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2005年03月18日

3月15日 北京

 朝8時35分北京発の飛行機で帰国。成田から家に電話して一通りの業務連絡。その後、うちの奥さんが声を潜めて言うには、「帰る前に伝えておくけど、日曜日にブンちゃん(飼っている文鳥のこと)が突然死んじゃったの。それで2人で昨日は泣きっぱなしだったのだけど、A(娘のこと)は無理してカラ元気だから、その辺よろしくね」とのこと。帰国早々、ブルーな報告である。あれだけ可愛がっていたので娘はショックだったに違いない。
 北京はと言うと、やっぱり寒かった。前半の二日間は最高気温零下2度。乾燥しているので日本のようなじっとりくる寒さとは違うのだけど長く外にいるとこたえる。これでタレントのkさんを外で撮る(それも春の媒体なのでコートを脱いでもらって)というのは無謀だよ。「うわっどうしよう〜!」と言う感じで初日ロケハン。寒くて胡同(=フートンと読む。路地のこと)には殆ど人影がない。庶民的な往来や日常の庶民の風景と絡めて撮る予定なのに・・・。幸いにして後半の二日は気温が上がり、日中は薄着でもなんとか歩けるくらいに。よかった。胡同にも人通りが出来て多少ひとを絡めて撮れた。
 今回初めての中国だったので、事前にイメージが掴めず、そもそもどのくらいの緊張感で歩いてよいか(ラテンアメリカの大都市並なのか、インドのスラム並なのか・・とか)も分からなかった。行ってみると、北京の人はぶっきらぼうなところはあるけれど、基本的にのんびりしていて、雑踏でスナップしていてもほっといてくれるし、話しかければ構ってくれるし、大変に歩きやすかった。なんといっても今回のコ−ディネーターさんが衝撃的に素晴らしい方で、そのコーディネートぶりから、されているのに気が付かないくらいに細やかな心配り(取材先に対しても)で、とっても助かった。そのコーディネーター原口さんのプログはこちら。http://peking.exblog.jp/ 原口さんの日常から見えてくる北京が自然に伝わってくる日記。ご著書も出されている。原口さんのおかげで様々な表情の北京に触れられることが出来た。感謝。
 庶民の住む古い路地は次第に減り、活気のある古い商店が軒を連ねるような胡同はごくわずかしかないこと。2008年の五輪に向かって加速度的に開発が進むビル街と開発中の工事現場群。やっぱり私服警官は多いし、監視社会であること等々、冬のコントラストの強い陽射し(本当に独特な光だった)のなかで見たそれらの風景は不思議な重力感を伴って、今も身体の深い所に沈殿している。乾燥しているので陰影がくっきりした光が、実に実に魅力的だった。しかし今回は春の号で企画の性格上、そうした冬のニュアンスを極力殺して撮らなければならず、正直泣いた。用意した機材面でも反省点が多い。
 料理にも風景にも、文化のある国というのは説得力があるなと思った。何気なく置かれている小物が数百年昔のホンモノだったり、ということがよくある。路地の割れた瓦が700年くらい前からのものだったり。料理も日本に入ってきているの中華料理の多くが南のもので北のものは「粉文化」で随分違うものだと知った。洗練されたレストランがいくつもあり、それらは店内のセンスもよくて美味しかった。今回は羊鍋を食べることを密かに楽しみにしていたのだが(以前新宿で食べたのが美味しくなかったのでリベンジを)今回はかなわず次回再訪を誓う。
 それにしても経済成長率10%近くに達する今の中国の変貌というのは、凄いものがある。風景の中だけでも経済の格差があれだけあって、スラムがないというのも不思議な印象だった。たまたま目にしなかっただけかもしれないが、物乞いのひとはたったひとりしか見なかった。お土産に毛沢東ウォッチを買った。
 

投稿者 Ken Kitano : 2005年03月18日 10:08