« 8月16日 佐藤信太郎のパスタ | メイン | 8月18日 とっても魅力的な空だったけど暗室に入る »

2004年08月17日

8月17日 展覧会はしご

 今日も暗室に入ろう・・と思ったが、見たい展覧会が幾つかやっているので久しぶりに、ホント実に久しぶりに美術館へ。それも思い切って3軒はしご。
 岡本太郎美術館は初めて行った。広い丘陵地全体が公園になっている川崎民家園の一角にある静かできれいな美術館だった。企画展の内藤正敏さんが焼いた岡本太郎の日本の写真と内藤さんの写真を対置させる形で展示した展覧会を見るのが目的だったのだけれど、常設展もゆっくり見られてよかった。入ってすぐの「重工業」という絵に魅かれた。それと入り口に書かれていた「対極主義」という言葉にも。どんな芸術にも異なるベクトルが作家の中でせめぎ合うところから何か発見され生まれるとは思うが、岡本太郎の世界に触れるとき、この異なる極と極が壮絶なまでにせめぎ合いながら同居する強さと美しさにいつも打たれる。後年岡本太郎はメキシコを訪れるけれど、思えばメキシコほど対極が同時に存在する国もない。近代科学と土着文化、生と死、光と影、永遠と一瞬、爆発的な陽気さと死のような静寂、etc・・。 岡本太郎がメキシコに行ったのも必然という気がするし、未完に終わった壁画と塔の制作のこと(メキシコシテシのオテルデメヒコのなかに、ポリフォルムデシケイロスの並びに巨大な塔を作る計画があったが、時の文部大臣が変わり計画がとん挫した)が残念でならない。売店で売っていた「岡本太郎とメキシコ」展の図録に岡本太郎がシケイロスに会った時のことが書かれていた。(たしか共同通信の伊高さんの本にこの時期シケイロスと岡本太郎の両方に別々にインタビューしたテキストがあった)
 内藤正敏さんとの写真展はやっぱり恐山や出羽三山が中心だった。実は先日行った北海道で岡本太郎の沖縄作品をスライドで見る機会があって、見ていて思わず胸が熱くなったばかりだが、今回は東北。出羽三山はじめ日本の聖地や信仰の場にはour faceや雑誌の取材でかなり行っているので、以前よりそうした人間の原初的な世界に触れても入りやすくなっている自分に気づく。写真のサイズが大きすぎてかえって写真と向き合いにくい気がしたが、それはともかくふたつの巨大な知に支えられた民族学(民俗学)が互いにぶつかりあって、日本の原初の時間軸へと深く深く降り立つような、そんな写真展だった。もしご覧になる方はどうか「珍しいものをみる眼差し」を捨てて見てもらいたいと思う。
 次は川崎市民ミュージアムへ。9月5日までの「日本の幻獸」展は鬼や人魚、河童など日本各地に記録されたり残っている幻獸たちの資料やミイラを集めた企画展。さっき湯殿山の即身仏の写真を見た後にここで人魚や河童のミイラをみると、ほほ笑ましいというか、人間の異界を見ようとする眼差しが生んだ愛玩物(というか工芸品?)と言う気がして笑えた。でも子供がみたら相当怖いと思う。こうゆうものも各地で見慣れてしまった自分に気づく。
 3番目は松涛美術館「瑛九」展。美術運動デモクラートの中心的な作家という認識だけど作品はよく知らなかった作家。有名なフォトグラムは何点か見たことがあった。銀座の画廊ではじめてみた印象は、やさしくて悲しくて繊細で大きい、何しろ深い印象だった。今回は晩年の3年間に描いた大小様々な点描で描かれた作品が深く深く胸に残った。福島辰夫先生や細江英公先生や池田満寿男さんら数々の若い芸術家が集まった浦和のアトリエというのはどんなところだったのだろう。48歳で亡くなったというのは意外だった。
 夜、札幌のAさんと東川のことを電話で話す。

投稿者 Ken Kitano : 2004年08月17日 11:44