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2010年03月31日

アートフェア東京 4月2日〜4日

今週末はアートフェア東京です。私の作品も出品されますのでぜひお越し下さい。MEMはE-15ブースです。
昨年は初日にVIPのティッセンもデルヴィッサ現代美術財団のフランチェスカ理事長(ハプスブルグ家の世が世なら女王様)が買ってくださった。まさか女王様と記念写真を撮ることがあるなんて思わなかった。今年も盛り上がるといい。
アートフェア東京 4月2日ー4日 @東京国際フォーラム
MEMのE-15ブースへどうぞ。

April 2 - 4
Tokyo International Forum, Exhibition Hall& Lobby Gallery
http://www.artfairtokyo.com/

MEM
http://www.artfairtokyo.com/contents/index.php?m=SearchGallery&id=154

それと4月16日(金)青山ブックセンター六本木店でトークショーをします。
北野謙×町口覚(アートディレクター)×本尾久子(キュレーター)
19:00〜20:00 トーク、スライド&質問
20:00〜20:30 サイン会
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_201004/flow_and_fusion2010416.html

発売中のアサヒカメラ4月号のホンマタカシさん、倉石信乃さんの鼎談ページで、ゲストの町口さんが今回の写真集「溶游する都市」について話しています。

投稿者 Ken Kitano : 09:45

小林康夫「身体と空間」

日高優さんにお会いしたこともあって、小林康夫さんを読み始めた。ビシビシ来ます。いろいろ買って読んでいるが、例えば「身体と空間」の写真の冒頭の一節、
ー写真は孤独なのであるー
を読んで「優れた写真は例外なくサイレントなんだよ」と福島辰夫さんが言っていたのを思い出した。どちらも名言!

切断せず、webサイトの様に秒単位で更新、拡張する、 流動そのものが切断にとって代わるような気配を感じるいま、切断の最たる建築すら北京や上海ではそのようにも感じます。(僕は5月から3ヶ月間北京で滞在制作をする予定だ。)
切断稼業の写真家としては、この先立つ瀬があるのか気になります。

写真の持つ時を経て増大する切断の輝きと、増殖し進化する中でしか有効でない価値は、根本的に比べても仕方ないのでしょうか。中国の作家は写真を写真として考えること自体既にないところから写真が始まっているようにも思います。また切断したものの持つ切実さは変わらないとしても、それを受け止める人が変わっている・・・気もします。(切断と関係あるかどうか分からないけれど、日頃感じる「いつも終わり」の感覚と、
いつまでも「終わりが先延ばしされる」感じ、それらは近いのかどうか。例えば中国の若い人はどっちなんだろう。)

人がたやすく「思うがままにできること」が言葉から2次元イメージに広がり、一部では金融、建築、都市まで広がっている。写真の行く末を考えるとき、写真は他の何かにとって代わって(なくなって)しまう気がす
る一方で、ダゲレオタイプを猛烈な早さで広めた写真の持つ普遍の切実さを思い出します。私の写真に対するこの2つの感慨の間には、写真の持つ「見知らぬ他者を自分のことの様に感じる力」への期待と、「主体も他者もどうなっちゃうんだろう」というおさまりの悪さがあります。その2つのベクトルが「肖像」と「風景」に私を向かわせる衝動なのかな、と思ったりする。

(どうにかしてその2つの衝動をひとつに接続できたらいいのに。)

「思うがままにできること」が広かる一方で、「思うがままにならないこと」に対する感度は勢いよく低下しているようにも思う。自分も含めて。

投稿者 Ken Kitano : 09:36

2010年03月23日

東京展終了

個展「溶游する都市/flow and fusion」が終わりました。
たくさんの方にお運び頂きまして、ありがとうございました。
写真集で興味を持って来てくださった方もいらしたようで、嬉しいです。
新作だと思ってきてくださった人も多かったみたい。

今回は2つのトークイベントをしました。
1回目は3月6日の批評家の福島辰夫さんをお招きしての対談でした。福島辰夫さんは御歳80歳を越えておられ、世代によっては伝説の批評家的と感じた人もいたかもしれない。福島先生と、また会期中に何人かの批評家の方とゆっくりお話しできて思ったことがいくつかある。

批評家の仕事はいろいろあると思う。作家として考えると、例えば僕の作品を最初に批評してくださったひとつに2004年の「写真の会」がある。our faceという作品に対して写真の会賞を頂いた時だ。写真の会の会報に書かれた会員の方々のテキストが、僕と僕の作品にとっての最初の批評のひとつと言っていい。例えば、その中のひとつに深川雅文さんがアウグストザンダーに絡めて僕の作品のことを書いてくださった200字くらいのテキストがある。恐らく読まれたとしても300人くらいの人にしか読まれていない、いわばささやかな媒体である。にも関わらずその批評が僕にとってどれほど嬉しかったか理解できるひとはほとんどいないと思う。褒められたからではない。しかも、その時は僕自身そのことが分かっていなかった。何年もたってから徐々に分かった。この深川さんがザンダーの仕事に絡めて僕の仕事を書いたことは、大袈裟に言えば僕と僕の作品が、写真史あるいは美術史の上に置かれた瞬間にほかならないからだ。広大な美術史の座標軸に、作家と作品を置くことが批評家の仕事のひとつである。つまり、批評家がいなければ作家は作家にならないのである。(そしてまったく無名である当時の僕のような作家を批評家が名前を出して体重をかけて書くことにはリスクと無償性をともなう。)

福島先生とお話して感じたもうひとつの批評家の仕事は、当たり前だが時代性のことである。例えば福島先生が取り組んだ仕事のひとつに安井仲治のことがある。あるいは田本研造。その作家が向き合っていた現実の質感、風圧、熱さ冷たさ・・etcを測って、その作家の歩き方、速度、その方向と加速度までもを言語化すること(とその困難)に圧倒される。先生と同時代の仕事であればVIVOやデモクラート、あるいはエドヴァンデルエルスケンとの仕事などがある。うかがっていて思うのは、例えばVIVOならば、奈良原一高さんの最初の個展「人間の土地」に感銘を受けた人々がいて、そういう人が交わす会話に一人加わり、またひとりと、やがて細江英公さんや川田喜久治さんや東松照明さんが集う。デモクラートなら映九を中心に愛謳、池田満寿夫、河原温、細江英公・・。どうしてそんな才能同士が互いに知り合え得たのか。聞くと先生は「飛んでいる鳥にはお互いが見えるんだよ」と笑う。(飛べるものなら飛んで見たい。)そうしたまったく新しいものを生み出そうとしている作家たちの中に普通に批評家がいて、作家たちの生きているすぐ隣から言説が、批評が生まれていた時代と今との隔たりを感じた。

今は、よくも悪くも(やはり悪くもかな)マーケットの先にしか評価や批評が成立しない時代だからだ。(そう思うと「写真の会」の活動は貴重と言えるだろう。もしも僕が会員なら僕から写真の会に写真の会賞を贈りたい。がんばってください。)

これは日本の問題なのか。単純には言えないが、そうでもあるし、そうではない部分もあると思う。

●パリで感じたことなど。
12日のトークイベントは、6日のトークと一部重複したが町口さん、本尾さんとこれまでの作品と写真集の話。

(余談だが、会場の書店ナディッフのスタッフの方と話してびっくりしたのは、書店員の職人技のすごさ。美術書専門店だけあって私家版や少量輸入のレア本までそのアイテムは様々である。もちろんバーコード管理などできない。その仕入れと在庫管理、書棚の配置と出し入れを、なんとバイヤーと店員の記憶(とセンス)でやっているのだ。しかもバイヤーはひとりで10店舗ほどを担当しているそうだ。本だけでなく、こうしたイベントや展覧会のこともしておられる。すごいと思った。世界中にいい本屋はあるけれど、ナディッフさんほどアイテム数と店舗が多い書店はないのではないか。バイヤーさんに脱帽でした。)

で、トーク。
今回の写真集ができるまでの話や、町口さん自らに写真集の特徴を話して頂いた。それとパリの話。昨年のパリフォト初日の朝に写真集を最初に買ってくれたルーリードさん(を僕が知らなかった)話も。(この話には後日談がある。)僕は2007年のパリフォトが最初だった。その時は作品だけで僕は行かなかった。翌年の2008年は僕は実際に行ってみた。アートフェアというのは画廊とコレクターのものだから、作家が行ってどうのというものではないと思っていたのだが、結果行ってみてよかった。
 例えばこんな感じである。初日、お客さんはざっと会場を見て、気になった作品をチェックしていく。気に入った作品について思ったことを話していく。つまりイメージと出会って自分の心が動いたことをとても大事にするのだ。有名かどうかとかはではない。値段くらいは聞いて行く。中には仮押さえする場合もある。翌日また来る。(パリのお客さんは熱心で毎日来るのだ。)こんどは旦那や奥さんを連れてくる。そしてどんな作家か、他にどんな作品があるのか、どんなコンセプトかなどを一緒に聞く。そして交渉。眼を皿のようにしてプリントコンディションをチェックする、シッピング方法、額装をどの国でするかetc・・。さまざまなことを何時間も交渉する。そしてようやく契約。そして最終日、家族や友人を全員連れてくる。そして自分が気に入って買った作品をみんなに紹介する。(嬉しいからね。)この時はとってもいい時間です。友人と家族がひとりずつ買った人に「このアートがお前の人生に出会えてよかったね」みたいなことを言うの。その人と作品との出会いをみんなで言祝ぐわけ。そして傍らにいる作者の僕にも「あなたにこの作品が生まれたことと、友人の人生にあなたの作品が出会ったこと」を祝福してくれるのです。全員で。いいでしょう?そうして、そうゆうコレクターが亡くなるとき、次の世代やその国の美術館に残していった蓄積がヨーロッパの美術なわけです。もう、元気でちゃう。パリは毎年そうゆう人が一人やふたりではないのです。
自分が作品を発表することがしっかりと意識できる。マーケットについての考え方も変わりました。

そんな風に個人が感じた心の揺れを大事にして、そこから考えたり言葉が生まれ、やがて評価につなげるところがヨーロッパのすごいところだと思う。つまり個人の経験としてアートと向き合っている感じ。(そして買うということは直接的な支持表明といえる。)それはコレクターに限らない。美術館の購入担当やメディアや批評も基本的には同じだ。始めのほうでグローバル化したアートマーケットの先にしか、今は評価や批評がないと書いた。それはグローバル化が進んだ海外のマーケットのほうが日本より顕著だとある意味では思う。いいと言われる作品の評判はすぐに世界中に広まり、何度も紹介され続ける。そしてすぐに「これ知っている」となってしまう。しかし、その一方で、個人がイメージと出会って感じたり考えたことが新たな評価や批評をうむという、逆の新しい風もまた海外では頻繁に起こるのだ。日本はそれが少ないのではないか。メディアが取り上げるのもライターなり編集者の個人の裁量が大きいようだ。有名でない僕などでも、どこで見たのか知らないけれど,批評に取り上げたいとか、表紙の依頼がちょくちょく来る。欧米に限らず中国や韓国からも。先週だったか、1802年創刊というイギリスの批評誌から表紙とイメージの掲載依頼があった。たぶん哲学や文芸の批評から始まった雑誌か。写真の外から普通に写真が批評されるのがすごいと思う。(まだ雑誌を見てないし、見ても読めないけど。)

17年前に一度個展をしたシリーズを今回新たな形で発表した。17年前に会場においたノートが3冊感想で埋まったことや、便せん3枚の長い感想の手紙をもらったこと。まだ学生で後に写真家として活躍する幾人かと初対面の会場で写真の話をしたこと。亡くなった平木さんにアサヒカメラで酷評されたことなどを思い出す。批評がないとアートはアートにならない。写真家が写真の場を確保するのも困難だけど批評家が批評の場所を確保することはさらに困難に違いない。作家にも批評家の力でもどうにもならないことが多いと思う。写真の批評はこの先どうなっていくのだろう。普段批評を読まないくせにおこがましいけれど、そんなことを今回の会期中少し考えました。

投稿者 Ken Kitano : 20:20

2010年03月19日

21日まで

12日は恵比寿のナディフで町口さん、本尾さんとトークイベントをしました。

翌日は取材と親戚の代表をかねて高野山の法印転衣式(法印さんという位の僧侶が弘法太師の代わりとして赤い衣を着る重要な儀式)に行く為に高野山へ。厳粛で盛大なお式でした。式の後で地元の写真家永坂さんとお会いした。途中大阪のMEMによて北山義夫展を見た。すばらしかった。拝見できてとてもよかった。
肉体、他者の、死者の存在、人の存在の粒子的な様・・。
私がいま考えようとしていることにも繋がるように(勝手に)感じました。いつまでも濃密なイメージと深い深い感触が体に残って、高野山の道中、ずいぶんと落ち着いて、というか気持ちが前に向いたような気がする。

週末に産經新聞が大きく展覧会のことをとりあげてくださったのもあって、見に来られるかたも増えた。
写真展は21日まで。アップフィールドフャラリーは水道橋駅から3分くらい。お越し下さい。
20,21日は在廊予定です。

投稿者 Ken Kitano : 08:07

2010年03月08日

トーク1 終了

6日に批評家の福島辰夫さんをお迎えしてのトークイベントをしました。
ご高齢なので当日お越しになれるかどうか少々心配しましたが、お元気にお越しいただけました。デモクラート、10人の眼、VIVOは1950年代の活動。後の「東末照明の世界」展や世界でのエドヴァンデルエルスケンの再評価につながったエルスケン展でも80年代か。一体どんな年齢層の方がどのくらいくるやら見当もつかなかったが、めちゃめちゃ幅広い方々で会場はぎっしり立ち見も多数だった。先生の後輩にあたる批評家の方も何人かいらしていた。

事前の打ち合わせで「あなたの話を聞きたい」とおっしゃるので、スライドで作品をお見せしながら、私の写真と私から見た90年代とそれ以降の時代について話した。合間に福島先生の当時の時代の印象などをお聞きしつつ、なるべく横道にそれるようにしました。(司会と作家トークと聞き出し役をひとりでやったので難しいかった。)

僕の現実から僕の作品が生まれることをありのまま話したあとで、実は今回のトークは、現実から写真が生まれることと、写真を通して作家の向き合っている現実や時代をつかむことについて、そうしたことを60年間してこられた福島さんにおききすることがねらいだった。僕は人前で初めてメキシコのことを話したり、one dayを通して考えるようになった現実の質感のようなことについて話した。福島先生のかつてのテキストを少し紹介しながら。
たとえば1956年の奈良原一高さんの最初の個展「人間の土地」を見たことについて書かれた次の文書の一節には、まったく新しい写真が生まれようとしている時代の質感と、極めて強い感度でそれを求めている者のみが感じていたであろう写真の加速度が現れている。
「私は写真家ロベール・ドアノーの「もし伝書鳩が地図を読むことを覚えたら、きっと方向感覚を失ってしまうだろう。」という言葉を引用した。(中略)私は当時この言葉が大変好きであった。好きであったばかりでなく、これはまったくわれわれの当面する状況にぴったりの言葉だ」また「既成の写真のどの様な方法をもってしても、もはやとらえようのない現実が我々の眼の前にあった。」いいでしょう?

福島先生のご著書が1冊でも出ることを願う。(先生、全集は無理ですから。)
本が出て、そこに登場する写真家や現代の写真家が好きなその一節を朗読して写真について語る。そんな批評を通して写真や写真の向こう側にある現実の質感に触れる朗読会ができたらいいと思う。写真から生まれる写真はつまらない。たとえ世界中の人がすべて引きこもりになったとしてもそこから写真は生まれるはず。たとえどんな現実であっても、作家の向き合っている現実からしか本当の写真は生まれないのだ。
有名な安井仲治のコンタクトをとったのは福島先生の奥様だったという「歴史事実」も判明した。

今週末はトーク2で町口覚さんと本尾久子さんとのトークイベントです。お運びください。

投稿者 Ken Kitano : 20:25

2010年03月05日

3月4日 個展 設営

朝、恵比寿で台湾の写真家陳さんとあう。陳さんは昨年台北での滞在でお世話になった。
1年ぶりの陳さんは相変わらず写真の情熱たっぷりの知的で気遣いでの人だった。

午後から水道橋アップフィールドギャラリーで展覧会設営。
今回は僕の作品の取り扱いギャラリーである大阪のMEMの企画の個展。
貸しスペースであるアップフィールドギャラリーをお借りしての展示だ。
上京したMEMディレクターの石田さんと設営作業。今回はロール紙にプリントしたラージサイズ2点を含む12点を展示した。普段の作品ラインナップは32点作品だが、そこから絞った。90年代の作品だがこんどのプイントは昨年焼いたニュープリント。1点1点の重さを持った静謐な展示空間ができあがりました。うん、悪く無いぞ。というか、かなりいいぞ。(自画自賛。)ぜひぜひお運びください!!

明日6日は4時から批評家の福島辰夫さんをお迎えしてトークショーと、その後オープニングも致します。
若い世代の方は福島辰夫さんをご存知なかもしれませんね。
福島さんはかつて1950年代に美術家の瑛九を中心に活動した美術家集団(というか運動というべきか)デモクラートに参加。デモクラートには池田満寿夫、河原温、細江英公、靉嘔らがいた。美術の批評から写真の批評をなさるようになり、「10人の眼」そしてフォトエージェンシー「VIVO」にいたります。VIVOのメンバーには細江英公、奈良原一高、川田喜久治、佐藤明、東松照明がいました。すごいですよね。どうゆう時代、どうゆう空気だったんでしょう。60年の長きわたる批評活動をされてきた福島さんをお迎えして、そんなかつてのお話も少し聞いてみたいと思います。
Exhibition『溶游する都市/Flow and Fusion』 
会場:UP field gallery 東京都千代田区三崎町3-10-5 原島第3ビル 304 (JR水道橋駅西口より徒歩3分/半蔵門線九段下駅出口より徒歩10分) TEL.03-3265-0320 
http://www.upfield-gallery.jp/
主催 : MEM
展覧会会期 :2010.3.5日(Fri.)〜3.21(Sun.)
開廊時間 :12:00〜19:00 会期中無休

投稿者 Ken Kitano : 07:31

2010年03月01日

写真展とトークイベント

今週末から個展をします。「溶游する都市」は15年ほど前の作品ですが、僕には大切な原点ともいえる作品です。発売した写真集は大判で限定本であることなどから、一般の書店さんにはほとんど置かれません。この機会に展覧会場かトークイベントをするナディフさんでごらんになってください。

☆写真展とトークイベント
Exhibition『溶游する都市/Flow and Fusion』 
会場:UP field gallery 東京都千代田区三崎町3-10-5 原島第3ビル 304 (JR水道橋駅西口より徒歩3分/半蔵門線九段下駅出口より徒歩10分) TEL.03-3265-0320 
http://www.upfield-gallery.jp/
主催 : MEM
展覧会会期 :2010年3月5日(金)〜3月21日(日)
開廊時間 :12:00〜19:00 会期中無休

トーク1 : 対談 北野謙 x 福島辰夫(写真評論家)
日程 : 3月6日(土)16:00〜 場所:UPフィールドギャラリー (入場無料) *対談終了後懇親会予定

トーク2  : 対談  北野謙 x 町口覚(Art director/match and Company,inc.) x 本尾久子(curator,editor/eyesencia)
日程 :3月12日(金) 18:30~ (入場無料)  場所:Nadiff (tel03-3446-4977)
ttp://www.nadiff.com/shopinfo/shoplist/map_apart.htm

トーク1では・・重たい時代だった90年代を福島辰夫さんとご一緒に振り返りたいと思っています。あの頃、人ごみが溶け出したケロイドのようなイメージをただただ膨大に撮っていました。それがこの先何にたどり着くのかも、これが写真かどうかもわからないけれど、しなくてはいけないことだけはたしかだった僕に、「こうゆうことが写真なんだよ」と言ってくれた人が福島辰夫さん。溶游する都市、というタイトルも一緒に辞書を引いてたどり着きました。

トーク2では・・(僕が言うまでもないけれど、)町口覚さんは、世界の中のThe Greatest なデザイナーであるばかりでなくブックメーカーです。この日は、今回の写真集のこと、そしてパリフォトのお話など。パリの写真もスライドで見ていただこうと思っています。

☆ストックホルムでも個展開催中です。
MIRAI PROJECTS 
http://www.miraiprojects.com/

投稿者 Ken Kitano : 19:39