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2005年09月29日

9月28日 結局ホッピー

 午前中銀行に行く。残高を見てがく然とする。節約しないといけないな、と誓って電車で上野へ。ベテラン漫才コンビS師匠を古〜い喫茶店で撮影する。芸人さんの話は面白い。取材の後、ライター袴田氏と編集K女史と、演芸好き3人で、「飲まない訳にはいかないね」、「じゃ、少しだけ」と、湯島寄りにある居酒屋「赤提灯」へ。お刺し身全品300円。串焼き100円、瓶ビール大瓶400円など、安さに感激してビール、ホッピーを飲む。随分飲んだつもりなのに時計はまだ9時。「なんだ、まだ余裕じゃん」などと引き続き飲みつつ、よく考えたら5時半から飲み始めていたことに気付く。「節約」も「少しだけ」もしっかり破って、ふらふらしながら電車を乗り継いで帰宅。反省モードで寝る。

投稿者 Ken Kitano : 05:45

2005年09月27日

9月27日 湘南に行ったのに海も見ず

 朝6時半に自宅を出て湘南へ。SPA!「今週の顔」の撮影のために気鋭の書道家Tさん宅へ。撮影はあっとゆうまに終了。Tさんの理系ご出身の経歴だとか、「戦うこと」についてとか、お話を聞いていて勝手に共感を覚えることがいくつかあり、じっくり話を聞きたかったのだが、午後の撮影の為に、少しだけ雑談をさせてもらって、取材途中で失礼して一人都心へ向かう。午後は代々木公園で某誌の車の撮影。初めての特集頁の最初の撮影なのに、事前打ちあわせなし、その上担当編集の立ち会いなし。「好きに撮っていい」らしいが、そうゆうのってむしろ不自由というか、やりにくい。かなり不安。
 
 今日は車を運転する時間が長かったので、先日清里の取材で話したことも含め、本の反響のことを反芻する。つまるところ、また「個性」の話。「個性」という言葉を崇めて使えば使うほど、世界は(人間が)均質になってゆく、ということ。まだ自分でもうまくいえないのだが、またこのことを「分かる」人たちと分からない人達について。写真集『our face』でいうと、ぱっとみてすぐに興味を持って、比較的深いところで見てくれる人というのはそうゆうひとだろうか。自分で写真を撮っている写真家は年齢を問わず、あるところ「分かって」くれるひとが多い。(別に分かってくれなくてもいいのだが。また方法論みたいなことや写真という表現そのものに”ノレ”なくて入って来られない人も、もちろん多い。)あと、農業、漁業など自然に接している方々も割合入ってきて頂ける。(インテリやアートに近い人はなかなか分からないことが多い。リクツじゃないのだ、写真は。)写真家も”時間と光”という自然のベクトルに常にコミットしている人種。そうゆう自然と向き合う経験をしている人々は、個人が(自分が)、自分を超えた大きな「世界の中の一部分であるというリアリティー」に触れた経験がある人々なのではないか、と思う。大きな世界の中の「部分である」という確かさ、リアリティーを、近代に入って「発明」された「個人」という概念に結びつけて意識することはできないものか。それか絶えず無意識の助けが必要か?僕なんかが考えても仕方ないことなのだが、「個」が強者と弱者の序列で表現されたり、「特別なもの捜し」的に求められることが、とことんありとあらゆる場面にまで浸透してゆく今、そんなことを思うのだ。

 業務連絡。ラジオを聞きのがした今井さん、松村さん、伊豆野さん、梅津さん、こんど録音したMDをお貸ししますね。
 

 

投稿者 Ken Kitano : 21:31

2005年09月26日

9月26日 一夜明けて

 「一夜明けて」という感じである。昨日は放送直後から続々と知り合いからメールが入ったり、家に電話が来た。結果を言ってなかったので、周りの人も含めて盛り上がったようだ。実際、こんどのことは応募から収録、コメント録りまで、本当に楽しかった。「AMラジオ好き」としてはラジオの作り手の皆さんのプロフェッショナルな姿勢をつぶさに見られて、やはり感心した。あと、赤坂のTBSラジオの廊下を歩いたとき「ここで伊集院さんはバイクを走らせたのか、思っていたのよりずっと狭いじゃん」と思った。(分からない人には分からない話ですが。)

 放送のあった昨日は昼間、山梨県の清里にいた。(ラジオは帰ってから録音を聞いたのだ。もっとも毎週録音しているけど。)昼から清里フォトアートミュージアムの友の会の会報のインタビューがあって、久しぶりに清里を訪ねた。あいにくの曇空だったが、八ケ岳から吹く秋風が心地よかった。開催中の企画展「開館10周年記念展 「WWII-日本の敗戦:キャパ、スミス、スウォープ、三木淳の写真」を見た後、広報の小川さん、ライターの佐々木さんから2時間ほど取材を受ける。http://www.kmopa.com/4人の視点からみたそれぞれの戦争の記録。展覧会の感想はいつかあらためて書こうと思う。

 この清里フォトアートミュージアムは若い写真家の作品を積極的に選んで購入し、コレクションに加える「ヤングポートフォリオ」という貴重なプロジェクトを開館時から続けている。毎年世界中の若い写真家が、自分の向き合っている切実な現実から生まれる写真をこのプロジェクトに応募してくる。僕は一昨年に35歳の年齢枠を「定年」になったが、10年前の第1回目から数年おきに作品を送り、コレクションに加えて頂いている。『our face』も初期の実験的なフルアナログ作品を含めて43点がコレクションされている。僕は作品をコンテストやメーカーのコンペで評価されるのがあまり好きではないので、振り返るとこのプロジェクトで評価してもらうことが殆ど唯一の写真家のとしての活動だった時期も何年かある。そんなわけで広報の小川さんは初期の頃からヤングポートフォリオでの僕の写真を見てきている。だから作品の話が時系列でできる。小川さんに「第2回のレセプションの時に話した時の北野君はすごく暗かったよ」と言われる。今思うとスランプの入り口だった。全然撮れないでもがいていた時期だから暗かったのだと思う。たぶん「写真は楽しいから好きです!」とか言っている周りの連中に一方的にむかつき気味にガンを飛ばしていたと思う。『our face』に至るまでの辿ってきた過程から見えてくることを中心に話が及ぶ。そして写真集になって3ヶ月経ったばかりだが、その間の『our face』の受け取られ方の話など。話していてだんだん自分の中で明らかになってくることもいくつか。
いい機会だからきちんと整理しておこう。

 帰りの小海線の車窓が綺麗だった。小淵沢からのあずさ号でビールを飲みながら帰る。

投稿者 Ken Kitano : 20:52

2005年09月25日

9月25日 「日曜日の秘密基地」

 「打った、勝った! 草野球で大売り出し」はお聞きのような結果でした。台風で大荒れの天気の中の収録でした。何年かぶりで立った野球のグラウンドは、広くて、綺麗で、立っているだけでドキドキしました。とにかくヒットがでてよかったです。応援してくれた皆さんありがとうございました。バッターの榎原さん、紹介してくれた今井さん、ありがとうございました!それにしても現場で聞く芸人さんたちの声は迫力がありました。応募からコメント収録に至るまで、ラジオ好きとしてはいい経験になりました。

 ラジオを聞いて初めてこのサイトをごらんになった方、どうもありがとうございます。『our face』は是非一度手にとってごらんになってください。一見、「怖い」あるいは「気持ち悪い」写真ですが、よく見ていると、どこか誰にも関わりのある、ともすると自分と関わりがあるようにも思えてくるような肖像群です。ある意味でありのままの「私たちの姿」を並べた本です。北海道の漁師さんから沖縄の若者まで様々人々のドキュメンタリーとして、テキストとともに是非ご覧になって下さい。きっと誰にとっても他人ごとでない肖像のなかに、きっとあなたもそこにいます。
 
 一方的な二極論や「目立つもの捜し」とは異なる眼差しで世界を見渡す写真集です。
 尚、現在発売中の文芸誌「すばる」(集英社)にインタビューが掲載中です。

その他のお知らせ
・国立近代美術館会報「現代の眼」10月25日からのアウグストザンダー展の号に原稿執筆したいます。
・次号の「中央公論」グラビア頁にてメキシコ壁画運動の写真とテキスト。
 

投稿者 Ken Kitano : 20:04

2005年09月23日

9月23日 どーか、ひとつ!!

どーか、ひとつ!!
何も訊かずに、明後日、25日(日曜)のTBSラジオ13時からの「伊集院光 日曜日の秘密基地」を聞いて下さい。

13時から14時までの間でオンエアの売り込み企画コーナー「打った、勝った!草野球で大売り出し」に挑戦します。結果どうなりますか!?北野謙の本の宣伝は出きるのか!?請うご期待です!
TBSラジオはダイヤルAM954。この番組は普通に聴いても面白いです。是非!

榎原さん、今井さん、川添さん、袴田さん、笹目さん、近々打ち上げしましょう。

投稿者 Ken Kitano : 13:48

2005年09月19日

9月19日 鶏鍋に熱燗

伊勢二日目の昼間は珍しくオフになった。内宮、外宮の祭の間の日。前から行ってみたかった映画館「新富座」へ行く。以前ラジオでおすぎさんがこの映画館のことを話しておられたのを聞いて以来気になっていたのだ。旧い映画館を個人が買い取って頑張って営業されている。映画ファンによる個人映画館というところか。伊勢は往時の活気が薄れ、駅前のデパートが閉鎖されたり、商店の郊外化が進んで中心部はがらんとしている。繁華街もシャッターを降ろしている店が目立つ。そんな中頑張っていい映画をかけ続けている映画館。気持ちのいいロビー。受付のひとは品のあるご婦人だった。きれいでゆったり座り心地のいい椅子。この日の映画は「ヒトラー最後の12日間」。秋晴れの天気とは裏腹に重たい映画だった。印象的だったのは映画にも登場するヒトラーの秘書だった女性が生きておられて、本人が映画の最後に出てきたシーン。ヒトラーは周囲の人々へは優しかったことと、戦後に初めてナチが行ったことを知って(自分がそれまで知らなかったことを知って)がく然としたことなどをカメラの前で語ったシーン。
 夜は編集Iさんと居酒屋「なぽり」へ。焼き鳥屋なのになぜか「なぽり」。メニューにパスタはない。鶏肉だけでなく、鹿、馬、猪などの肉料理も。美味しい。安い。鶏鍋と熱燗が身体に染みる。コラーゲ〜ンな夕食。Iさんと飲むのは久しぶりだったのでいろいろ話し込む。『our face』を出して会った人の言葉や反応を書き留めておいたほうがいいよとアドバイスを受ける。本を出す前後で考えたことなどをメモにしておくと後で役に立つと言われるが、考えてみるとこのブログがメモ代わりだ。

 昨夜も幅広い世代の人がいる中で自分の本の話題も出た。前にも書いたが、やはり団塊の世代の人は「個性とは幻想である」という言葉に引っ掛かるようだった。全共闘の世代といってもいいのかもしれない。その世代の人達にとって「個性」という言葉は、自分たちがようやく手に入れた貴重な考え方、個人のあり方だったのかもしれない。よくわからないけど。個性的であることがイコールいいことだという考え方を、疑わずに固執する人が多い世代であるような気がする。「個性的」であることが豊かであると。一面的に見るとその通りなのだが、日本の戦後教育あるいは社会全般にも言えると思うが、狭い一定の組織の中で作用する「個性」という基準であることが、そもそも幻想である。クラスの中の、会社の中のポジションやキャラクターの色分け、「他とは違う存在」であることなどのモデルが組織のなかで出来る。組織の中で個性的であるということと没個性的であるという構図が出きる。それを他の組織や広い社会一般に比較すると、その構図そのものが画一的で均質な社会を構築している。つまり周囲に対して「個性的」であろうとすることが、実は均質な社会を作っていく原動力なのだという矛盾に若い世代は気がついている。学校の先生が「個性を出しなさい」と言えば言う程、均質な考え方の子供たちが全国で育つのだ。こうゆうことが今の団塊の世代の人たちが作ってきた社会の一面でもある。自分と他者への比較の眼差しがものごとの評価へつながる。こうした消費資本主義へと直結した本質的な評価の言葉とは無縁の尺度が重要視される。(当たり前だけど。)でも、「違い」を感じることと「実感する」ことは本当は違うのだ。「違うもの捜し」的な表現はちっとも創造的でないし心に残らない。実際に残っていく表現はもっと別な次元から生まれることはいうまでもない。とはいえ似た様なものが同時に世に出ると価値が下がる。写真集でもこうゆうのはよくあることである。
 もうひとつ言うと人は同じテレビ番組を見るからとか、マンガを読むから社会や人が均質になるのではない。同じ「ドカベン」を読んでも100人の子供は100通りの感動を受ける。たくさんの人が同じものを受け取っても、受け止める者の内面は多様だということがある。逆に実に多様なソフトがあるいま、それを受け取る者の内面が均質になっていくという現実もある。
 もっともこんなふうに「個性」という言葉を否定的に捉える考え方自体が「個性的」と捉えられるのもまた、近代の思考では当然の帰着なんだけどね。

投稿者 Ken Kitano : 12:50

2005年09月16日

9月17日 伊勢神宮

16日から19日まで伊勢神宮へ。 
8年後のご遷宮(伊勢は20年に一度御宮やご神宝類等を新しく作り直すご遷宮祭を1000年以上繰り返してきた)までを追う雑誌の連載の撮影で久しぶりに伊勢へ。今回は御船代祭の取材。遷宮に関わる大きなお祭りは毎回取材来ている。他にも同様のメディアやジャーナリスト、学者など、毎回ほぼおなじみの顔ぶれがお祭取材の度に顔を合わせる。だんだん顔見知りになってゆく。8年先まで時々顔を合わせるのかと思うと不思議な気分になる。8年先の自分はどうなっているのだろう・・。
ところで祭の度に少しずつメディアの数が増えている。(既に100社近い)このままだとご遷宮が近づくと1000人くらいに膨れ上がらないかと心配になる。メディア間の駆け引きや、ヒエラルキーみたいなものが狭い取材陣の中で充満すると大変に疲れる。
 夜は「伊勢のアニキ」ことカメラマンの中野師匠、編集Iさん、伊勢を追いかけていらっしゃる若手ライターの中村さん、宗教をテーマに撮られている大先輩のカメラマンの藤田さん、編集者で大学教授のWさん、中野アニキの助手で写真学校生のS君と居酒屋へ。伊勢は食材の宝庫。安くてうまい居酒屋がたくさんある。藤田さんが最近出された熊野の修験の本の話。かつて取材されたオームの若者達の話等々・・。
 厳粛な祭取材の後の生ビールは旨いのである。

投稿者 Ken Kitano : 12:16

2005年09月14日

9月13日 三平酒寮

 版元の西山さんからメール。NHKの番組の効果は注文の数字には顕著に出ていないようである。電波媒体と書籍は相性がよくないとはよく言われることだけど、現実はきびしいようだ。早く重版がかからないかなあ〜。
 午前中原稿書き。壁画運動について。原稿というより写真キャプションの延長のような感じでもある。400字だからすぐ書けると思っていたら、短い字数に収めるのに思いの外手間取る。だいたい書けてきたころで佐藤信太郎から電話が入る。機材のメンテのことで午後新宿で会うことになる。素麺を食べて、(麺つゆを書いてある通り希釈して作ったはずなのに、凄くしょっぱかった、絶対におかしい)、その後原稿をもう一度読み直す。でも送らずに凍結しておき新宿へ。原稿は時間を置いて解凍してもう一度読み直したほうがいい。
 ニコンで合流し、2時間ほどの機材のメンテの間ビールを飲むことにする。「三平酒寮でかんぱーい」のラジオCMでおなじみの居酒屋三平に行ってデータイム一杯250円の生ビールを飲みながら佐藤信太郎と話す。昼ビールは罪悪感を伴うが、基本的にとてもうまい。2人とも酔っぱらってくると話のセンテンスがだんだん短くなり、次々に話題が変わる。畠山直哉さんの写真集の話がいつのまにか浅草のレバ丼の話になっていたりして、それはそれでいいのだ。
 帰ってYちゃんから頂いたエボダイの干物を焼いて晩ご飯。上品なお味で大変おいしゅうございました。原稿を読み直して送ったらすぐに編集YさんからOKの電話があったので、安心して娘と「アニマルドミノ」をする。その後娘を寝かすつもりが、枕元で本を読んでいるうちにこちらが熟睡しちまった!やば。

投稿者 Ken Kitano : 07:03

2005年09月12日

9月12日 ハーフトーンを前に思考停止するメディアと人々

 週末に写真集の紹介記事が掲載された週間誌が送られてきた。僕からは本を送った記憶がないので版元が送ったか、担当者が興味を見つけて持ってくれたのか?いずれにしてもその雑誌は予期してなかったので意外であり、少し嬉しかった。
 一ページの半分弱のスペースで写真も入っている。書評というよりはあくまで紹介記事だった。こうして媒体で取り上げていただくことが広く認知して頂くきっかけになるし、まずは露出して知って頂くためにもありがたいことである。ただ残念なのはこうした紹介記事の多くは写真の説明で終わってしまう。ややこしい写真なので説明なしには話題にならないからいたしかたないのであるが。でも本来写真を見るのに方法や被写体のことは後回しでいいのである。場合によってはなくてもいいのである。それにこれは字数の問題ではないようである。短い字数の紹介記事でも、例えばダヴィンチなどはわずか2行程度の記事にも、書き手の主観や解釈が折り込まれていたりする。媒体の性格にもよるのだろうが。少しだけ思うのは写真集だからだろうかということ。雑誌の同じ頁の紹介記事でも隣の小説を紹介する記事は随分と踏み込んで主観を交えて書かれていたりするのだ。たしかに小説やエッセイ、あるいは映画などより写真を主観的に見て語るのは一般的でない。そもそも写真をやっている人でなければ、写真について語る必然を多くの人は感じない。訓練の問題でもあるだろう。写真を説明することで語ったことになってしまうのは困ったことである。『our face』で言うと、この写真群の持つ不可解さには触れても、その不可解さ、茫漠とした様から先を言葉にするのは難しいようである。繰り返すけれど、取り上げてくれるだけでもありがたいのだが。
 昨夜、NHK BS2「週間ブックビュー」で『our face』が取り上げられていた。選挙速報の裏番組という微妙なタイミングに、よりによって書評番組を観ている全国の奇特な人々に親しみを覚える。放送ではグラフィックデザイナーの鈴木一誌さんが、『our face』の写真のまさに〈不可解さ〉から一歩踏み込んで、そこから見えてくることを簡潔に言葉にして語っておられた。「常に他者と違う存在であることを強要されているような現代の私たちを、そうでなくてもいいのだと思えてくるようなある種の癒し的にも読み取れる本」というような言葉で感想を着地されていた。その後他のコメンテーターと司会の長田渚さんらが順番に感想を語っておられた。「自分が何者か」「普段我々が見ているものというのは一体何なのかを疑ってしまう」という意味のことをおっしゃった方もいらした。その辺の会話はまさに〈不可解さ〉を自身に引き寄せて初めて見えてくる言葉のように思える。(ちなみに画面の端に「今日のお薦め」の三冊が映っていたのだが、こうゆう時、大きい判型の本は目立つからトクである。)
 なぜこうゆうことを考えたかというと、今回の選挙である。「解りやすさ」というのは僕達があるところ、長く求めてきたことではある。政局にしても利権にしても不透明で分かりにくいことへのストレスを我々は抱えていた。一方写真で言うとはっきりした白黒、カラフルでエッジの効いたイメージは反応しやすいし言葉にしやすい。今回の選挙を見ていても、大切なことは郵政のことだけではないのに、小泉首相 が解りやすい「二者択一選挙」へと持って行ったことで、人々が大きく反応するような現象。なんとなく感じることがある。ぼんやりしたハーフトーンを前に人は(そしてメディアも)思考停止してしまうのだなと。茫漠とした「ハーフトーンの状況」を見渡す視力が我々は確実に落ちていると思う。強弱があるとものごとは見やすいし見たような気になる。(実際コントラストが強いほど人間は視覚情報を脳に伝達する速度は速いそうだ。)しかし強く、濃い、特別な存在を注視することで、弱く曖昧な(でも大切なもの)を見失ってしまう危険を感じる。郵政民営化自体は僕は指示するし、今回の解散も納得ができたのだが、郵政改革か否かという焦点の単純化の向こうに、それ以外を見えなくするような与党の作戦とそれに同調する有権者の単純さに危惧を覚える。郵政改革への支持はしたけど靖国参拝や自衛隊のイラク派遣任期延長、憲法改正などのオプションはそこには含まないハズ。それらの審議の度に今回みたいに毎回解散選挙をしてくれれば解りやすいけど、そんな訳には行かないよな。今後、成り行き的に、「国民に支持されたからねオレたち」的に、細かいことを端折って大事なことが速いスピードでおし進められてしまいそうな気がしてならない。
 繰り返すけど、大切なことは二者択一的な二極論の中に消えてしまう。根気と経験がいるけど、眼をこらして、曖昧なグラデーションの中に変化を見つけるような眼差しが大事だと思う。こじつける訳ではないが、あれだけ取り上げられているのに『our face』の「不可解さ」から先を言葉にしにくいことの背景にはそうゆうものがあるように思いました。「ハーフトーンの壁」みたいなものをそこここに感じる今日この頃なのだ。(以前、ほぼ全編ハーフトーンの映像で描かれた「ユリシーズの瞳」という映画があった。あれはいい映画だった。)
 
 「週間ブックレビュー」、「すばる」などの告知をメールでしたほうがよいと何人かの人に言われた。そうゆうものですか、と取材で関わった人などに週末BCCでお知らせを送った。本当は一人ひとりにその人を思い出しつつ文面を考えたい。一斉送信というのは好きではないけど仕方ない。あの人にも、この人にもと足しているうちに80人くらいになってしまった。(迷惑メールだったらすみません)残暑見舞いとお知らせの文面の他に、本が出るまで応援してくれた人にその後経過を報告しなくてはと付け足した文章を下に添える。
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「見知らぬ他者を自分のこととしてイメージする」ことへの期待に端を発したour fcaeの旅は6年に及びました。
 世界が均質になってゆく。均質になっているのは事実ですが、実際に世界の表面をいろいろ訪ねてみると、それでも世界は実に多様で、具体的な質感を伴っている(当たり前ですが)。実際そう見えてしまうことの原因の半分以上は、我々の想像力が均質にしか想像できなくなってきていることによるのではないかと、旅のさ中で思いました。

 「個性こそが大事」とゆうようなことが言われます。もちろん個性は普通に大事です。しかし人と違うこと自体はいわば客観的な結果でしかない。過剰な「個性礼賛」は実は世界を均質にしてゆくという逆説をはらんでいます。強く、濃い、特別な存在を注視することで、弱く曖昧な(でも大切なもの)を見失ってしまう危険を感じます。個性礼賛というある意味の差別化は(グローバル化を推し進める隠れた血流としてあまねく世界に循環しながら)、実は益々世界を均質にします。
 『our face』の写真をを見て「どうして個性的な人の写真を撮らないの?」と言う人はインテリの人が多いです。漁師や畑の人は「個性」なんて言いません。半分大きな対象(自然とか宗教とか)に自分を預けてますからでしょうか。そうゆう人は『our face』の肖像群をどこか自分のこととして向き合っているように感じます。「違う」という価値は錯覚を含む。「個性礼賛」は「在る」ことや存在することの「実感」そのものを希求することの難しさの代用品という気がします。

 『our face』を「平均」とか「合成」という言葉で簡単に片づけられることがまだまだ多いです。しかし作者としては、時々出会う、この無数の他者の肖像を自分の鏡として見つめるような感性と言葉に期待します。

 くどくてすみません。
 台風、残暑、地震が連続して訪れる最近ですが、どうぞご自愛下さい。


投稿者 Ken Kitano : 09:21

2005年09月10日

9月9日 菜苑 純レバ丼

 午前中、うちの奥さんの仕事の運転手をさせられ、新三河島駅近くまで材料運びの運転手をさせられる。酒屋の試飲コーナーの壁を塗る仕事だそうだ。完成したら美味しいワインを飲みに行こう。この界隈は済州島からの在日の人達の街だそうだ。旨そうな焼き肉店や総菜屋が軒を連ねる。焼肉とチゲを食べに来ることを固く誓って浅草へ。うちの奥さんにお駄賃として2000円をもらったので、花屋敷近くの「菜苑」に純レバ丼を食べに行く。前に来たときはタンメンを食べた。野菜シャキシャキ、スープ濃厚で大変美味だった。今日はもうひとつの看板メニューのレバ丼にする。店内はふつーのラーメン屋さんの趣きだがいつも清潔。今日は飲まないけど冷蔵庫にアサヒとキリンの2種類のビールが冷えているのも好感が持てる。(浅草はアサヒの地元なのでスーパードライ率が高いのだ。僕はキリン派。)厨房で力強く鍋をふるう大将は、なんと女性。(20代かな?)お冷を運んでくるオジサンの娘(お孫さん?)なのか、女性だけど力強くて濃厚な料理をドンっと出す。レバ丼は少し辛い味付けのレバーがご飯の上にドサドサっとのっかっていて、その上に刻みネギがザバザバッとかかっているのをワシワシ食べる。うまい!今度は絶対飲みに来よう。この界隈に泊まりで来ないといけないな。
 浅草のニコンでストロボの修理を受け取りに行く。隅田川をロケハンしつつ、その足で京橋の中央公論へ。急遽「中央公論」のグラビア2頁の打ちあわせ。手持ちの写真からなのでメキシコのディエゴリベラの壁画の写真に決める。

●前にも書きましたがお知らせです。
・明日11日深夜のNHKBS2本の番組「週間ブックレビュー」にて『our face』を「お薦めの一冊」として取り上げてくださるとのこと。9/12(月)0:00〜0:54のなかのコーナー(NHKBS2)
再放送9/18(日)8:00〜8:54のなかのコーナー(NHKBS2)
http://www.nhk.or.jp/book/prog/index.html

・発売中の文芸誌「すばる」にインタビューが掲載されています。インタビュアーは井上二郎さん。一部はネット「すばる」でも読めます。
http://subaru.shueisha.co.jp/html/person/p0510k_3.html

・発売中の10代向けのストリートファッション誌「ケラボーイズ」(インデックスマガジンズ)に「個性について」原稿を書いています。ちなみに「ケラ」はビートゼネレーションの作家ジャックケルアックの愛称。「路上」ファッションがコンセプトだからの命名。ロバートフランクやヘンリーミラーとかは出てきません。
http://www.indexcomm.co.jp/kera_boys/index.html

・あと発売中のrelax(マガジンハウス)にも終わりのところに小さいお薦めの祭のコラムを書いてます。

投稿者 Ken Kitano : 10:59

2005年09月09日

9月8日  暗室リニューアル大作戦

 暗室を拡げてリニューアルするために朝から作業。新に窓を塞ぐのに吉祥寺ユザワヤに暗幕とマジックテープを買いにいく。結構高い。(ユザワヤの駐車場は買い物をしてもなんで割り引きにならないんだ!それに駐車券がでてから入庫まで時間がかかるので、その分料金がかさむだろう!おい!)
 「くぐつ草」でカレーを食べて新宿へ。ヨドバシでケミカルや電球の予備、ネガシートやボックスを買い込む。分からないことを佐藤信太郎に電話して聞く。携帯に電話したら外で撮影中だった。仕事中ごめん。助かったよ。(あ、信太郎さん、来週K通信のSさんと飲むかもしれません。)ネガの収納ボックスってなんでこんな高いのだ?ただの箱なのに。金がどんどんでていくよ〜。
 帰って数年間地層のように積み重なった、膨大なネガやポジの片づけ。出版社から返却され「こんど整理するからね!」と思ったまっま袋ごと床に積み重ねられた写真たち。開けてゆくと懐かしいのやら、忘れているのやら。笑っちゃうくらい下手なブツ撮りとかは見つけると迷わずゴミ袋へ。高温で焼いてこの世から一秒でも早く抹殺して頂きたい。旧い写真はその時の仕事の人間関係とかも思い出してしまい、手が止まってしまう。家族の昔の写真が不意に出てきたりして、そんな調子で全然はかどらない。僕も奥さんも若いなあ、とか思いつつ見いる。それに買ってきた箱が足りない。この作業は当分続くな。
 夜アマゾンで発作的に取り寄せた「野狐禅」(やこぜんと読む)のcdを聞く。ニッポン放送で鶴瓶師匠がよくかけるので気になってアルバムを購入した。「かもめ」という曲がすごくいい。しみじみ芋焼酎を飲みながら、何もしないでいる午前2時。

投稿者 Ken Kitano : 09:34

2005年09月07日

9月7日 昼ビール

 訳あってまだ発表できないのが、早朝に大変ドキドキする体験が無事終了したので、ライターの笹目さんと京浜急行雑色駅近くの中華料理店で昼ビール。外は天気が目まぐるしく変わる。台風の気圧のせいか、緊張のせいか昨夜は眠れず、結局ラジオを聞きながらずっとパソコンに向かっていたので、ビールを飲んだらぼーっとしてそのまま溶けそうになった。本当は朝10時からやっているという、先日永六輔さんのラジオで中継していたコの字の居酒屋に行きたかったのだが、見つからずにその店に。でも気持ちの良い商店街であった。ふらふらしながら徳間書店に納品。その後海沿いに撮影しようかと思ったが、雨が強くなってきたので帰る。

投稿者 Ken Kitano : 18:00

9月6日 BRUTUS 特集/杉本博

 書店でBRUTUSを見つけたので買う。今号の特集は一冊丸ごと杉本博。編集のSさんは写真誌でないBRUTUSでは異例中の異例だといっていた。過去に美術特集でも奈良/村上2人で一冊だった。さすが世界の杉本博である。取材と文章は「杉本さんラブ」の橋本さんがほとんど書いているようだ。橋本さんは別な雑誌で仕事をご一緒しているので今度会ったらいろいろ聞こう。淡いハーフトーンの写真を雑誌の薄い紙に印刷するのは大変リスクだ。裏の絵柄が透けて見えるからだ。レイアウト、印刷もよく見ると実に凝っている。うーム。
 午後赤坂のフォトグラファーズラボラトリーに「職人本」のテストプリントを見に行く。雰囲気がちゃんと出ていたのでこのテイストで焼いて下さるようお願いする。

投稿者 Ken Kitano : 17:50

9月5日 台風接近

 台風が接近しているので一日中雨。都内をあちこち動いたけど、なんだか水の中にずっといたみたいだ。 
 午前中、某雑誌の編集長と会う。クオリティーの高さとある種のブレのなさにおいて希有な雑誌だと思う雑誌。『our face』を一目見て、「広告代理店が、30代の動向とか世代ごとに適当に調べて、スポンサーを集め雑誌の企画なんかをそれに合わせて作っていくようなのと同じような見方だね」と言われる。とっても表面的な見方に思えたので少々説明をする。(でも写真を見ることにおいて、表面的な見方や最初の印象というのは実はとても大事で、それの感触みたいなものはきちっと取っておいたほうがいいのだけど。)この作品の不可解さは最初にそうゆうふうに取られてしまうことの危険性だと改めて思う。案外始めから世界を均質に見ようとしていることってあるのかもしれない。この仕事は現実に広く網を張るようなカテゴライズではなく、人は極めて小さな括り、ひとつの漁協のひとつの舟の漁師さんとか、ひとつの祭の一つの神輿かつぎ手たちなど。そうゆう小さな括りの人々世界や物語を淡々と拾い集め、水平に連ねた本だと説明すると改めて見てくれた。漁師さんや農業の人々など、自然を相手に伝統的な共同体で生きている人々の顔は、濃いし、しっかりしていて、見ていて気持ちいい。一方、会社員やイラク攻撃反対デモに参加した人々の肖像などは、観念的で実質が伴わないというか、何かが抜け落ちたように茫漠としている。もっと言うと不快だという話になる。確かにそうゆう一面もあり、ある意味同感。向き合う自然、宗教など 共同体の持つ〈濃さ〉や〈実質〉も肖像に現れるし、反対にそうゆうものの〈薄さ〉、〈実感のなさ〉、〈不確かさ〉といったものもそこに現れるのがこの写真。どっちがいいかではなく、どちらもきちんと見つめて、それをイメージや言葉にすることが大事なことだと僕は思う。そうしないと例えばその〈不確かさ〉を越えられないから。その辺の考え方は僕とその方は違うようだった。自然と向き合うことから見えてくることや、脈々と築かれて来た文化の蓄積、大きく抱かれるような〈確かさ〉の側から現在を見渡すスタンスのようだった。そうゆうことだけでは掬いきれないこともあると思うが、考え方の違いだからしょうがない。相性や好み、雑誌の方向性もあるから仕方がないことだ。
 メキシコやぺールーの話になり少し話ができる。話の流れで見せる予定がなかったけど一応持ってきていたメキシコの壁画運動の写真も見せるとそっちの方がしっくり来たようだった。確かに強いし、見てて気持ちいい。そういえば福井大の岡田先生から戻ってきたアンデスの写真もあったなと思いだす。話は戻るが、実際のところそっちの方がある意味楽なのだ。例えば外国へ行って、過酷な自然と向き合って生きている人々を撮ったり、長い伝統や厳しい現実に身を置いて生きている人に出会うと、撮れてしまうし、ものを見た気がする。ところが実際の日本は実感の希薄さや手ごたえのなさ、居場所のなさにたくさんの人が苦しんでいるわけで、そうゆうものを表現することのほうが何倍も難しい。ある意味で。そうした見えにくいことや目に見えないことをイメージにしたり言葉にすることが僕達の仕事の一つだと思う。よく外国でそうした「実質」や「違い」と出会うと、日本に帰って感じる「希薄さ」や「不確かさ」がバカらしくなるし、そうゆうところにいる人々が安易に生きているように思えてしまうことがある。(実際安易に生きている、ふざけんなという輩が多いのだが、)しかしそうゆう現実もまた、ある種の〈過酷さ〉を孕んでいる。居場所のなさ、希薄さの中で毎日たくさんの人が自分や人を殺す現実。若者だけではない。凶悪犯罪を起す人の率でいうと今の50代(団塊の世代)が以前からずっとトップだ。自殺率は秋田県など東北の県が毎年上位に来る。過疎と孤独死が背景にある。都市や年少者が現象の矢面に立つが実際はそれだけではない。

 様々な二極化の中で益々〈実感〉から遠ざかるいま、「不確かさ、希薄さ」を越えるには、それをまずは言葉やイメージとして具体化し相対化しないといけない。一方の〈確かさ〉の側からヒントを引きだす方法もあるとは思うが、僕などは希薄さをアイデンティティーに変え、生きる所在なさを笑いに変えるようなことが大事な時代だと思う。世代的なこともあるようだ。「個性とは幻想である」というコピーを見ると団塊の世代あたりのひとは「個性は大事だよ、際立った個性を出すことが大事」的なことを言う。個は「在る」もので、個性は「出す」ものではないのだ。実質のなさのなかで安住したり、もがいたりしている人との間に線を引いて「あいつらは」という視点で見る人もいる。しかし、押しつぶされそうな過酷な現実も、溶けて消えてしまいそう希薄な現実も、「自分のこととして」想像できる想像力みたいなものに、僕はやっぱり期待する。「見知らぬ他者」を「自分のこととして」イメージする想像力に。それには「見知らぬ他者」の含む範囲を拡げる努力が常に必要だ。(選挙で小泉首相などがいう「国民の一人ひとり」という言葉が含む人々の範囲は恐ろしく限られた人々しか想定していない様に思えてならない。)それはあるところ自分の小ささや不確かさを認めないと持てない想像力。自然を相手にする仕事や伝統に身を置いている人はあるところそれを始めから身に着けている。「自分は世界の一部である」というリアリティーは〈実感〉へと繋がる---ということもあるのだ。
 世界が均質になっているとよく言われるが、確かにそうゆう現実はある。しかし実際にいろいろ訪ねてみると、それでも世界は実に多様で、具体的な質感を伴っている。(当たり前だが。)実際そう見えてしまうことの原因の半分以上は、そのひとの想像力が均質にしか想像できなくなってきていることによるのだ。現実が「在る」ということにいいも悪いもない。自分との関係を探りながら、遠い現実も近くの現実もしっかり見続けるしかない。

 夕方徳間書店の「グッズプレス」の」撮影。伊勢丹のバイヤーの方のポートレートを撮影する。編集の寺田君は外で撮りたいと言っていたが、諦めてプレスルームで撮る。撮影後、神保町「たまごクラブ」に納品して急いで帰る。帰ったら玄関で娘がニコニコしながら「見せたいものがあります」といっておもむろに紙を拡げた。学校の写生大会で消防車を描いたら、地区の優秀賞をもらった賞状だった。リッパですよ。パチパチ。(親ばか)ビールと焼酎を飲む。

 クラスの一番上の子を褒める言葉は誰でも知っている。一番ダメな子が頑張って上に行った時の褒め言葉もみんな知っている。でも一番つらいのは頑張っても真ん中へんを行ったり来たりしか出来ない子。そゆう子が一番辛いし、数も一番多い。そうゆう子への褒め言葉をみんな持っていない。
 『our face』が持つ分かりににくさと不可解さについては徐々にその輪郭が分かってきた。反省点も多い。いくつも段階を必要とするし、時間がかかることだというのも分かってきた。(悔しいけど)。思えば今までもそうだった。普段から本を読んだり写真を見たり、考えたりするひとは一番最後だった。最初に分かってくれたのは農家や漁師さんや祭の人。世界との一体感持って生きている人の方が早いのだ。世代で言うと50歳前後の人は「個性」が好きなようだ。個の持つ曖昧さを疑うようなところから写真って生まれると思う。
こんなようなことをぼんやり考えるようになったのは先日ザンダーの写真を見たことがあるかもしれない。ザンダーについは改めて考えを整理したい。

投稿者 Ken Kitano : 17:35

2005年09月03日

9月3日 海の向こうで

 疲れているけどなんだかすぐ目が覚めてしまう。どうしてかと考えているうちに、気がつくと考えていることひとつの事柄に思いあたる。寝る前に耳にしたラジオのニュースで言っていたアメリカのハリケーンによる災害のこと。被害の実態も定かないが、数万人の人が屋根まで浸かっている水の中に取り残されている可能性があるという信じがたいニュース。一部では商店の略奪や銃を使った武装をする住人もいるとか。車を持てない貧困層が町に取り残されたらしい。ニューオリンズに知人がいるわけでも何もないが、海の向こうで起こっている惨事のイメージに、気がつくと神経が向いている。映像を見ていないけど、水没した広大な町が想像される。どうしてこれでもかと、私などの想像力を越えた災害が続くのか。あまりに大きな突然の悲劇にうまく想像力が追いつかないことのもどかしさが、また気持ちに覆いかぶさる。アメリカでなくてもイラクやアフガンでは毎日ニュースにならない膨大な死者が出ているよ、と言われればその通りで、そうした人々へのイメージもまた働かないことにも、また滅入るのだが・・。情報もないし、布団のなかであれこれ考えても何も出来ないが、気がつくと何となくそういったことに心が巡っている。
 今日も暑かった。今日は実家の仕事場でポートフォリオ作り。『our face』のプリントをファイルに収め、キャプションや表紙などを作る。ポートフォリオなどは、細かいことに凝る方である。本を作るのに散々アイデアをだしたり、ダミーを作ってきたのだが、プリントを見せるとなるとまた感じが違う。文字がどうしても絡む写真だが、極力文字を排除しないとポートフォリオにならない。「すばる」のインタビューでうまく説明できなかったこと以来気になっている、「水平」と「垂直」のことがポートフォリオにどう自然に折り込めるか、考える。この横に「連ねる」と垂直に「重ねる」のふたつのベクトルについては理屈でなく、衝動みたいなもの。なんとかシンプルに現せないものか・・。夕方まで試行錯誤。夕方帰ったらそのインタビューが掲載されていた文芸誌「すばる」(集英社)が送られてきていた。全体に好意的に書いて下さっていた。こうして一冊の写真集として出した表現を、文章として言葉にして下さると言うこと自体、ありがたい。寄稿頁の執筆陣をバラバラと見ていたら今福龍太さんが書かれている頁を発見。後でゆっくり読もう。
 昨日は10代向けファッションムック「ケラ!ボーイズ」(インデックスマガジンズ)が送られ来た。こちらには、ケラ写真館という頁で『our face』のこと、「個性」のことを編集長の松村さんから頼まれて書きました。「すばる」、「ケラボーイズ」を書店で見つけた方は読んでみて下さい。

投稿者 Ken Kitano : 19:05

2005年09月02日

9月1日 三越落語

 今日から娘は新学期。先日自分で描いたTシャツを着て学校に行った。
高田馬場のライター袴田氏と合流。「夢眠」でポークきゃべつカレーを食べて東京ボードビルショー事務所へ。役者さんの取材。初のD2Xの実戦投入。使いやすい。D70のファインダーが見にくかったのはデジタルの小さい画角のせいではなく、そうゆう作りだったからだと判明。
 6時に日本橋三越劇場へ。立川志の輔落語会。ゲストに鶴瓶師匠という豪華な落語会。我々のメンバーは袴田さん、シアターガイド編集のKさん、大阪からわざわざ観に来たNさん。志の輔さんは新作と古典を一席ずつ。鶴瓶師匠はネタ降ろしの新作。たっぷり笑って楽しんで、大満足で外へ。帰る人の中に有名人を多数発見。舞台も豪華だが客席にも豪華な顔ぶれがあったようだ。
外に出ると既に9時半。ゆっくり飲む時間がない。せっかく大阪からNさんが来ていることだし浅草にでもくりだしたかったが、結局いつもの有楽町「日の基」へ。魚とホッピー。終電に乗り遅れ、中央線は三鷹止まり。タクシーにのろうか迷ったが、もったいないので玉川上水沿いを歩くことに。2時間弱かかって帰宅。やっぱ遠いいや。

投稿者 Ken Kitano : 14:19

2005年09月01日

8月31日 大きな買い物

 世の中で買い物ほど嫌いなものはない。迷うし、額が大きいほど消耗する。人生において買い物は極力しないで生きて行きたいものである。これは仕事の機材の買い物でも同じ。35ミリもブローニも一通りそろって当分設備投資はいらないなと思ったのもついこの間。デジがないと仕事にならない空気が巷に充満している。カメラだけじゃないからね。パソコンも関連のOSやソフトも、もちろんレンズなんかも。参るよ。デジタルって安くないしね。カメラボディなんてフィルムの倍から3倍する。でも仕事や作品制作で不自由はしたくないので、今回ようやく重い腰を上げた次第。昼に浅草のニコンに行って使っていないF3と台替えでD2Xを購入する。(35%引きでも40万だって。高いよ!借金!)他にも自分にしては大決心の機材関係の買い物をヨドバシでする。とっても疲れる。一方、先日使わなくなった35ミリF3ポラバックをヤフーオークションに出品したのだが、終了日なのにたった500円の入札が一件だけ。急遽今朝入札を取り下げる。お金は出ていく一方ということね。率直に言って、出版界のギャラが下がっているのに必要な機材の金額がぐんぐん上がってゆく。なんとかしてくれ。
 浅草のニコンの入っているアサヒビールのビル出ると、吾妻橋から見る周辺の風景が、もやがかかったような夕暮れの感じがとってもいい。車を止めて写真を撮って帰りたい衝動に駆られるが、ぐっとこらえて、→たまごクラブ編集部→ファトグラファーズラボラトリー→マガジンハウス→帰宅。
 帰ってD2Xの取説を読んでたら眠くなった。途中で止めて読む本を「人類と建築の歴史」(藤森照信著ちくまプリまー新書)に替える。こっちは面白い。本を買う金がないので最近がまんしていたが、昨日発作的に新宿の本屋に入って新書を数冊買ってしまった。出版界では最近新書しか売れないとよく言われるが、その理由よくわかる。

投稿者 Ken Kitano : 08:34