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2003年02月06日

2月6日 熊野御燈祭

 昨年7月以来の熊野。快晴。台風のため荒天だった前回とは大違いだ。思えば昨年の屋外撮影は雨率が高くて悲惨だった。
 新宮の神倉(かんのくら)山の御燈祭。山の中腹にある神社から約2000人の白装束の男達が松明を持って夜8時を合図に一斉に石段を駆け降りる。上り子と呼ばれる男達は朝から豆腐やかまぼこなど白いものを食べ、浜で禊をして望む。私と編集者のIさん3時半頃から急な石段をのぼって中腹の神社へ。息が切れる。石段は大変に急斜面で足場が悪い。普通に登り下りするのでも大変なのに、これを夜、駆け降りるのだから殆ど正気の沙汰ではない。
 神社に登るとすでに報道とアマカメラマンが限られた取材スペースを埋めている。今日登れるのは報道陣も含めて男性に限られる。ゴール地点にあたる鳥居の周辺以外警官がいないのがよい。警察が介入すると祭は終わりだ。いつものことだけどなんでアマカメラマンはこんなに多いのだろう。撮った写真は何をしようというのか。さっぱり分からない。仲間同士のヒエラルキーのようなものもあるようで、気持ちのいい雰囲気ではない。
 御神体の巨石は男女の性器そのもの。御神体が性器に似ているということはよくあるけれど、ここのはすごく似ている。
 神社から狭い新宮の街が一望できる。この小さな街のなかで中上健次が生きた。同級生が狂女と籠った山、友人が変死していた駅のベンチ、流れ者、路地、談合・・。高台の神社から全てを見渡せるこの小さな街が滾るような物語の舞台だった。近づいてきた70歳くらいのおじさんがいろいろと教えてくれた。昔は山側と海側を分けるように一筋の長い丘というか小山が走っていたが、崩してしまったという。山側には金持ちが住み新宮と呼ばれていたそうだ。中上健次の小説で度々「新宮の者」という言い方で路地者と相対化する、例えば「対岸の差異」という表現の背景が初めて分かった。
 さて、暗くなって続々と登ってくる。酒を飲んで登ってくる若者が多い。飲んだ経験のない10代の連中らしいのもかなりいて完全に酔いつぶれている者もいる。時間が近づくにつれてあちこち喧嘩や怒声がおこる。一方でじっと精神を集中して佇む人もいる。小さい子供の顔には真剣さがみえる。8時、開門と同時に男達が一斉に駆け降りはじめる。燃えたぎる火のダムが決壊して漆黒の奈落へと炎が激しく流れ落ちてゆく。
全員が過ぎ静かになった時、Iさんが「精子に見えた」と言った。言われてみればまったくその通りだった。射精した精子は熱くぶつかりあいながら、駆け降りてゆく。ある者は途中で倒れ下まで辿り着けない。
 ゆっくりと下山すると下の鳥居の外には大勢の女の子達が下山してくる男たちを待っていた。皆精一杯おしゃれをしていた。

投稿者 Ken Kitano : 2003年02月06日 23:39