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2008年05月27日

5月26日  相武台高校

神奈川県相武台高校で授業をしました。
日頃接点のない世代の人たちを前にして自分でもあきれるほど無様でまいった。
静かに聞いていてくれた生徒さんたちのおかげでなんとかできました。
話はともかく写真とビデオは見てくれたみたい。

投稿者 Ken Kitano : 10:15

5月24日  大阪

21日の夜行バスで大阪へ。22日はMEMで打ち合わせ。Iさんは相変わらずお忙しい様子。ニューヨークのICP展のお話などを聞く。ニコンで内野君「車窓から」大阪展。一列の展示がとてもよかった。
大阪国際美術館で「液晶絵画」展。ICPもそうだけど写真と映像がひとつの同じカテゴリーで扱われる美術館や企画の在り方が世界の潮流のようだ。写真そのものの可能性を探るのと同様に(ドキュメンターではない)映像そのものの可能性について興味が出てきている。ビデオアート。いつか何かできないかなあ。
夜は新世界の鉄板コの字でロケハン。お願いしたら写真も撮らせてくれた。連載の取材ができた。

23日は心斎橋でoneday撮影。外国人観光客が多い。夜は写真家のドキュメンタリー番組を作っているMさんとお会いしてお好み焼き。その後十三で友長さん、阪井さん、小平さん、福添さんらと遅くまで。

24日は雨のなか肥後橋でoneday撮影。途中めげそうになる。夕方から176で大阪のお別れ会。たくさんの方がスピーチした。とてもいいお別れ会だった。関西で内野君は学生さんや若い人のことをとても深く受けとめたいた。たぶん一生忘れない人になるだろうな。豊中のおばさまのお話が素敵だった。内野君が大阪で展覧会をし、図録を作り、たくさん知人が出来て、その人たち同士が交流もてたのも友長さんがギャラリー176を作った結果でもある。場所があるっておっきい。大変だと思うけど、友長さんギャラリーを作ってよかったね。北海道から中島博美ちゃんがかけつけてくれた。

25日、朝、十三の安ホテルで新日曜美術館辺見庸さんがジャコメッリついて話した番組を見る。朝飯の時にうどんを食いながら中島博美と感想を言い合う。梅田でone day撮影。夕方新幹線で帰る。

投稿者 Ken Kitano : 09:39

2008年05月20日

5月19日 新緑の清里

 17日に清里に行ってきた。道中の列車から田植えの風景と新緑が気持ちよかった。ヤングポートフォリオ展のレセプション。35歳までの若い写真家の写真を審査し購入、永久コレクションに加える同プロジェクト。僕はとっくにヤングポートフォリオ定年している。今回は亡くなった内野君の追悼展示と若い人の写真も見たくて久々に行った。元ヤン(=YP卒業生)の櫻井尚子、小川直子、大阪の山下豊さんら懐かしい顔ぶれと再会。北田祥喜さん、千田貴子さん、松田雄一郎さんら現役作家にも知った面々とおあいする。皆さんおめでとうございます。

 写真は我々の頃よりシリアスな写真が多く感じた。世界の現実がより緊迫したり破綻している現れだと思う。人の感じも我々のときは妙に奇抜かラフなファッションの人が多かったね、と櫻井尚子と話した。それと健康の話。完全に年寄りの話だ。外国から遠路やってきた作家もたくさんいて、やはりYPのレセプションは気持ちの何とも言えないいい感じだ。帰りはいつもそうだけどあずさの車内でビール。
 日曜は秋に小平の公民館で落合由利子さんの写真展&スライドトークをするのでその企画書というかよびかけを作る。水曜からの大阪出張の資料作り。our faceのイメージを複写して作品ファイルを整えた。
 2日間ずっとPCに向かっていたので体が固まった。
 来週神奈川県の高校でour faceとone dayの撮影&授業をすることになった。高校生は普段接点のまったくない世代。何をどう話してよいかさっぱり思い浮かばない。女性の写真家のOさんに相談したら「きちんと話したら、よく聞いてくれるよ。私なんか学校終った後生徒たちと遊びにいっちゃったことあるよ」と、あまり参考にならないことを言う。やはり変わったおばさんである。おっさんがそうゆうことをやったらダメだし。

投稿者 Ken Kitano : 08:55

2008年05月10日

5月9日 あの頃

 秋に、近所の公民館で落合由利子さんの写真展とスライドトークをしてもらうことになり、そのよびかけのテキストに取りかかる。落合さんの本や昔の連載、その他テキスト類を読んでいるうちに、最初に会った90年頃の空気がよみがえって来た。僕が落合さんに会ったのはベルリンの壁が壊れた直後、落合さんが一度目の東欧撮影から帰ってきた頃だった。冷戦構造がくずれ、世界の地図が音をたてて変わり始めた時代だ。ニュース映像とヴェンダースの映画だったり、その他にもいろいろなことをきかっけに、落合さんはそうした状況に飛び込んで行ったのだった。僕はといえば弛緩し切った大学生だった。でも、ほんのわずかだけど、そうした世界のできごととは無縁かもしれないが、僕なりに緊張感を持って現実を受けとめようとし始めた頃でもある。ようするに写真家というもに向かって踏み出した頃だ。ポツダム広場で会った老婦人の話、ブタペストのルーマニア大使館前の群衆の叫び、等・・・。読みながら、当時実際に落合さんから聞いたことや感じたことが解凍されてよみがえる。歴史の変わり目の激動の人々と会い、揺れながら、立ち止まりながら、彼の地のことを、全身で、まるで自分のことのように受けとめようとして、撮り、話す落合さんを、僕は勇敢な人だなあ、と感じていた。その後落合さんの人生そのものも大きく彼の地から変わることにもなるのだけれど。今の仕事にいたるまでの長い長い時間に思いをめぐらして、どっから何を書けばいいのか・・・。まだ時間はある。

 午後、六本木の森美術館でターナー賞展を見る。ターナー賞はイギリスの現代美術の賞。80年代からの現代美術の一端を見られると期待して行く。絵画、彫刻からビデオや参加型アートが増えてくるのがおもしろかった。作品はなかったけど昔三鷹市芸術文化センターで見たサイモンパターソンの名前も年譜にあった。あのひとターナー賞の選考にも入った人だったのか。その時の経済状況によって賞や選考にも変遷があったようだ。もっと量的な質に向き合った作品があるのかなと思ったが、そうでもかった。もう少し見たいと思った。
 その後歩いて麻布十番の居酒屋「十番」で中洲通信のコの字連載取材。高層マンションが立ちならび日本有数のお金持ちが住むエリアにあって、築57年の木造2階建てに大きなコの字カウンター。誰でも入りやすく居心地がいい。女将さんが素敵だ。外国人が多いのもこの店ならでは。明るいうちに暖簾越しに外の往来を眺めながらビールは至福。森美からここは定番になりそう。

 麻布十番から地下鉄で三田へ。PGIで佐藤信太郎「非常階段東京」のオープニング。写真集も出来上がり、満を持しての佐藤信太郎さんの個展。新作は相変わらずエッジが立っていた。見てて気持ちいい。今日はお酒が入っていたしゆっくり話せないのでまた改めて見に来ることにする。終った後、近所の居酒屋で冨澤さん、冨澤さんの友人の岩田さん、佐藤さんの早稲田の芸術専門学校の教え子の皆さん、僕の大学写真部の遠い後輩の皆さんで居酒屋で飲む。学生さんと話してしだいに世代状況が明らかになる。落合さんと会った頃(90年頃)学生だった僕が撮っていた「溶游する都市」シリーズの写真をいままとめようとしているのだが、その頃生まれたばかりだったり、幼稚園だったり、小学校低学年だったひとと写真の話をしているという状況に、若干うろたえた。

投稿者 Ken Kitano : 17:22