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2003年02月26日

2月26日 チェーンメール

 先週末に友人からイラク開戦反対署名を呼びかけるメールが送られてきた。いわゆるチェーンメールというやつらしい。パソコンをはじめて2年ほどだがこの種の反戦メールが届いたのは初めて。要約するとこうだ。
---合衆国議会はイラク攻撃の許可を与えた。世界は大変不安定な状況にある。この状況に反対ならサインしてあなたの友人にまるごとコピーして送って欲しい。---
とこんな内容。国連が関係しているという意味のことも軽く触れている。メッセージは分かるけどどうにも趣旨がピンとこない。気持ちとしては今回のブッシュ政権の言い草は最悪だしどんな戦争にも反対だが、サインした場合その意志表示が具体的にどんな形で誰に届くのかが、あまり具体的でない。昨年話題になった 本「世界がもし100人の村だったら」ならばある情報を人から人に伝えることでイメージを共有したり他者の存在を認知出来る、そのことに意味がある。しかしこの場合は署名だから話しが違う。迷った末に「積極的にサインする気にはなれなけれど、断る理由がのないという消極的理由でサインする」というエクスキューズ的な文面を添えて知人に送った。すでに世界各地500数十人の名前が連なっていたのをここで止めるのもどうか、そんな気にもさせられた。そんな無責任で中途半端なメールを送られた知人には悪いことをしたと、後で後悔してしまった。後日知人からこの種のメールは今たくさん駆け回っているということを知らされた。
今、反戦運動は様々なネットで拡がっているらしい。いろいろなサイトを見ていたら次のようなものもあった。イラク戦についての基本的な疑問と答えが書かれていて興味深かった。またリンクも充実している。
『人道的停戦を呼びかけよう実行委員会』
http://www.geocities.com/ceasefire_anet/index-j.htm
今回のようなチェーンメールもある意味で開戦への危機感の現れの現象ととれるのではないか。もしかしたら誰かが面白がって始めただけかもしれないが。それにしてもこのままでは月末には戦争が始まってしまいそうだ。アメリカの新保守の連中やアメリカ原理主義たちは自分たちが世界のなかで孤立しつつあることが分からないのだろうか。熱烈にブッシュを支持するアメリカ国民を思うとき、合衆国という共同体の外にいる人々へのイメージがどうしようもなく均質な精神が透けて見え、ぞっとする。フォークナーの小説をちらっと思い出す。アメリカという言葉の響きにもはや明るさは感じられない。

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投稿者 Ken Kitano : 23:37

2003年02月06日

2月6日 熊野御燈祭

 昨年7月以来の熊野。快晴。台風のため荒天だった前回とは大違いだ。思えば昨年の屋外撮影は雨率が高くて悲惨だった。
 新宮の神倉(かんのくら)山の御燈祭。山の中腹にある神社から約2000人の白装束の男達が松明を持って夜8時を合図に一斉に石段を駆け降りる。上り子と呼ばれる男達は朝から豆腐やかまぼこなど白いものを食べ、浜で禊をして望む。私と編集者のIさん3時半頃から急な石段をのぼって中腹の神社へ。息が切れる。石段は大変に急斜面で足場が悪い。普通に登り下りするのでも大変なのに、これを夜、駆け降りるのだから殆ど正気の沙汰ではない。
 神社に登るとすでに報道とアマカメラマンが限られた取材スペースを埋めている。今日登れるのは報道陣も含めて男性に限られる。ゴール地点にあたる鳥居の周辺以外警官がいないのがよい。警察が介入すると祭は終わりだ。いつものことだけどなんでアマカメラマンはこんなに多いのだろう。撮った写真は何をしようというのか。さっぱり分からない。仲間同士のヒエラルキーのようなものもあるようで、気持ちのいい雰囲気ではない。
 御神体の巨石は男女の性器そのもの。御神体が性器に似ているということはよくあるけれど、ここのはすごく似ている。
 神社から狭い新宮の街が一望できる。この小さな街のなかで中上健次が生きた。同級生が狂女と籠った山、友人が変死していた駅のベンチ、流れ者、路地、談合・・。高台の神社から全てを見渡せるこの小さな街が滾るような物語の舞台だった。近づいてきた70歳くらいのおじさんがいろいろと教えてくれた。昔は山側と海側を分けるように一筋の長い丘というか小山が走っていたが、崩してしまったという。山側には金持ちが住み新宮と呼ばれていたそうだ。中上健次の小説で度々「新宮の者」という言い方で路地者と相対化する、例えば「対岸の差異」という表現の背景が初めて分かった。
 さて、暗くなって続々と登ってくる。酒を飲んで登ってくる若者が多い。飲んだ経験のない10代の連中らしいのもかなりいて完全に酔いつぶれている者もいる。時間が近づくにつれてあちこち喧嘩や怒声がおこる。一方でじっと精神を集中して佇む人もいる。小さい子供の顔には真剣さがみえる。8時、開門と同時に男達が一斉に駆け降りはじめる。燃えたぎる火のダムが決壊して漆黒の奈落へと炎が激しく流れ落ちてゆく。
全員が過ぎ静かになった時、Iさんが「精子に見えた」と言った。言われてみればまったくその通りだった。射精した精子は熱くぶつかりあいながら、駆け降りてゆく。ある者は途中で倒れ下まで辿り着けない。
 ゆっくりと下山すると下の鳥居の外には大勢の女の子達が下山してくる男たちを待っていた。皆精一杯おしゃれをしていた。

投稿者 Ken Kitano : 23:39

2003年02月02日

2月2日 マーブル

 十代前半の女の子向けファッション誌マーブルの撮影。モデルの女の子は13歳と14歳だった。当たり前だけど若い。しっかりしている。23歳くらいの「周りからチヤホヤ系」のアタシってモデル型ばかとはかなり違う。「お母さんは何歳なの?」と聞くと「35歳です」と言われ絶句。ひとつ違いの同じ学年じゃん。23歳の時の子供だから考えてみれば年齢的には全く普通なのだが、自分との凄い落差。私とほぼ同年齢のスタイリストさんメイクさんともども沈黙し、3人とも軽くうろたえる。うちの娘が13.4歳になるころ、自分はどこで何をして生きていられるだろう、とか考え、ついでに帰ったら確定申告に取りかかろうと思ったりして、加速度的に撮影のテンション下がり気味な日曜の午後。(午後はぶつ取りだったからいいけど)

投稿者 Ken Kitano : 23:40