めた。全文だと長いお話ので前半の香具師に人魚が売られる手前まで読むことにした。
 朝、教室に着いたら、机を下げて、子供たちはみんなで床に丸くなって座っていた。かわいらしい子供たちに囲まれて、どきどきした。僕は滑舌が悪いうえに、声がくぐもっている。聞きにくいだろうなあと思いつつ、なるべくゆっくり、時々子供たちの目を見るようにしてよんだ。となりと話をしたり、下を向いている子もいたけれど、案外そうゆう子が聞いていたりする。たぶん自分がそうだったから。何とか読めたと思う。だいたい聞いていてくれたと思う。読み終わったら、「最後に人魚はどうなっちゃうんですか?」と聞かれて、かいつまんで残りのお話をした。本当は図書館で借りて読んでほしいと思った。男の子がひとり「面白かった」と言っていたので、よかった気がする。
 たまにはこうゆう経験をするのも自分のためになる気がする。次は中島らもだな。

投稿者 Ken Kitano : 10:18

2007年05月10日

5月9日  ぼろ雑巾

 激しい二日酔いです。昨日雑誌「中洲通信」で連載させて頂いている「気がつけば僕はいつもコの字」という居酒屋の連載の取材で埼玉の東松山で飲んだ。東松山はやきとんのメッカで50軒以上のやきとん屋さんが市内にある。以前ここ東松山出身で作品「回転回」でおなじみの写真家屋代敏博君から聞いた居酒屋「とくのや」を皮切りに、午後4時からはしご開始。記憶が薄いのだが、ガンガンする頭で思い出したら、結局5軒廻っていたことをぼんやり思いした。帰りに乗り換えの北朝霞でも加賀屋に酔っている。バカだ。普段僕はかなり飲んでも翌日に酒が残ることってあまりないのですが、今日はひどいです。ひどいです。体調もいまひとつだったみたいだ。とにかく気分が悪い。思考が働かない。ああ、いま、おれはボロ雑巾だ、ぼろ雑巾だ・・。という認識以外思い浮かばない。でも雑巾は床にこぼした牛乳なんぞを拭き取れるけど、いまのおれはだらだらと液体が出ることはあっても何も吸収できない。ぼろ雑巾以下だ。
 ふ〜ら、ふ〜らで午後、浅草へ仕事の撮影に行く。某アイドル(というか女優さん)の笑顔と五月晴れに癒されました。上野の中古カメラ店によってエボニーを見る。いい。欲しくなった。でも金はない。少し酔いがさめました。

 写真協会賞展の会場に作品解説テキストをつけるかどうか、まだ迷う。こうゆうことは割合さっと決められるのだが、今回は各賞のお披露目展で、自分の展覧会ではない。だからおこがましいのではないかという気がする。一方で、日頃このギャラリー来るお客さんの客層や他の受賞者の方の写真を見に来られる方の層が、普段の僕の写真を見る方とは違う気もするので、だったら言葉を添えた方がいいかという気もする。選考委員の方が書いて下さった紹介の文面だけでも、もったいないくらい丁寧に作品の解説に触れて頂いているので、その上また自前の文章はクドイという気もする。写真と言葉の関係はいつもデリケートだ。一枚の写真だけで言葉は不要。コンセプトなんて下らない。というのも一方で分かるし、大事にしたいことだ。だけど、作家というのは毎日目の前の現在(現実)を正しく越えて行くために、変化し続けるもの。作品との関係は常に緊張感を持って自分で測っていないといけない。作品がこれまで、そして今後も静かに続いて行く方向のようなことを常に確認して、文章としてその都度つけたほうがいいという気がする。継続中のourfaceの場合、解説のテキストはこれまでたぶん100回以上書き換えてきた。それはコンセプトをより分かりやすく説明するために変えたのではなく、その時の自分のスタンスがやっぱり簿妙に変わることをきちんとおさえておきたいから、書き換えてきたのだと思う。一つのコンセプトに見ることを限定するするのではなく、常に現在あることを緊張感を持ちつつ見つめるためにコンセプトなどというものが仮に必要なのだと思う。だから写真の大もとはともかく、絶えず自分と写真が変わることを恐れちゃいけない。必要だと思ったら、おおもとを変えることもあっていいかもしれない。
 などと二日酔いの頭で考えた末、協会の方にも相談した結果、短いテキストを会場につけて頂くことにした。
 帰ってごはんを食べて、速攻で寝る。

投稿者 Ken Kitano : 10:39

2007年05月05日

5月5日  府中の森

午前中、協会賞展の展示に写真の解説テキストを添えた方がいいかと思い、書く。先日富士フォトサロンに行った時、年配の写真やってます、という感じの人が多く来場していたので、それをイメージして書いてみた。実際に展示にテキストをつけるか、まだ決めていないが書いたテキストを下に添付します。
 今日は娘のお友達がお泊まりに来るので家を片付ける。お客さんが来ると必然的に家の掃除をすることになるので、いい。娘は連休中、押し入れで寝ている。僕が小さい頃に好きで押し入れで寝ていた時期があったと話したら、自分もしたいと思ったようだ。彼女は自分の部屋ができたようだと、本やぬいぐるみを持ち込んで、喜んで寝ていた。昨日僕も試しに横になってみたら、実に落ち着く空間だった。押し入れの宇宙。また寝台車みたいで楽しい。
 午後、府中郷土の森博物館に「宮本常一展」を見に行く。展示はさほどでもなかったが、ロビーで上映していたVTRがよかった。ただし音が小さく、他の施設の音にかき消されて聞き取れなかったので、係の人に言ってボリュームを上げてもらった。ビデオでは民俗学者宮本常一の足跡を詳細に時代背景と関わった人織り交ぜて紹介していた。人生の後半は離島や過疎地の文化振興に積極的に関わったことを知る。網野義彦が出ていてコメントしていた。僕も各地の祭礼や信仰の場を訪ねることが多々あるけれど、お付き合いさせて頂いている民俗学者の加藤健一先生から言われて肝に銘じている「人々の営みを解釈してはいけない」という言葉を改めて思い出した。見たまま聞いたままを受け入れたい。宮本自身の写っている写真がたくさん出たが、どれも朗らかに笑っていた。
 帰りに府中市美術館に寄る。近いのに初めて行った。大好きな小山田二郎の絵が見られた。とても充実したコレクションで驚いた。ギャンブルがある自治体は強いなあ。ざっとリストを見ただけでも北川民次、香月泰男、靉嘔など行きたくなる画家の名前んでいる。また行こう。博物館で「村のなりたち」日本民衆史4 宮本常一/未来社、美術館で「見るということ」ジョン・バーシャー/ちくま学芸文庫と「既にそこにあるもの」大竹伸朗/ちくま文庫を購入する。帰って銭湯に行く。今日はしょうぶ湯。

 (以下、協会賞展のテキスト下書き肖像写真our faceの制作について)
our faceはプロジェクトとして、各地の職場、学校、サークル、地域の集まり、伝統行事や祭礼に携わる人々、スポーツのサポーターetc、様々な立場の人々を撮影してきました。多様な人々にお会いするなかで現場では極力全員の肖像を撮影させてもらっています。その全員の肖像を、一枚の印画紙に、一人ひとり均等にそして正確に重ねて焼き付けています。それは集団の時間と光が結晶した、その人達のアイデンティティーといえるような肖像写真です。

our faceプロジェクトの2本の軸
○水平の軸・・そうして出来上がった各集団が一枚に重なった肖像を、大小や優劣をつけずに、ひたすら横に連ねて行きます。この無限に続く肖像の連なりは、経済や政治の中心や距離と無縁です。(展示中の小さいサイズの作品)
○垂直の軸・・さらにそうして出来上がった各集団の肖像全てを重ねた「our faceの肖像」を、その都度制作しています。これは撮影した集団が増えるごとに、絶えず更新されるものです。現在は同時代を生きるさまざまな人々3141人が重なった肖像になっています。(展示中の大きいサイズの作品)

このように”他者”を重ねながら、垂直と水平のふたつの方向を同時に展開するour faceには、さまざまな立場の人々が含まれます。対立する人同士も含まれるでしょう。グロバール化のなかで「なかったこと」にされているような人々も確かにそこにいます。対立と格差の連鎖が広がる世界のなかでour faceは、写真によって、例えば先人が作り上げた仏教の曼荼羅や西洋のゴシックの思想さながらに(大変におこがましいのですが)、あらゆる生命の多様な存在を認め共感することを希求しようとするものです。見知らぬ人や世界を、自分自身のことのように感じ、まさに共感する力こそが写真そのものの最大の力だと思うからです。(北野謙)

投稿者 Ken Kitano : 18:57

5月3日 潮干狩り

兄の一家と木更津に潮干狩りに行った。少し渋滞したが、3時間弱で到着。たくさんあさりを採りました。海は明るくて気持ちがいい。帰って3分の1くらいをワイン蒸し。残りを引き続き塩水で砂抜きする。あさりというものは全て形と模様が違っていて、いつまで見ても見飽きない。妻は砂抜きの塩加減を徐々に変えて、アサリが一番活発に、かつのびやかに身をだして砂を出す調合を根気よくみつけて、深夜まで「楽しいなあ」といいながら、あさりの観察を続けていた。

投稿者 Ken Kitano : 18:49