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2003年04月26日

4月26日 野田map「オイル」シアターコクーン

最近観た芝居のなかでこんなにも台詞が耳に心に深く届く芝居はなかった。 (といってもあまり芝居を観てないが)イラク戦争というタイミングもさることながら、今の私のために書かれた芝居と思えるほどタイムリーだった。ここ半年神話(古事記)の舞台を地べたをはうように歩いて写真を撮ってきた。仕事の写真であってもそこから現在を見たいと少なからず思っていた。神話の舞台は南九州にしても出雲にしても「クニユズリ」すなわち侵略と併合の物語である。特に出雲は祭りにも人々の考え方も(記憶)にももともとあった出雲の国という考え方が強い気がする。(それは時に天皇性よりも深いものなのか?)神話の現場を歩き、話しを聞き、宿に帰ってTVをつけるとニュースで中東情勢、イラク戦争、ブッシュの顔が映るのを見て滅入る。そんなこの半年の日々で考えるのはやはり、侵略という相似、ヤマトという中心とその周辺=アメリカという中心とその周辺という相似。そう考えると様々ながものが同じ構図に見えてくる。こうしたイメージをよりはっきりさせるためにも、旅の合間に様々な人々と向き合って肖像を撮る。輪郭を溶かし、重ねながら現れる肖像の重層の果てに在る連続した「時間」へとイメージをつなごうとするのだ。「オイルと老いる」こと、「時間」の連続性をリアルに感じた(発見した)とき見えてくる様々な相似と自己の存在。ここ半年ぼんやり考えていたことをつなげて提示されたような芝居だった。
 それにしても松たかこは思っていたよりもずっと綺麗だった。藤原竜也はヤマトと言う様々な意味が重なる存在の役でいまひとつぱっとしなかった印象。去年見た「贋作・桜の園の満開の下で」の堤真一の鮮やかな印象とつい比べてしまう。5月25日までにもう一度当日券で行きたいと思うが行けるだろうか。当日券は毎日60枚程度開演一時間前から出るそうだ。
連続性(時間〕へのイメージの欲求は写真をやることは勿論あらゆることを考えることの源で、殆ど業のようなものかもしれない。
 終演後三軒茶屋へ移動。もつ焼きの「くに」に行くが閉まっていて、「味とめ」で泡盛のホッピー。

投稿者 Ken Kitano : 2003年04月26日 23:27