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2010年10月28日

10月28日

24日、恵比寿MEMで澤田知子さん新作のオープニング。
打ち上げで久々に澤田さんと、東京に移ったMEMの大阪の話など。

写美のLove's body展を見てきた。
思いがけず惹き込まれて先週と2回見てきた。
撮る人撮られる見る人、それぞれの当事者性について、
その提示の仕方について、
このことはずっとずっと考えている。

僕のは一点ではだめで、作品全体として提示できるような展示なり
本を今まで一度も作れていない。来年以降の課題。

関係のない他者なんていないのだけど、
他者を撮ることはどうしたって解決のできないことを背負う。
その十字架について自覚的で、そして無神経でいたいものだ。

対岸の他者について安全地帯からひとは好き勝手を言う。
時々それは全部あんたなんだよと言いたくなるし、
それは全部自分なんだとも。

今日も他者を焼き付ける。
僕の暗室には大量の顔のあるテストピースの印画紙が溜まっている。
焼いているうちにこちらとあちらの境界なんてなくなって、
全部自分に思えてくるけれど、
それは今に始まったことでなくて、
写真を始めるずっと前からそうだという気がする。

近代美術館の鈴木清展を見て来た。
さまざま要素に接続する回路の束のような鈴木さんの世界は
圧倒的で整然としたところがどこにもない混沌に強く惹かれた。
ざわざわとした印象がまだ僕の体に残っている。
いろいろな回路を旅してみたいという衝動があり、再度見に行きたい。
家に帰ってすぐに写真集の「デュラスの領土」を出して見返した。
他にいないよ、世界のどこにも。あんな作家。

投稿者 Ken Kitano : 21:30

2010年10月22日

いつまでもおしまいが続いて行く感じ

台湾とインドネシアと関西の連続出張から戻ってから、
体力も気力もすとんと落ちこんでしまった。

この底なしの虚無感はなんだろう。
最初は、今年前半を超ポジティブ思考で大きなプロジェクトを忙しく乗り切った。その揺り戻しなのか、と思ったけれど、たぶん違うみたい。

周囲を見回してもあまりにも過酷な現実ばかり。まったく先が見えないし、乗り越える壁が見えればいいほうで、自分が立っているかどうかも時々不安になる。
自身のプロジェクトを見ても停滞してちっとも先に進まなかったり、始まりすらしないことばかり。(自分が社会の出来事から現実的に影響を受けるとは思わなかったけれど、中国からの輸出が事実上ストップして、作品を運べずヨーロッパでの展示に影響が出そうなことetc..。)そういった行き止まり感からか、あるいは単に季節のせいか、気持ちが鬱屈してしまうのだけれど、でも考えてみるとずいぶん前から、たぶん本格的に写真を撮り始めた20年前あたりから、僕はずっとこの「いつまでもおしまいが続いて行く感じ」を抱いて来た気がする。そう考えると、これは単に今現在の気持ちの問題とか、見通しの立たない現実へのいらだちなんていうことではなさそうだ。

いつだって、その都度何かを見つけて、僕は「続いて行くこと」に期待を見つけてきた。「目の前の現実を正しく越えて行く」ために(時々勘違いや間違いを犯しながら)かろうじて写真をしてきたはず。少なくとも、現実は変わらなくても、自分自身が写真によって変われることで、前に進めるし、少しずつ歩いて来た。

そう考えて、だったら、寝不足で腰痛でもまず体を動かそうと昨日、1月に撮ったままにしていた、いつか作品に繋げたいと思っているテスト撮影のネガをプリントし始めた。やっぱり体を動かさないといけない。そうしたら、少しだけ光が見えたような、暖かい気持ちになってきた。新しいスイッチが、カチッ!

中央アジアに行くのでウズベキスタン関係の本を何冊か読んでみたけれど、どれも面白くない。たいがいその土地について読んだり聞いたりしているうちに、徐々にその土地への好奇心や感度が立ち上がって行くものなのだが、今回はまったくそういった気持ちが起こらない。たまたま書いた人がつまらないのか、そもそも行く人の量が少ないのか。その土地に惚れて深く呼吸したような文章に出会わない。

それで寄り道して中東の本を読んだ。
「パレスチナ 残照の聖地」村田信一著(長崎出版)。著者はフォトジャーナリスト。
不思議な本。(僕はひとくくりにしては失礼だけれど戦場カメラマン系は、とりわけフォトジャーナリストの武勇伝めいた話やヒロイックな話は苦手である。だけどこの本は)とてもよかった。
著者の体験した戦闘シーンもあるのだが、それよりも、光や風や温度を、世界の表層を緻密にトレースするような眼差しに、かの地をゆっくり濃密に旅するような錯覚を時々覚えた。僕たちはどこまでいっても世界の、その表層しかとらえることができないし、それも手にしたと握った手を開いたらもう消えているような、儚さである。パレスチナとイスラエル。占領という不連続を往還し、街街を歩き現地の人々と語る。その背後に夥しい死が時々垣間見える。「世界が変わらないこと」に対する失望と、抱える失望自体を緻密といっていいくらいにクールに見つめている著者の様に、とても惹き込まれた。
そしてパレスチナという土地がとてつもなく魅力的だ。
まずそのことに虚をつかれたような思い。

投稿者 Ken Kitano : 10:47

2010年10月12日

東京に戻りました

大阪から高野山へ。
その後やっと東京に戻りました。
今年は出張が多い。帰る度に季節が変わっている。

来月はドイツの個展とパリフォトがある。
迷ったけれど、結局今年もヨーロッパに行くことにした。
その帰りには中央アジアのウズベキスタンに寄る予定だ。

our face ASIA取材も追い込みである。
東南アジアと違って中央アジアや中東は遠い。だから行きたくてもそうそう行けない。
イランやシリア、ヨルダンも時間をかけてじっくり旅をしたら面白いだろう。

ウズベキスタンは知人もいないし、とても情報が少ない国。
どこに行ってどんな人を取材するべきか・・・。
どなたかウズベキスタンに詳しい方、お知り合いがいらっしゃる方、教えてください。
ご連絡いただけるとありがたいです。

投稿者 Ken Kitano : 16:29

2010年10月09日

大阪

関空について、そのまま大阪に。
偶然行ったジュンク堂大阪本店で写真集フェアをやっていた。マッチアンドカンパニーのコーナーにFLOW AND FUSIONとourface北京展図録も置いてあってびっくり。ご担当のほうのさんが非番なのにたまたまいらしてご挨拶する。丁寧に売り場を作っていらして頭がさがります。
夜は写真家の友長勇介さん、介加藤友美子さんと。

8日、大阪芸術大学で講義をしました。写真学科2年生の皆さんに1時間半お話した。自分が若いときは同世代の写真をやっているライバルを、みんないなくなれ、ってやけくそ気味に思ったこともあった。(実際は自分がいなくなりそうだった。)今は各大学の写真学科が縮小していると聞く。写真をやっている若い人が具体的な作家の活動をイメージできて、元気になるような話をしようと思ったのだけど...どうだっただろう。普段の思考と現実の関係を具体的にお話したつもり。

ずいぶん昔、東大阪の大学のパンフレットを撮影する仕事をしていた。いつも天王寺のビジネスホテルに泊まって、撮影の後夕方近くの銭湯へ、夜はホルモン焼きの日々だった。なつかしくてその界隈を歩いてノスタルジーに浸っていたら、そのプロダクションがギャラを未払いのままうやむやにされたことを思い出して、急に暗い気持ちに。今だったら違う対処ができたと思う。若かったな。

夜は十三でMEM福田さんと京都でギャラリーアンテナをやっている奥さん、友長さんと十三。久々に満員の十三酒場で飲みました。日本の居酒屋はいいですねえ。


投稿者 Ken Kitano : 09:18

2010年10月06日

4日 インドネシアへ

朝の飛行機で台北からジャカルタへ。ジャカルタ空港で小松邦康さんと合流。小松さんとは3度目の旅。午後の便でバンダアチェへ。ジャカルタもアチェも雨。乾期のはずだが、今年は季節外れの雨が続いていると言う。

アチェは6年前の地震と津波で17万人の方が亡くなったと言われている。2月に一度来て取材した。今回はその続きである。

近くの死と遠くの人の死、一人の人の死とたくさんの人の死、すぐ近くの死と遠くの死、それらは違うのだろうか。連続にとらえることはできるのだろうか。それはどんなふうに続いているのだろうか。今年はそんなことをずっと考えていた。前回来たとき、父の死と向き合う最中であった。僕自身、壊れそうだったような状況で、見えないまま来て帰った感。

ま、それはともかく、例によって具体的な日常に邪魔しに来たわけで、今回は前回会ったひとと再会して、たいした話もしないけれど、写真を渡して世間話をして、なんだかほっとした。気になってとげが刺さったままだったことに、句読点の点くらい打てたようばな気がした。存在の切断面を世界に置くのが僕の仕事。他者の普通の時間に少し触れるのが一番いいと思っている。たぶんまた来ると思う。

一般にインドネシアの人は女性が働き者で、男性はあまり働かないらしい。たしかに男たちは茶のかわりにアチェではコーヒーをのみながら、おしゃべりをして過ごす。僕たちも今回はそれにならった。僕は中南米でもおいしいコーヒーを飲んだけれど、アチェのコーヒーは今のところ世界一。雨宿りを口実にコーヒーをのんでばかりであまり働かない。元気のいいおかみさんたちには、見ていて勝手に励まされます。ああ、働かないと!
夜は久々のパダン料理でした。

遠くからコーランが聞こえる。
小松さん、今回もありがとうございました。

投稿者 Ken Kitano : 15:15

2010年10月04日

3日 オープニンング

午後にはオープニングとトークイベント。
台湾の方はすべてが細やかだ。邱さんと邱さんの奥様、画廊のスタッフが万事、段取りよく丁寧に準備と進行が行き届いていて、僕はただ話をすればよかった。
トークには50名程の予約があったそうで、盛況でした。(森山さんの時は階段まで立ち見が出たそうだが、僕などと比べるべくもない。)邱さんを通訳に2時間程スライドをお見せしてお話しました。
写真の画廊だけあって、美術の方よりも写真の方が多かったようだ。フランスにいて以前パリフォトで見た方もいらした。NYのTさんのお友達一家も来てくれた。日本やアメリカで写真を勉強してきた方も多かった。北京では作家の考え方、思考に関する質問が多かったが、台湾では現実や社会とどう写真や美術を結びつけるのか、そういった質問が多かったように思う。

終了後は皆さんで食事会。おいしい台湾料理を頂きました。
円卓を囲んでお酒と食事が進むうちに、会話がはずんで時々議論になる。僕だけが話がわからない。時々邱さんやチェンさんが「いま篠山紀信の話をしています」とか、「オノデラユキさんの展覧会の話をしています」とか「いま川内倫子と蜷川実花の話をしています」とか教えてくれる。僕がいたからたまたまなのか、台湾は日本の出版や文化が多く入ってきているからか、ずっと日本のことや日本の写真のことを話していた。北京、蘭州、ソウル、台北で写真の人と話をする機会があったけれど、人の行き来や影響、海外への関心のあり方がそれぞれ違って面白い。
食事のあとは元アメリカ大使館の建物を改築した素敵なカフェ兼映画館でお茶をのんだ。
皆さんありがとうございました。

投稿者 Ken Kitano : 10:22

2010年10月01日

1日  台北展

邱さんの画廊1839contemporary galleryは台北の繁華街の地下にある。
壁面は30mくらいか、かなり広い。北京で制作したラージサイズも4点。こっちで額壮したアルミフレームのマット装で展示されている。4点ならんだ感じは、いい。北京のときとはまた違ってややライトな感じ。ただ11×14のプリント30点は多すぎると思った。
そもそもは一昨年の秋だったか。こんど邱さんが東京の自宅に訪ねてきた。台北に写真専門の画廊を開くという。日本の写真の展示とプリントを扱いたいとのことだった。私のも扱いたいということで、後日日本の画廊にも会ってもらった。そして昨年邱さんは画廊を開いた。私はちょうどアジア各地で制作と、そしてできれば発表もしたいと思っていた。まず昨年来て台北と台東で撮影した。そのとき邱さんも手伝って頂いて台北でストリートのコミケでコスプレの子たちを撮影した。台北の小学校も撮影したが、それを手伝ってくださったのは今年東川賞海外作家賞をとられたチェンさんである。(チェンさんはちょうどいま横浜で展示をしていて、残念ながらまだ見ていない。)そんな経緯もあって、ようやく今回個展になった次第である。

6月には台湾で翻訳本がベストセラーになった森山大道さんをお迎えして、本尾さん、町口さんも交えて展示とトークイベントし、大盛況だったそうだ。まだマーケットのない台北で楽ではないけれど、邱さんには頑張っていただきたい。

週末オープニングです。

投稿者 Ken Kitano : 15:06

30日 個展のために台北へ

個展のために台北へ。
昨日、朝6時に家を出た。娘は布団の中だった。

新宿からリムジンバスで羽田へ。新宿の地下で食べたモーニングはうまくなかった。羽田から関空へ。13時5分の中華航空で、15時過ぎに台北へ着いた。
台北は雨。熱帯の、それも台風の季節に相応しい、ばさーっとくる重たい雨。
なんだか気持ちいい。この間までいた内モンゴルは気候も人も違って面白い。

新宿でリムジンバスを待っているとき、タクシーがついた。その若い運転手の男が恐ろしく態度が悪かった。大声でわめき散らしながらトランクから荷物を投げるように下ろしてながら、「チェ、720円で荷物なんか全部下ろせないぞ、お前ら自分で下ろせ」とかなんとか。お客は中国人だろうか、アジア系の外国のご夫妻。言葉がわからないことをいいことに悪態をつきまくっていた。この手の男はきっと日本人にはこんな態度をとらない。外国人を見下しているのと、裕福そうなアジア系旅行者へのジェラシーのようなものも感じた。遠来のお客さまに、なんという・・。追いかけて行ってぶんなぐってやりたかった。日中関係が影響しているのだろうか。そうは思いたくないけど、考えてしまう。(いろんな国を旅行するけど、日本のタクシーの運転手さんは荷物を運ばない人が多い。)

ちょうど蘭州の谷原美術館の王さんご一行が来日している。日本で不快な思いをしないことを願う。王さんたちには一昨日恵比寿で会った。外国でお会いした知人で日本であるのは、いいものである。かの地でお世話になったから、日本でご接待して差し上げたいが、せっかくなのに出張と重なって東京の居酒屋を案内できないばかりか、清里もご一緒できない。残念である。

投稿者 Ken Kitano : 15:00